クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

桜小説のレビューはじめます

2022-03-23 | 本と雑誌

 さて、ウクライナ戦争は 終わらずコロナも おちついたとは言えず

また、今ちょっと・家ぞくの体ちょうがわるいので

春ですが、

お出かけは なしです。

 よって 家で 本でも読んで、すごします。

うちのチットは、

 世相も暗いし、、このさい、『ガリヴァー旅行記』みたいな、

ディストピア小説のレビューでもやる?」

なんて 

言いますが・・

 

そんな暗い本ばっかり 読んでたら、

さらに、ズドーンって きちゃうので

 今・咲きはじめたに びんじょう(便乗)し

今回は「桜小説」のかんそう(感想)

書いていきたいと 思います。

 

 

(※よろしくおねがいします🐻 14冊くらいかな・・

 

 

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ガリバー旅行記(ジョナサン・スウィフト、感想)

2022-03-08 | 本と雑誌

戦争文学じゃありませんが、

今読むべき世界の文学を もう1つ

『ガリヴァー旅行記』です!!

(※こないだ、SWIFTからのロシア除外が発動されたじゃないですか

スウィフトといったら、ふつうの人がイメージするのは『ガリヴァー旅行記』ですよね あと、スズキの車

 

~ざっと復習~

 船医のガリバーは、航海の途中で、変な国々に漂着します。



①小人の国
②巨人の国
③空に浮かぶラピュタ
④不死の人がいる国
⑤日本
⑥高等動物フウイヌムの国


(ちなみに、⑥の国には人間に似たおぞましい下等動物「ヤフー」というのが出てきますが、
検索エンジンYahoo!がここからネーミングされたのは有名な話

ラピュタはジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルだし鎖国中の日本も出てきて、いろいろおもしろいです


・・・・・

しかしながら

これは風刺文学なので、

ガリバーが出会う各国の人々を通して、現実の人間社会のダメな面を見つめ、反省する。

そのために、存在する本です

 たとえば・・小人の国と巨人の国で、

全く・ことなるたいぐう(待遇)を受けた

ガリバーは、

「価値基準は、変わるものだ

と 気づきますし

 学問へんちょう(偏重)のラピュタでは、

「ここの人々は、まともにコミュニケーションもとれない・頭でっかちだ

と 気づきますし

 不死の人間がいる国では、「不老を伴わない不死は苦痛でしかない

と 気づきますし、

 高等動物の国では、「人間がいかに野蛮で下等な、おぞましい動物であるか・・」

気づきます

「くだらない理由で戦争をおっぱじめるし、

救いがたいんだよね

オレたちが生きているこの人間社会は・・・!!

って、

作者のスウィフトは 言っているのです。

 今、世界のいせい(為政)者たちに、読んでほしい本です。

 
 
 
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『戦争と平和』~トルストイを読んで思うこと

2022-03-06 | 本と雑誌

ウクライナで 戦争がはじまってから

家ぞくが

戦争のことを書いた本を 読みはじめました。

 たとえば、トルストイの『戦争と平和』とかです

 すっごく長い小説ですが・・ロシアを代表する作家が、戦争をどのようにとらえたのか!?

 

気になったみたいです。

 

 超絶コンパクトなあらすじ~

舞台は19世紀のロシア。
貴族の男女の恋物語からはじまり、そこにナポレオンがロシアに攻めてくる話がからんできて、戦争の中、さまざまな悲劇が生まれる。

(以上)

 

 物語には、ロシアの「貴族社会」が細かく描かれていて

前半は、華やかにして、たいはい(退廃)的・・

 ですが、後半、ちがって来ます

・・・

戦争という・苦なん(難)を けいけん(経験)した

若い主人公の「ロシア貴族」たちは

自分たちが

「今まで、いかに自由な身柄に立脚した悩みを持っていたか!?

