まだ、一次選考をクリアしただけなので大それたことは言えないのですが、一度、放送大学大学院を修了しているということで・・・
2020年度の大学院修士全科生の入学者選考結果は以下の通りです。
見て頂ければわかるとおり、「人間発達科学」「臨床心理学」「人文学」以外は、出願者数がすべて募集人員を下回っています。にもかかわらず、「情報学」以外を除き、最終合格者数は大きく絞られています。ゆえに、500名の募集人員に比べ、わずか298名しか合格しない、すなわち、合格率は50%台(59.6%)になってしまいます。
ゆえに、私が常々言っている「放送大学大学院は臨床心理と人間発達科学以外は自分との闘い」という公式が成り立つわけです。「人文学」も90名程度に105名出願していますが、105名全員合格させても、大丈夫なくらい余力はあるはず。無論、修了できずに滞留している方が多いと、大丈夫とはいいがたいのですが・・・
※すいません、今、放送大学のHPで確認したところ、在学生は令和2年の1学期の段階で870名なので、1000名の定員を充足していません。それに、298名の合格者に対し、入学したのは287名にとどまるようです。
第1次選考において、英語はできなかったし、記述も十分とは言いがいた書きぶり。研究計画書も作成日数わずか1日。まあ、こちらとしては、「残り1週間しかないから出願できない!」っていう「言い訳」を封じるためにギリギリまで引き付けて実例を示すのも目的ですから(本当はギリギリまでやる気がでないだけですが)、にもかかわらず、合格できたのは、大学院6回目で出願のコツをおぼろげに認識できているからかもしれません。
まあ、常識的に考えれば、コツというほどのものでもないのですが・・・
1.わかりやすい研究テーマ
→見てわからないような難解なテーマでは指導する方も腰が引ける
2.2年間でまとめることができるという根拠
→4年も5年も同じ人を指導するのは指導する方もつらいし、まとまららなかったら心苦しい
3.かならず私は修了できるという安心感
→なんでもいいから最終的には修了してほしい。退学なんかされたら面倒だし、「指導教官のせいで・・・」とネットで悪口かかれたらたまったものではない
4.臨機応変と言うか柔軟性というか
→意固地で言うことをきかない学生は当然指導したくない。地位や名誉を前面に押し出す学生もいやだろうな・・・あと先生とかやってて、自分のやり方を曲げない人も。
5.ゼミに参加できるという保証
→ゼミをやるのに、いつも「忙しくて参加できません」じゃ指導にならない
こういう、指導教官の嫌がることが願書や面接で垣間見られた場合、「総合的かつ俯瞰的に選考した結果落選」ってことになるんじゃないかな~と思っています。無論、あくまで私見ですが。
受験生の方々が必死なのはわかりますが、入試は先生方にとっても必死なイベントなわけです。最低でも2年間指導しなきゃいけないんだから。ゆえに、先生の立場になったと思ってみてください。あなたがどのような受験生だったら、一緒に、頑張っていきたいと思いますか?指導する方も時間やエネルギーがかかるんだから、同じやっていくなら、ストレスが少なくて、自分の気づきにもつながりそうな学生を選びませんか?ましてや、指導半ばで辞められるとつらいし、そんな学生が2人、3人と続くと、「自分の指導のせいなのか・・・」と、心ある先生ならメンタル傷つきます。
「こちらは金払ってるんだ!」って思いたくなる気持ちもわかりますが、先生だって、個人の研究や、提出しなければならない報告、積み上げなければならない実績っていうのがあって、学生の指導だけやっていれば給料がもらえるわけではないのです。そういうことに配慮できる受験生の方が、合格に近いのでは・・・と勝手に思っています。