写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

8年前の出来事

2019年03月11日 | その他
あれから8年、もう8年、まだ8年・・・!!
復興が進んでいると言われても、まだまだです。
それに確実に発生すると言われている次の地震への備えは・・・!?
憂う事はきりが有りません。
この事実を忘れることなく伝え続けて欲しいと願っています。

以下は4年前(2015年)の今日Facebookで投稿した物です。

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東日本大震災では陸前高田の家内の実家も被災しました。
実家の皆さんや従妹たち全員の無事が確認できたのは地震発生から5日後でした。
直ぐに飛んで行きたかったのですが道路が寸断され、燃料の軽油も入手困難で断念しました。
災害緊急電話が被災地に設置され一人2~3分通話が出来、必要な物資を聞いてそれらを買い求め、行く準備をしました。
友人からも心配して電話を頂くとともに、沢山の救援物資や義援金を頂きました。
軽油はガソリンスタンドに長時間並んでもポリタンクに20リットルしか買えない時、息子の友人が調達し、大量に届けてくれました。
車の燃料タンクを含めて220リットルと、往復分以上の軽油が確保出来ました。
震災後8日が経ち、一関から国道343号線で陸前高田に何とか行けるらしいとの情報があり、翌日支援物資を積んで出かけました。
高速道路は宇都宮までしか使えなく、その先は地震で凸凹の一般道をひたすら走り続け、地震発生から10日目の3月21日に避難場所になっていた小学校に到着。
実家の皆さんや従妹などに再会、無事を喜び合いました。
1週間ほど滞在していましたが、毎日のように雪がちらつく寒い日が続きました。
避難者全員が教室のコンクリート床に段ボールを敷き、毛布にくるまって寝ている状態で、家内の義姉さんは体調を崩し、持病が悪化していました。
その為、義姉さんと従妹を埼玉に連れて帰り療養することになりました。
車内で生活に必要なものが揃っているキャンピングカーが、この時ほどありがたく感じたことはありませんでした。
その後、元気になった義姉さんを送りがてら支援物資を届けに、この年は7回ほど行きました。
食料や衣類、またランドセル、学用品、長靴、自転車 等・・・!
娘の友人達からは大量の学用品とランドセル40個が届けられたり、知人から30kgのお米や布団などの寝具を頂いたり、本当に感謝をするばかりでした。
あれから4年になりますが、瓦礫は無くなり、かさ上げが少しずつ進んでいますが、復興は緒に就いたとしか言えない状態です。
被災者の皆さんに接すると、大変前向きに歩まれていますが、息の長い支援が必要と思われます。
これからも温かく見守ってほしいと願っています。
現在進行している市街地造成計画の高さです。14mほどになります。(2014年8月撮影)



(これ以降の写真は2011年3月21日~26日撮影)


































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この現実を忘れないで欲しい!!

備えは出来ていますか?








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