生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

先輩と後輩の間柄

2008年08月31日 21時50分24秒 | ちょっと立ち止まって・・・
PCの調子が悪い。遅い。

色々とダウンロードしたり、保存したりしているので、空き領域が少なくなってきたのか?

そういう勝手な想像の下、PCの大掃除を敢行することとした。使ってないソフトを削除し、写真を撮った際の画像を整理して外付けHDDに保存する。

メールもかなり削除した。その際、明星大学大学院を修了された先輩からのメールを見つけて懐かしむ。

思えば、大学院に合格した際、推薦状を書いてくださった先生より先に、この先輩に合格の「一報」を「一方」的にしていた。とある会合でお目にかかった際、アドバイスをいただいたから。

思えば、私は先輩に恵まれている。産業能率大学大学院に進路を変更したのも、先輩の影響だし、こうして、明星大学大学院に在籍していられるのも、先輩の影響があったからこそ。

そして、産能の通教に申し込んだのもお二人の先輩のお導きであり、今の会社に入社したのも、ゼミの先輩のおかげである。

なんかこんな風にかいてしまうと、自分では何も決めれない優柔不断男のようだが、自己責任の下、全ては自分で決定している。ただ、よい先達に恵まれているということを言いたいだけである。

そして、今、後輩からのメールに対して、イソイソと返事を打っている「私」がいる。以前、私が受けた恩は、こんな形でしか、返していくことができないのだから。


しかし、私は、後輩達に対して、いい影響を与えることができているのだろうか・・・
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私と近い考え方の本

2008年08月31日 10時39分22秒 | 読書
小平から都心は遠い・・・

毎日、往復で2時間30分弱の時間を投下している。そのうち、約30分は徒歩の時間であり、肥満防止のために役立っている。

そして、残りの2時間は概ね読書の時間となっている。通勤電車の中で、読書ベースだと、毎日2~4冊の本を読んでいる。

このように書くと、「年間365日だから、軽く1千冊をオーバーするね!」と思われる方も出てくると思う。

しかし、私の読書には「戒律」がいくつか存在する。

1.全てのページをめくらないと読書は成立しない。(表題だけの飛し読み厳禁)
2.雑誌はカウントしない。
3.マンガはカウントしない。
4.一度読んだ本はカウントしない。
5.テキストはカウントしない。

よって、電車の中で勉強のつもりで読んだ本は、一度読んだ本やらテキストが多いので、カウントされないこととなる。

もっぱら、カウントされるのは、気分転換に読む、軽めの本が多くなる。

で、今回、「通勤時間「超」活用術」という本を読んだわけだ。

ちょっとでも通勤時間が有効に活用できれば・・・という浅墓な考えで購入したのだが、中味を見てビックリ!私が常に考えていること、実践していることのオンパレードだった。

・通勤時間は長いほうがいい
・週末は4日ある(3泊4日)
・目標を常に意識する
・ブログは、あくまで「自己満足」「自己啓発」のツールとして活用すべき
                             等々・・・

特に、私が常に考えている「週末は4日間」と言う考え方の人は、今までいなかったので感動した。

何かを成し遂げるためには、時間を犠牲にしなければならない。このブログでもよく書くことだが、人生という限られた時間を、成果物に「等価交換」しているのが、我々人間の生き方である。

論文もそうだし、読書による知識の上積み、スキルの獲得も、時間を犠牲にしないと誕生しない。

しかし、その、犠牲になった時間こそが、一番、輝いている時間でもある。

最もかわいそうなのが、無為に過ごされた、「時間の浪費」と自分が認識する時間である。その時間は、なんら成果を生み出さず、「飼い殺し」にされたようなものである。

「自分の時間、何に使っても文句はなかろう!」という考え方も「正」ではある。ムダに使ったと思われた時間が、偶然にも、新たな自分の発見に繋がることもあるのだから。

しかし、何ゆえに、自分がこの世に「生」を受けたか?
他人ではなく、自分が存在しているのか?
何故、自分が生きているのか?

何のために・・・
何のために・・・
何のために・・・

そう考えると、闇雲に、時間を浪費する自分が申し訳なく感じてしまう。せめて、昨日の自分より、一歩でいいから変わりたい。一歩でいいから前進したい。

そして、明日の自分は今日の自分より一歩でいいから成長していたい。

そんな気持ちになってしまう。

モチベーションの極大化した10分は、モチベーションの存在しない10時間に勝る。読書等の時間は、モチベーションをトップギアに入れるための「地ならし」みたいなものである。

投下時間ゼロでは、資格を取得するのも困難だし、学位取得もムリである。しかし、時間をかければ合格できるというものでもない。

大体、資格試験で「かなりの時間」をかけても合格できない場合は、何かがおかしいと振り返る必要がある。

大概の場合、「時間に命がこもっていない=モチベーションが低い」ということが原因として上げられる。

そういう場合は、最初にまで戻らないと、無駄な時間の垂れ流しとなる恐れがある。

何故、その勉強を始めたのか?

そこまで戻ってやる。きっと、何か夢があって、資格や学位を目指したはずだ。やすからぬ、コストを投下して、学校やスクールにも参加したはずだ。

その夢や目標は何だったの?

あまりに時間をかけすぎると、それがルーチンワークになる。ただ、時間を潰すだけの作業。そして、時間を消化したことだけに自己満足を覚える・・・

そうなると、もやは、人間としての進化は期待薄である。夢を失った「死に体」では、心の奥底からのエネルギーの爆発は望めない。

活きた時間は、その姿を、加速度的に成果物に変化させる。時に、仕事で、気がついたら、かなりの時間が経っていたというケースに近い。自己実現のために取り組んでいる仕事なんかの場合、一日の過ぎるスピードが無限に速い。

だから、私は常に言う。資格を取りたいのなら、その資格のことを思いつづけなさいと。そして、その資格の過去5年(以上)の合格率、試験の傾向、分野、受験地、試験会場、試験開始の時間、取り扱っている専門学校名等々、何でもいえるだけの愛着をもって欲しい。

そんなの詭弁だ!って言われそうだが、そこまで、愛すれば合格できないわけがない。入れ込み度合い。その資格のことなら、私以上にしっている人はいないという自負。資格と一体化することで確実に合格を引き寄せることができる。

逆に、私が合格できなかった資格は、そこまで、入れ込むことができなかったものであった。

この受験方法を教えてくれたのは、中国の偉大な兵法家である。

「彼を知り己を知らば百戦危うからず」

彼(試験)のことを知り尽くし、己のベストが発揮できるコンディションを続けて勉強できれば、百戦といえども、無難に闘い続けることができる。

資格・学位だけじゃない。就活等もこの考え方の通りである。不合格になるのは思い入れが少し足りなかっただけのこと。逆に、多くの不合格者は、あと一歩努力すれば合格できるレベルにいるのだ。

最後に、またもや、後半部分で脱線してしまったが、後半部分のことは、画像の本には書いてないので、私の独り言と思ってください。

※2575字の長編となってしまいました・・・
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おかげさまで、630,000件!

2008年08月31日 01時24分35秒 | アクセス
昨日、アクセス件数が630,000件を突破しました。

これも、ひとえに皆さまのご支援の賜物と感謝しております。

今後とも、よろしくお願いいたします!

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