思い知り

せいしん(精神)面での生き返りを 果たしていきます

 

作品には、

理知的な貴族
チャラい貴族
まじめな貴族

が出てきて、それらはトルストイの分身。

 

文ごう(豪)の、歴史や戦争や英雄、そして神に対する考え方が、浮き上がる仕組みです。

 

 自身、クリミア戦争に参加し

革命前の格差社会を見てきた・トルストイだからこそ書けた、

この、いだいなる文学作品・・

 

きっと、

今回のウクライナ戦争の後にも、

やられたウクライナからはもちろん、

攻めたロシアからも

いだいな文学作品が、悩める・現代作家によって 書かれることでしょう。

 

 いつだって、たましいに突き刺さる人間文学は、

時代の苦つう(痛)の中から 生まれいづるものだから・・

 ですが、クリン🐻、そんなすごい文学なんか、読めなくてもいいから、

いつも、のほほんと平和な、ぬるま湯の世界でありつづけてほしい

って、

ねがいます。。

 

 

 

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李良枝『由熙』感想

2022-01-23 | 本と雑誌

岡きよしさんの本を読んだ・クリンは、

 若い人に何かしらの技能を教え、

なおかつ心の成長を助けてきた・先生たち

って、

昔も たくさんいたし、

今もたくさんいるんだろうなあ~って

あらためて 気づきましたが

しん(親)友・チットもさいきん、とある小説のあとがきを読んで

「何をしたのか気になる先生が現れた」

と 

言っていました。(※今日はその話)

 その小説とは、『由熙(ユヒ)』。

在日韓国人作家・イヤンジ(李良枝)が書いた、

芥川賞作品です

 


~あらすじ~

 

在日韓国人のユヒちゃん(27さい)は、

早稲田大学を中退し、ソウル大学に留学。

しかし、「母国」であるはずの韓国の、生活風土気質になじめず、

失意のうちに日本にかえる・・

日本という国にだって

芯から馴染むなど、一生かかってもできそうにないのに、、



作者の実かん(感)のこもった・短ぺんでしたが、

注目したのは、

あとがき(解説)の、次の一節です

「(李良枝は)京都の鴨沂高校の三年に編入学した。

そこで日本史を担当していた教師の片岡秀計との出会いが、彼女が自らの民族の問題に目を向け始めたきっかけである。」



 李さんは、小説の中で、「私たちがいくら気遣い、応援しても、由熙自身が考え、感じ、力を掴まえていくしかなかったのだ。」

とう(登)場人物に 言わせていますが、

この在日外国人アイデンティティーもんだいは、

だれがどう扱ってもむずかしいテーマです。



そんなセンシティブなもんだいに向けて、

李さんの学校の先生が、なにを話し、どうみちびいて行ったのか・・?

どこにも書いては いないけど、、

この先生は職業人として、一つの使命を果たしたんだね。」

と、

読者チットが、たたえていました

 

 

 

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岡潔『春宵十話』感想

2022-01-22 | 本と雑誌

 余計なじょうほう(情報)が入らない時間の中で、

ゆるやかにすごす・・

 現代社会を生きる上では、あえて作るべき

「情緒復活タイムですが、、

そんな実かん(感)を、うらづけてくれる・めいちょ(名著)

出会いました。

『春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)』

情緒のなんたるか」を教えてくれる、すごい本です!!

 書いたのは、おかきよし(岡潔)。

1901年生まれの、数学者です。

 

「ええー 数学者ぁ~~~ やだあ~話むずかしそう~

と、

 逃げかけたそこのあなた

これは、理系な本ではありません

「夏目漱石」みたいな文章を味わえる、文系のさいこうほう

みたいな本です

 

 

数学オンチなうちのチットが

数学オンチの友だちから

げき(激)オシされて、読みはじめた、『春宵十話』。

 エッセイみたいだし、寝ながら気楽に読もう~ 

なんて、

ページをめくりはじめたところ、

 あまりの内容のこ(濃)さに、

びっくりして おきあがってしまいました

 

~冒頭引用~

 人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。

私は数学の研究をつとめとしている者であって、大学を出てから今日まで三十九年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。

私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた。


・・・・・

 

 なんというか、春雨がトタン屋根に落ちて

パタンパタンって音がするのを きいているような、

おだやかな気持ちになる、

語りなんです。

 岡さんはすごい数学者、「多変数複素関数論」という、

何のことだか・さっぱりわからない りろん(理論)で

世界的に  みとめられた先生。

 

