頂いた休暇も、早、中日。
やることはたくさんあるので、もっと時間を有効に活用しなければならないのだが、私は凡夫であり、時間があると、ついつい、だらけた生活を送ってしまう。本当は、2月6日の口頭試問の発表準備や、1月31日の放送大学の単位修得試験の準備をしたりすべきなのだが、どうも、今後の方向感が定まらないと、何もしたくなくなってしまうのだ。
で、天気がいいので学位記の虫干しをしてみようかと思うに至った。日光の当たらないクローゼットに閉まっているので、学位記が虫食いにあうやもしれぬ。そのため、1枚1枚学位記を開いて現状確認し、ちょっと日光浴をさせることとした。
趣味が悪いと言われそうだが、こちらが機構の学位記。
12枚あるのだが、初期に取得した学位記のホルダーの方が、若干分厚いような気がする。残念なことに、虫の影響か、何の影響かわからないのだが、「学芸」の学位に茶色いシミが浮かび上がっていた・・・
20の学位記があるはずだが、最初の大学は卒業証書で丸い筒に入っているので、取得済の学位記はこちらの19枚。
放送大学だけ、規格外に大きいので困りものである。「せっかくの学位記なのだから、大きいことはいいことだ!」って思っている人もいるのかもしれないが、収納に困ってしまう・・・
でも、小さければいいってもんでもない。家内の日本福祉大学の学位記を借りてきて、放送大学の学位記の間に挟んでみた。
大きさが違いすぎて、更に困ってしまう。学位記の大きさで喜びが変わるわけではないだろうが、家内の場合、産能短期大学でもらった学位記の方が、大学の学位記より大きいので、その思いはどうだろう?といいつつ、私の場合も、産業能率大学大学院、明星大学大学院、武蔵野大学大学院で貰った学位記の方が、放送大学教養学部の学位記より小さいので、同じ現象が発生しているのだが・・・まあ、学位記の大きさで学位授与の喜びがアップダウンすることはないと信じておこう。
取得学位に貴賎なしと言いたいところだが、やはり機構の学位記としては「学士(工学)」が、最も感慨深い1枚といえる。これは絶対取れないと思っていた学位であるが、レポートに投下したエネルギーは、過去最大級の成果物だと思っている。作品としては自画自賛できる一品なのだが、なんせ、社会システム工学に関する実験・実習科目が集まらない。というか、通信制大学で「社会システム工学実験」や「社会システム工学演習」なんて科目は履修できませんから。
機構以外の大学から頂いた学位は、それなりに時間を投下しているので、すべてにおいて思い出がある。「産能大学」は社会人となって初めて学位を得たものだし、「産業能率大学大学院」は、初めての修士であり10キロ痩せての学位修得だったので、本当にうれしかった。入学が決まった時に、今は亡き、ゼミの恩師が自分のことのように喜んでくださったのも思い出深い。恩師はご主人の転勤で渡米し、アメリカの大学院で学んだものの、マスターの学位を得ることはできなかった。産能講師の恩師のゼミからは、実に多くの大学院生が輩出されるのだが、産業能率大学大学院は5期生の私が初めてだったそうだ。その恩師にお願いして、明星大学大学院の推薦状を書いてもらって、明星大学大学院にも進学することができた。本当、いま、彼女が、もう、この世にいないと思うと、本当に苦しくなってしまう・・・
やはり、12年も学生をやっていると、それなりに思い出が残るものである。12年かかって、この19枚の学位記。他の方から見れば、ただの紙切れも、私にとっては、思い出の詰まった玉手箱といえるのかもしれない。
やることはたくさんあるので、もっと時間を有効に活用しなければならないのだが、私は凡夫であり、時間があると、ついつい、だらけた生活を送ってしまう。本当は、2月6日の口頭試問の発表準備や、1月31日の放送大学の単位修得試験の準備をしたりすべきなのだが、どうも、今後の方向感が定まらないと、何もしたくなくなってしまうのだ。
で、天気がいいので学位記の虫干しをしてみようかと思うに至った。日光の当たらないクローゼットに閉まっているので、学位記が虫食いにあうやもしれぬ。そのため、1枚1枚学位記を開いて現状確認し、ちょっと日光浴をさせることとした。
趣味が悪いと言われそうだが、こちらが機構の学位記。
12枚あるのだが、初期に取得した学位記のホルダーの方が、若干分厚いような気がする。残念なことに、虫の影響か、何の影響かわからないのだが、「学芸」の学位に茶色いシミが浮かび上がっていた・・・
20の学位記があるはずだが、最初の大学は卒業証書で丸い筒に入っているので、取得済の学位記はこちらの19枚。
放送大学だけ、規格外に大きいので困りものである。「せっかくの学位記なのだから、大きいことはいいことだ!」って思っている人もいるのかもしれないが、収納に困ってしまう・・・
でも、小さければいいってもんでもない。家内の日本福祉大学の学位記を借りてきて、放送大学の学位記の間に挟んでみた。
大きさが違いすぎて、更に困ってしまう。学位記の大きさで喜びが変わるわけではないだろうが、家内の場合、産能短期大学でもらった学位記の方が、大学の学位記より大きいので、その思いはどうだろう?といいつつ、私の場合も、産業能率大学大学院、明星大学大学院、武蔵野大学大学院で貰った学位記の方が、放送大学教養学部の学位記より小さいので、同じ現象が発生しているのだが・・・まあ、学位記の大きさで学位授与の喜びがアップダウンすることはないと信じておこう。
取得学位に貴賎なしと言いたいところだが、やはり機構の学位記としては「学士(工学)」が、最も感慨深い1枚といえる。これは絶対取れないと思っていた学位であるが、レポートに投下したエネルギーは、過去最大級の成果物だと思っている。作品としては自画自賛できる一品なのだが、なんせ、社会システム工学に関する実験・実習科目が集まらない。というか、通信制大学で「社会システム工学実験」や「社会システム工学演習」なんて科目は履修できませんから。
機構以外の大学から頂いた学位は、それなりに時間を投下しているので、すべてにおいて思い出がある。「産能大学」は社会人となって初めて学位を得たものだし、「産業能率大学大学院」は、初めての修士であり10キロ痩せての学位修得だったので、本当にうれしかった。入学が決まった時に、今は亡き、ゼミの恩師が自分のことのように喜んでくださったのも思い出深い。恩師はご主人の転勤で渡米し、アメリカの大学院で学んだものの、マスターの学位を得ることはできなかった。産能講師の恩師のゼミからは、実に多くの大学院生が輩出されるのだが、産業能率大学大学院は5期生の私が初めてだったそうだ。その恩師にお願いして、明星大学大学院の推薦状を書いてもらって、明星大学大学院にも進学することができた。本当、いま、彼女が、もう、この世にいないと思うと、本当に苦しくなってしまう・・・
やはり、12年も学生をやっていると、それなりに思い出が残るものである。12年かかって、この19枚の学位記。他の方から見れば、ただの紙切れも、私にとっては、思い出の詰まった玉手箱といえるのかもしれない。
京都造芸大が、洋画コースと文芸コースの2枚。
慶應と東洋大学が各1枚。
それに、放送大学大学院が1枚。
フラ夫さんには遠く及びません。
数を集めたからこそ言えると思うのですが、やはり学位記は数ではありません。たった1枚の学位であったとしても、それが立派な研究成果なら、21枚の学位記より優れていると思います。
数が無ければ負け犬の遠吠えですが、今なら言えることなのでしょう。
私の場合、「頑張った成果が数になる」というイメージでしょうか。でも、来年からは長男も次男も大学生なので、私自身が大学生を続けるのが厳しいです。
機構以外で5つも学位を取得されているとは、頑張られていますね。私の学位の大半は機構の学位ですから。、貴兄と単純に比較することが憚られてしまいます。
長男に続き、次男も大学生になるので、当面、大学院には行けそうにありません。1000単位もすぐにはムリですね。
とはいえ、銀行員は退職(依願退職)が早いので、退職金が出たらまた学習を再開したいところです。