つい最近、誤解していたことがあることに気がついた。誤解の中身は司馬遼太郎。ひょっとしたら、以前書いたかもしれないけど・・・。私は、司馬遼太郎の本を読まない。なぜなら、司馬遼太郎の名前は「司馬遷」からもじったものというのを聞いたから。司馬遷はいわずと知れた「史記」の作者。李陵を弁護したために宮刑になった悲劇の人である。その司馬遷の記した「史記」は、まさしく人類の宝である。その司馬遷の名前をかたるとは、「恐れ多いぞ!司馬遼太郎」と思い、「坂の上の雲」とかが、就職の際、もてはやされていたのに、一冊も読まなかった。
それほど、私にとって、司馬遷は特別なのです!
しかし、最近知ったのですが、かれは「司馬遷に遼(はるか)に及ばない」として、司馬遼太郎のペンネームを使っていたらしい。なるほど、司馬遼太郎も、司馬遷の偉大さを知っていたのですね。
特に彼の本を読まなかったからと言って人生損をしたとは、特段思いませんが、私の誤解で、あえて、意識して避けていたのは、不徳のいたすところ。一度、彼の書いた本を読んでみようかしら。(でも、司馬遷の話を聞く前に、父が買っていた「項羽と劉邦」を一度、読んだような気もするのですが・・・)
それほど、私にとって、司馬遷は特別なのです!
しかし、最近知ったのですが、かれは「司馬遷に遼(はるか)に及ばない」として、司馬遼太郎のペンネームを使っていたらしい。なるほど、司馬遼太郎も、司馬遷の偉大さを知っていたのですね。
特に彼の本を読まなかったからと言って人生損をしたとは、特段思いませんが、私の誤解で、あえて、意識して避けていたのは、不徳のいたすところ。一度、彼の書いた本を読んでみようかしら。(でも、司馬遷の話を聞く前に、父が買っていた「項羽と劉邦」を一度、読んだような気もするのですが・・・)