あの

ノーベル賞一番手と二番手(湯川秀樹と朝永振一郎)が 

学生時代に ちょうこう(聴講)し、

「物理学の講義より刺激的と お気に入りだったらしい、

 深すぎて・・、もはや数学そのものみたいな、

大学者。

そんな、

数字だけで 日常会話ができてしまいそうな

先たん(端)の人

が、

しっとりとした、心地よい名文を つらつら流し

なおかつ「文化の根本は情緒だ」と 力説するだなんて、

 ちょっと いがいすぎて、完全にやられてしまいます

 

数学できる人って、一般的に合理主義者で、

人の心の機微なんか分からない朴念仁のイメージがあるけど、、

あれは、中途半端な人たちの話なんだね

この人くらいハイレベルになると、それこそ突き抜けて

難問を解くのと同じ感覚なのかな?

やわらかくて複雑な物事の核に、、 近づいていけるんだね。。

 理路整然としながらも、数学者が抽象的な概念を明らかにすることに長けている

というのは、

こういうことなんだね~

 

と、

チットも、深く・かんしんしていました。

 あ、でも、そんなに むずかしい本じゃありません

良いこと書いてあるページに、片っぱしから・折り目をつけたくなるくらい

美しい言葉が 

おりかさなっている本です

 



【おすすめ度:きわめて。

 

 

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内田樹『街場の芸術論』感想

2021-12-22 | 本と雑誌

今年のレビュー、今年のうちに

ってことで・・

 今年さいごに、内田たつる(樹)さんの本を ご紹介します。

『街場の芸術論』です。

 内田さんは、、何て言うのかな?

「肩書き」としては一応、

フランス文学者で、哲学の先生です。

(メディアに引っ張りだこな・売れっ子ですが、

いわゆる「傍系の学者」さん(?)なのかもしれません。

 新聞コラムなどでよく名前をお見かけしていて、

クリンたちも、社会学者だと思い込んでました💦)

 うちのチットは、この方の「街場(まちば)シリーズ」が好きで

街場の天皇論
街場の戦争論
街場の文体論・平成論・アメリカ論・教育論・憂国論・親子論・日韓論

など、

読破しています

 

「何が良いか」というと、

 文章がわかりやすくじしょう(事象)を的確に分析し、

ズバリ言い表してくれる、

快さ

 

近年、現代文のテスト問題にも

使われているらしいのですが

みんながうすうすかんじていて、さりとて言葉にはしないし・できない想いを、

むずかしい言葉を使わずに さらっと述べて、

ふに落ちさせてくれる

 

そんなかんじ。

 

(※タイトルに「街場」ってつけてるだけあって、、敷居が高くないんですよね

 

 今年・2021年出版された、こちらの「街場の芸術論」は、

そんな・気さくな内田さん

が、

自分の好きな芸術家について、サクッと深く語った本でした。

 テーマは、三島由紀夫、小津安二郎、宮崎駿、村上春樹

その他音楽家たちで、

名前だけ見ると、(・・何を書いてあるか分かりそうなラインナップだな。)

と、

失礼ながら・期待うすに かんじるのですが、、

読んだらやはり、面白い

 目の前で、パンパンって、手を打たれたような気が

ずい(随)所でするそうですから、

 つまり、内田たつるは、、

読者(チット)の「啓蒙」に、成功している

と 言えるのでしょう。

 内田さんの「各人論」を、ようやく(要約)すると・・

三島由紀夫は、

「自分は余人によって代替し得ない使命が負託されている」と感じた政治の季節の単独者であり実践者であった。

とし、

小津安二郎は、

登場人物たちに直截にメッセージを発信させることなく、心のコンテンツを発露させえた、旧き日本の贈り主であった。

とし、

宮崎駿は、

小津安二郎やジョン・ウォーターズやデヴィッド・リンチと同じく、観た後にとりあえず何か言っておかないと自分が何を観たのかわからないまま宙吊りにされて気持ちが落ち着かなくなる映画の作り手であった。

とし、

村上春樹については、「一読者として、もっぱら村上作品からいかに多くの快楽を引き出すかが僕の関心事だから、」

っておっしゃって、そんなに分析していません。

 すいません🙏もっと良い表現で、うまいことを書いているのですが、

なにせ、、

クリンたちの「要約能力」では

上記が 限界なんです・・

 なので以下に、内田本の一節を引いて、

さんこう(参考)にしてもらえればいいかな

って 考えます

 

~『問うことの暴力』より~

 

小津映画では、観客が知り得ない重要な事実を俳優が台詞で「順序立てて説明する」ということはほとんど起こらない。
それは「説明」という行為に含まれる本質的な暴力性を小津が嫌って(というより怖れて)いたからではないかと私は思う。

 

・・人にはそれぞれ他人には言えない事情がある。触れられただけで皮膚が破れ血がにじむほどの深い傷を抱えている。
あえてそれを問うのは「真実の探求」に似ていて、非なるものである。・・

 

「問わない」という気づかいが時には必要なのはほんとうである。「問わない」人にしか自分を託せないほどに疲れ切ることが時にはあるからだ。


小津安二郎はそのような人間の疲れ方をほんとうによく知っていたのだと思う。


 ・・・こういう、やさしさがステキな、学者さんです

 

 

【おすすめ度:

 

 

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『声を限りに蝉が哭く』中津燎子・感想

2021-12-21 | 本と雑誌

柿を送ってくれた

お母さんから、

クリンって、蝉の鳴く小説特集っていう、

ブックレビューしてたでしょ?

ぴったりの本、見つけておいてあげたわ

告げられました。

(お母さん、、ブックレビューはとっくに終わったから、セミ本はもういいんだけど、、)

って、

口ごたえするのもナンだな・・

と 思ったクリンは、

 お母さんオススメの本、『声を限りに蝉が哭く』

を 借りてみました。

 書いたのは、なかつりょうこ(中津燎子)。

 

昭和の英語教育者で、

『なんで英語やるの?』という・ちょ(著)作がある方です。

(大宅壮一賞受賞

 中津さんは、お父さんが

ロシア語の通訳を やっていたので、

ウラジオストク・生まれです。

 そのお父さんは、関東軍の工作員でもあったため

中津家のくらしは・つなわたりを強いられる、ヒリヒリしたもので・・

 

幼少期の中津さんの「記憶断片」には、

日本人学校の同級生や、

ロシア人家政婦マルシアの思い出とともに、

スターリン体制下のきょくとう(極東)のフンイキや

日中戦争下のきんちょう(緊張)が、

 割れたガラスのように、するどく光っています。

 彼女は戦後、日本で「英語電話交換手」をつとめ

生きた英語を 見につけました

が、

今回のエッセイは、「語学の達人」としての

それではなく、

 80代になった・中津さんが、

気骨ある・おばあさんとして

この世を去る前に、

今の日本人に言っておきたいことがあるのよ!!

的な、

「置き土産本」でした。

 後半なんてまさに、「哭きまくるセミな風情」の、

力強い・メッセージが 込められています

 

 

中津さんは「戦争体験者」として、

戦争を体けん(験)していない人が、あたかも物知り顔で 戦争見解を発信していること

けねんを示し

「人間って、よくも悪くも実体験からしか学習できない動物だけど、

「戦争のナマ体験」ほど、未経験者たちにとって わかりにくいものはないのね。」

と・・

心がざわついた理由を 語っています。

 

その「違和感」は、

 かの有名な詩人で「劇作家」の

てらやましゅうじ(寺山修司)の短歌

にすら 向けられ

「 マッチする つかの間海に霧深し 身、捨つる程の祖国はありや 」

は、

良い短歌だけど・・

B29から逃げまどっていた自分が、昭和20年によんだ歌にくらべると

とんでもなくゆとりがある。

と、

おっしゃっています。

 

あのころ、私達日本人は、鉛色の顔をして押し黙っていたけれど、

自他共に総玉砕することしか考えていない軍人たちが強制してくる、『名誉の戦死』のヒステリックなお手軽さが

本当に嫌だった。」


と、

本音をぶちまける、中津さん。

 ~以下、すごかった部分を抜粋します

 

「戦争末期の沖縄戦で民間人の家族に手榴弾を手渡して、自決を命令したとかしないとかということを争っている軍人さんの話ほどコッケイなものはない。

従軍慰安婦として女性をかき集めた折の公的書類がないからそんなことはなかった‼️と言っている人たちと同じくらいアホらしい。


軍人が、負け戦の戦場で手榴弾をだれかに手渡したら「死ね」と命じたことであって、他に何があるのか?

