写真:淀川河川敷の土手から
土曜日の午前中、本当なら、いまオンラインでロシア語を習っているエリザヴェータ先生と食事をしようと思っていたのですが、ご主人(韓国人)の大学の先輩が日本に旅行に来て、夫婦で会食するということで、会えませんでした。
それで、赴任時代に住んでいたあたりを散策しました。
週末には、近くの淀川河川敷でよく散歩をしたものでした。
行ってみると、河川敷のバーベキュー場は、ゴールデンウィークの初日ということで、大賑わい。
喧騒を避けて、人の少ない土手で、読書をしました。
今回持って行ったのは、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。
最新刊『街とその不確かな壁』を読んでみたら、その設定が『世界の終り…』にそっくりだったので、もう一度読み返してみようと思ったのです。
往きの新幹線の中、出張中の夜も読み継いで、後半に差し掛かっていました。
私が最初に読んだ村上作品は、『羊をめぐる冒険』。大学生のときでした。そしてすぐに前作の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を読み、『世界の終り…』は1985年に発売されてまもなく読みました。
そのとき私は出版社に勤務していて、めちゃくちゃに忙しい中、週末に一気に読み終えたことを覚えています。
この初版本には、ところどころに24歳の私による傍線が引かれていました。
当時私は、村上春樹を「比喩表現に卓越した作家」と見ていて、感心した表現を中心に線を引いているようでした。
ときに村上春樹、36歳。専業作家としての第一歩を踏み出し、その気負いの感じられる作品です。
それまで私の読書は近代文学や西洋の翻訳文学に偏っていて、同時代作家の純文学作品は、大江健三郎その他に限られていました。
村上作品は、その現代性で、とても新鮮に映りました。
二つの物語がパラレルに進行する奇抜な構成、ところどころに言及される音楽、文学、1980年代のさまざまな文物(服のブランドとか、車の車種など)、セクシャルな場面などは、古い作品には見られないものでした。
しかし、今となっては古めかしい。
コンピューターを使った情報戦争という設定はいまだに現代的ですが、インターネットはなく、携帯電話もスマホもありません。主人公がレンタカーとして借りた最新型のカリーナ1800GTツインカム・ターボは今や骨董品でしょう。カーステレオから流れる音楽は、カセットテープでした。
洋楽を聴かない私には、ジャズなどはちんぷんかんぷんでしたが、クラシック音楽や欧米文学には親しみがあり、楽しむことができました。
ただ、どちらかというと、純文学というよりはSF文学、娯楽文学として読んだように思います。
今、村上春樹は72歳。1980年雑誌発表の同名の作品、そして『世界の終り…』から40年近く経ってからの「書き直し」です。
『街とその不確かな壁』では作家として円熟味が増し、主題はいっそう深められたと感じました。
『世界の終り…』の最後のほうに、「ハードボイルド・ワンダーランド」のほうの主人公が、銀座のビヤホール(おそらくライオン)でカキを食べる場面があります。
…ビヤホールに入って生ビールを飲み、生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。…私はブルックナーを聴きながら5個のカキにレモン汁をかけ、時計回りに順番に食べ、中型のジョッキを飲み干した。
その日の夜、私は大阪の知り合いとオイスターバーに行き、5個のカキにレモン汁をかけ、時計回りに順番に食べ、中型のジョッキを飲み干しました。
5つのカキは産地が異なり、時計回りにカキ独特の風味が濃くなるように配置されていました。ただ、ブルックナーはかかっていませんでした。
味は絶品でした。
土曜日の午前中、本当なら、いまオンラインでロシア語を習っているエリザヴェータ先生と食事をしようと思っていたのですが、ご主人(韓国人)の大学の先輩が日本に旅行に来て、夫婦で会食するということで、会えませんでした。
それで、赴任時代に住んでいたあたりを散策しました。
週末には、近くの淀川河川敷でよく散歩をしたものでした。
行ってみると、河川敷のバーベキュー場は、ゴールデンウィークの初日ということで、大賑わい。
喧騒を避けて、人の少ない土手で、読書をしました。
今回持って行ったのは、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。
最新刊『街とその不確かな壁』を読んでみたら、その設定が『世界の終り…』にそっくりだったので、もう一度読み返してみようと思ったのです。
往きの新幹線の中、出張中の夜も読み継いで、後半に差し掛かっていました。
私が最初に読んだ村上作品は、『羊をめぐる冒険』。大学生のときでした。そしてすぐに前作の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を読み、『世界の終り…』は1985年に発売されてまもなく読みました。
そのとき私は出版社に勤務していて、めちゃくちゃに忙しい中、週末に一気に読み終えたことを覚えています。
この初版本には、ところどころに24歳の私による傍線が引かれていました。
当時私は、村上春樹を「比喩表現に卓越した作家」と見ていて、感心した表現を中心に線を引いているようでした。
ときに村上春樹、36歳。専業作家としての第一歩を踏み出し、その気負いの感じられる作品です。
それまで私の読書は近代文学や西洋の翻訳文学に偏っていて、同時代作家の純文学作品は、大江健三郎その他に限られていました。
村上作品は、その現代性で、とても新鮮に映りました。
二つの物語がパラレルに進行する奇抜な構成、ところどころに言及される音楽、文学、1980年代のさまざまな文物(服のブランドとか、車の車種など)、セクシャルな場面などは、古い作品には見られないものでした。
しかし、今となっては古めかしい。
コンピューターを使った情報戦争という設定はいまだに現代的ですが、インターネットはなく、携帯電話もスマホもありません。主人公がレンタカーとして借りた最新型のカリーナ1800GTツインカム・ターボは今や骨董品でしょう。カーステレオから流れる音楽は、カセットテープでした。
洋楽を聴かない私には、ジャズなどはちんぷんかんぷんでしたが、クラシック音楽や欧米文学には親しみがあり、楽しむことができました。
ただ、どちらかというと、純文学というよりはSF文学、娯楽文学として読んだように思います。
今、村上春樹は72歳。1980年雑誌発表の同名の作品、そして『世界の終り…』から40年近く経ってからの「書き直し」です。
『街とその不確かな壁』では作家として円熟味が増し、主題はいっそう深められたと感じました。
『世界の終り…』の最後のほうに、「ハードボイルド・ワンダーランド」のほうの主人公が、銀座のビヤホール(おそらくライオン)でカキを食べる場面があります。
…ビヤホールに入って生ビールを飲み、生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。…私はブルックナーを聴きながら5個のカキにレモン汁をかけ、時計回りに順番に食べ、中型のジョッキを飲み干した。
その日の夜、私は大阪の知り合いとオイスターバーに行き、5個のカキにレモン汁をかけ、時計回りに順番に食べ、中型のジョッキを飲み干しました。
5つのカキは産地が異なり、時計回りにカキ独特の風味が濃くなるように配置されていました。ただ、ブルックナーはかかっていませんでした。
味は絶品でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます