犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ジャガイモ、はるかな旅①~ペルー

2022-07-28 23:16:15 | 食べる
写真:ペルーのジャガイモさまざま(日本いも類研究会HPより)

「日本には何種類のジャガイモがあるんですか?」

 以前、同僚の日系ペルー人に聞かれたことがあります。

「さあ、3種類ぐらいかな? ぼくは男爵とメイクイーンしかしらないけど」

「ジャガイモはペルーが原産なんですよ。ペルーには3000種類のじゃがいもがあります」

3000!! まさか。30か、せいぜい300の間違いじゃない?」

「いえ、3000です」(キッパリ)


 現在の栽培植物には、新大陸(南北アメリカ大陸)原産のものがけっこうあります。

 トウモロコシ、トマト、唐辛子…。

 ジャガイモもその一つです。

 新大陸がヨーロッパ人によって発見されたのは15世紀末(1492年のコロンブスによる「新大陸」発見)のことですから、これらの作物が旧大陸に知られるようになったのはそのあとです。

 当時、南米ペルーにはインカ帝国という大文明がありました。

 インカ文明を成立せしめたのは、ジャガイモでした。

 古代遺跡マチュピチュ(海抜2430メートル)も、インカ帝国の首都クスコ(海抜3400メートル)も、アンデスの高地にありました。

 このような高地ではトウモロコシは育たない。栽培できるのは、ジャガイモしかなかったんですね。ジャガイモを乾燥させて無毒化して長期保存する方法が確立し、富を蓄積できたようです。

 スペイン人のピサロ率いるたった168人のスペイン軍が、8万人の軍勢を誇るインカ帝国を、あっという間に滅ぼしてしまった経緯は、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(2000年、草思社刊)に詳しい。

 ピサロがインカ帝国の皇帝アタワルパを処刑し、首都クスコを制圧したのが1533年。スペイン人の関心はもっぱら金銀財宝にあり、ジャガイモには無関心だったため、ジャガイモがヨーロッパに持ち込まれたのは、1570年ごろと推定されています。

 しかし、ジャガイモが食用にされるまでには時間がかかりました。

 その理由として、アンデス高地原産のジャガイモはヨーロッパの気候では葉や茎ばかりが茂り、実(地下の芋)はよく育たなかったことのほかに、人々が誤って有毒な芽や葉を食べて中毒を起こしたり、聖書に書かれていない植物だった(当たり前)ことなどから、「悪魔の植物」と言われて忌避されたんだそうです。

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