あの八月十五日からの一週間、日本中のあらゆる組織や機関で燃やした書類がどれだけの量あったか見たこともないくせに、「書類がないからそうした事実もなかったはず」などとノーテンキなことを言うのはやめてほしい。バーカ。」

 

こんなかんじに、迫力まんてん(満点)です

 

 80代になったら丸くなり、ニコニコ柔らかいものごし

老女に求める「日本の風潮」って

ありますが・・

中津さんみたいに、ハッキリ・ものを言えるって、

やっぱり、長年、外国人と接してきた人だよなあ~

「国際人」って、これだよな

って、

クリンたち、あっとうされたのでした

 

 

【おすすめ度:

 


(すごく長くなっちゃったけど、とりあえず、お母さんへのギリも果たせたし、今年中に「蟬」関係のレビューを全うできて、良かったです~🐻

 

 

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蝉の鳴く小説・完(九相図)

2021-11-16 | 本と雑誌

 「 しずかさや 岩にしみいる 蟬の声 」

ばしょう(松尾芭蕉)がよんだ 立石寺には、

九相図がある。

と 聞きました。

 くそうず(九相図)とは、

人間が死んだあと、白骨化するまでの9段階を 描いた仏教画

で、

たいていモデルは女。

小野小町とかが多いです


 

死体は、

くさる
ふくらむ
臭う
黒ずむ
溶ける
犬や鳥にあさられる
散り散りになる
骨になる

灰になる。

(9段階)


・・どんなに見た目が キレイだろうが、一枚皮をはいだら、

みんな汚い

 それが分かったら、肉欲をたち

修行に はげみやがれ


という、、

戒め目的で、だいたい描かれています。

 だから、しゅうちゃく(執着)さえ冷めてしまうほど

その絵は みにくく(醜く)

気持ちわるい・肉のかたまり(塊)として 

克明。。

 なのに 一方で、絵には・・ 

はかなさ、

かなしさ、

むなしさ、

あきらめ、

そして

それらを包み込む、仏へのいけい(畏敬)をも 含めた、

 いくたのかんじょう(感情)を しずかに沸き立たせる

死への メメントモリスイッ

が 

そうちゃく(装着)されている・・

そこが、

九相図の 

見入ってしまうところです。

「蟬の鳴く小説特集」のさいごに、セミでも小説でもない絵を持ってくるって何

って

自分で ツッコんでおきますが・・

 ・・死んだあと、ころがって、バラバラのカサカサの粉々になって 

消えていった

セミのなきがらを、

秋の初めに

たくさん、見たので🐻


なんか、いっしょだな~って 思って。。



「蝉の鳴く小説特集」は、これにて終わりです 

お読みくださいました・みなさま🐻 ホントにありがとうございました

気がつけば ギャオォ・・もう冬ですね。


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蝉の鳴く小説・19(土屋博映『奥の細道が面白いほどわかる本』感想)

2021-11-14 | 本と雑誌

日本人にとって

セミの鳴き声をもっとも・感じる文学

とは、

「 しずかさや 岩にしみいる 蟬の声」

・・・

この句に尽きるのでは ないでしょうか

まつおばしょう(松尾芭蕉)

山寺にての 一句

です。

 

『奥の細道』は、小説ではなく紀行文だけど、

どんなにむずかしくとも、

一生に一度は 当たらなければならない・・


とはいえ

(読破なんてできるのかな 古文だし、、

と・・

迷える子羊だった・クリンたちを 

みちびき

完ぺきに りかい(理解)させてくれた本 が、これです

『奥の細道が面白いほどわかる本』。

書いたのは、

つちやひろえい(かんじ:土屋博映

 

代ゼミで、古文を教えていた

「名物講師」だそうですが、

そう・・

 まるで高校生に説くように、上手にかみくだいた

参考書なんです。

「原文・解釈・超訳、プラス芭蕉と曽良の会話まで創作」した

この本・・

「初心者向け解説本」の ていさい(体裁)を

とりながら、

よく読むと

俳人「芭蕉」の心に、深く分け入っていて

かんどうします

「良書には、良い魂が宿る」と 言いますが・・

この書にも、

「国語教師の、善なる・たましいが宿っている。」

そんな、気がします


 ほら 国語の先生って老若男女を問わず、

どこか一本、ピシッとすじが ってますよね

 

「どんなに時代が変わっても、自分たちは物事の本質をおさえているから、磐石だよ

 

みたいな・・

 そんな声が、この本からは 聞こえてくるんです

(※小説家の声とは別物)

 ちょしゃ(著者)の土屋先生は

高校生のころ、

荻原井泉水の『奥の細道ノート』なる本を

読み、

(誹諧はもとより、文学ってすごいんだなあ・・

キョーレツに かんじたそうです。

その時の発見のDNAが、この本には 受け継がれている・・

 

そんな・気づきも 心地よい


 (『奥の細道』読めるかな?)って、不安な方に

かしてあげたいですね

 

 

【おすすめ度:

 



(次回、最終回です

 
 
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蝉の鳴く小説・18(イソップ物語『蟬』感想)

2021-11-11 | 本と雑誌

おとぎ話のセミといえば、

西洋のお話にも セミの話が

あります

 イソップ物語の、『蟬』です

 

<内容>

 その昔・・詩歌の女神ムーサイ 

生まれ、

歌というものが この世にあらわれる

当時の人間の一部は

歌に ききほれるあまり

飲食も忘れて 自分たちも歌い

いつの間にか・死んでいた

 

その人たちの生まれ変わりが、セミである。

 

という、お話。


 西洋のセミは、そういうことになっているそうです


 よく、「ヨーロッパにはセミが少ないから

日本に来ると、ヨーロッパ人はびっくりしちゃう

って 

ききますが・・

イソップが生まれた・ギリシャには いたんですね

 

(※あの『アリとキリギリス』も、さいしょは『アリとセミ』っていうタイトルだったそうです

でもそれだと、ギリシャより北の国の人たちが分からないから、変更したってききました



 ギリシャのセミの鳴き声を、ちょっときいてみたい

と 思った、クリンでした

 

 

【おすすめ度:あえて読まなくても。

 

 

(※次回は、松尾芭蕉『奥の細道』について、書かせていただきます~)

 

 

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蝉の鳴く小説・17(夢野久作『ツクツク法師』感想)

2021-11-09 | 本と雑誌

「坊さんが蝉になって鳴く・・」

と いえば、

 ゆめのきゅうさく(夢野久作)の

『ツクツク法師』なる・ちょうたんぺん(超短編)

が あるのを

ご存知でしょうか

 平成の終わりごろから、またも

若者の間でブームになっている

という

「夢Q」 ・・←って略すらしい、今は

 読むと「精神に異常をきたす」ドグラ・マグラ作家の

手になる

おとぎ話は、

みじかくとも じゅうぶん気持ちわるいです。

 <ツクツク法師あらすじ>

 

昔あるところに・・

欲ばりの 坊さんがいました。

貯めていたお布施を 誰にもとられないよう

木の下に埋めていた坊さんは

ある日、

飢饉で困った百姓たちから「お金を貸してほしい」と 

懇願されますが、

「うちには金なんかない

ことわり、

あとで、隠し金のことがバレて、たたき殺されます。



 金をうばわれた坊さんが 埋められた

木の下からは・・

小さなセミが うじゃうじゃ

はい出してきて

「惜しいツクツク、オシイツクツク・・」

と 

金のことを惜しみ 鳴くので

村人たちはこのセミを、つくつくぼうしと 名づけた。



~おしまい~



 (ダジャレにしては、たち悪いですよね・・)

 

【おすすめ度:

 

 

 

(※次回は、イソップ物語の『蟬』を、ご紹介します 夢Qについては、いずれまた・あらためて

 

 

 
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蝉の鳴く小説・16(添田唖蟬坊『金々節』感想)

2021-11-07 | 本と雑誌

名前に「蝉」が入る人で

思い出しましたが

うちのチットが 昔しらべていた人に

 そえだあぜんぼう(添田唖蟬坊

という、

えんかし(演歌師)がいます

「演歌師」というのは「演歌歌手」のことではなく、

えんぜつ(演説)をぶつ人

 文明開化の壮士芝居の流れから 生まれた・えんか(演歌)・・

それは

明治・大正の政治や社会を 

批判・風刺する

下からの、元気な大合唱であった

そうですが、

その先頭で、大声を はりあげていたのが

 この、そえだ・あぜんぼうです

 

「ああ金の世や金の世や~ 地獄の沙汰も金次第~

 

 辻バイオリン弾きが、この俗よう(謡)を 

弾き語りしているのを🎻

映画などで ごらんになった方、

いらっしゃるのでは ないでしょうか?

(あぜん坊の歌です

 

お前この世に何しに来たか~ 税や利息を~払うため~

華族の妾のかんざしにピカピカ光るは何ですえ~
ダイヤモンドか違います~

可愛い百姓のあぶら汗 トコトットット~

 たいしゅう(大衆)のなげきを

歌いながらも

「パイのパイ」とか、
「チョイトネ」とか
「トコトンヤレトンヤレナー」

など、

したしみやすい・節まわしをつけて 口ずさみやすくした

作詞の天才・あぜん坊

は、

数々の流行歌を生み出しながら、

暗い世相を かきまわしていました

 本人・・、実は 秀才でしたが、

運にめぐまれず

色々苦労したため、

非力な人たち(貧民層)に 心を寄せて

「社会主義運動」に のめり込んで行ったらしい。

 

大正えんか(演歌)は、彼につづけ

とばかりに

さわがしく

また、全盛を むかえていきます

 <ひとつ・ご紹介「金々節」

金だ金々 金々金だ
金だ金々 此世は金だ

一も二も金三も四も金だ
金だ金々 金金金だ
金だ明けても暮れても金だ
夜の夜中の夢にも金だ
泣くも金なら笑ふも金だ
バカが賢く見えるも金だ
酒も金なら女も金だ
神も仏も坊主も金だ

 

金だ元から末まで金だ
みんな金だよ一切金だ
金だ金だよ この世は金だ


金・金・金・金 金金金だ!!

 

 ・・こんなふうに、この世のしんじつ(真実)を

歌いつづけました



【おすすめ度: 今気づいたけど、これ小説じゃなかったですね・・】



 

(※次回は、夢野久作の『ツクツク法師』、いきます

 

 
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蝉の鳴く小説・15(伊坂幸太郎『グラスホッパー』感想)

2021-11-04 | 本と雑誌

「今・活躍中の作家さん」

といえば、

そのトップバッターの1人

いさかこうたろう(伊坂幸太郎)が書いた、バッタの物語

が 

いささか・おもしろかったので、あげておきます


 『グラスホッパー』です

(※トップバッターバッタをかけましたウフフ

あっ、あと、いさかいささか


・・ウフフってあんた、『蝉の鳴く小説』の紹介を 

やってるんじゃないの~?

この本、バッタじゃん

セミじゃないじゃん(親友チット)


 大丈夫
セミも ちゃんと、出てきます。

 

 登場人物の一人が「蝉」っていう名の、殺し屋なんです

 小説『グラスホッパー』は、

「殺し屋さんのお仕事」を描いた

中へん(編)


そこそこの使い手である、三人の殺し屋が 出てきます

ナイフ使い名人の「セミ」、
自殺させ名人の「クジラ」、
背中押し名人の「アサガオ」、


この三人が、

ターゲットを消しながら、三つ巴で戦い

 そこに、鈴木という一般人が加わって、

鈴木がたいへんな目にあう

という、、

どこか笑える・アサシン小説です

 作者は、場面をくるくる転回させて、

たえず、読者を キンチョ~させながら

アクションと

バイオレンスと

都市のやみ(闇)と

家族あい(愛)と

そうわ(挿話)と

伏線を、

全部入り・させています

(※後半の2つは、毎回のように入っている「伊坂な味付け」ですね


   読書でおなかいっぱいになりたい方に 

オススメです

 

 

【おすすめ度:-0.25

 



~以下、都民のみなさまへ。~

一つだけ気をつけておいたほうがいいことがあります

この小説、たびたび「藤沢金剛町」という地名が出て来ます。新宿からそうとおくない繁華街とのことですが、

それは、架空の地名ですので


 うちのチット、気になって「場所を特定しよう」

と 考えすぎてしまい、

つかれていました

 

 

(※次回、セミの鳴く小説特集は、明治・大正の演歌師、添田唖蟬坊を とりあげます

 
 
 
 
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#蝉の鳴く小説・14(櫻田智也『 蟬かえる』感想)

2021-11-02 | 本と雑誌

クリン、

あまり・現代作家って 知らないから

この人のも しんせん(新鮮)でした

 さくらだともや(櫻田智也)

『蟬かえる』

 現在44さいのミステリー作家さんは、

登場人物の名前を

糸瓜京助(へちまけいすけ)
魞沢泉(えりさわせん) 
鶴宮逸美(つるみやいつみ)

といった

キラキラネームにし

しかも「年齢設定」は、20代後半から30代半ば

と、

若い読者の囲い込みを狙っているのが 

みえみえでは ありますが、、


 その、イマドキ作家あるあるな

きしかん(既視感)を、

しっかりとした・きょうよう(教養)で やぶっていく

ペン技を 持っています。

 小説のストーリーは・・ 
山形県の「修験の里」に

災害ボランティアに来た人

が、そこでフシギ体験をする。

さすがは 出羽三山の近く、、

と いった異界シンクロもので、

 山岳信仰や、田舎の因習といった

ようそ(要素)を まじえた、

まさに

夏の読書に うってつけの本

 

 

「神域のの描写」なども みごとで、

じょうけい(情景)が、すぐにイメージできました

 この小説、「えりさわせん(魞沢泉)」

を主人公に、

(ドラマシリーズにしたいのかな)っていう・いと(意図)も 

かんじられましたが、、

 

ちょっと・面白いから

深夜枠で、ぜひドラマを作ってほしい

と思いました。


(同じ本に入っている他のも読みましたが、伝説のドラマ「TRICK」
をほうふつさせましたね)

 あ、ちなみに、

この作品の中で、

「蟬供養」や「昆虫食」についての記述が 出てきます。

 

 

クリン、知りませんでしたが、

セミってたんぱく質ほうふで、揚げものにすると なかなか美味しいらしいです。



 あんまり食べたくないけど、、

 

 

 

 

 

【おすすめ度:←ラストの種明かしが余計でしたね

 

 

 

(※次回は、伊坂幸太郎の『グラスホッパー』をレビューします

 

 

 

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蝉の鳴く小説・13(本多孝好『蟬の証』感想)

2021-10-28 | 本と雑誌

セミの鳴き声に、生命の終わりぎわを 重ねた小説・・

たくさんありますが、

 本多孝好の短ぺん(編)『蟬の証』は、

そんな・重圧はなく、

さわやかな「読後感」です

 設定は、現代。

主人公は、

こらえしょうのないプータロー青年で、

ヒマな彼は

老人ホームにいる・おばあちゃんに たのまれ、

ある「高齢男性の秘密」を 探ります。

 いつも・かもく(寡黙)で

人まじわりのキライな「高齢男性」が、

ここに来て、

なんだか・チャラい若者とのトラブルに 巻き込まれているように

見える。。

 

大丈夫なのか?

 



小説では、

「高齢男性」というのが、

死を間近にして 声高に鳴き始めた

「セミ」の 役まわり


 (どうして、死ぬまぎわに そんなに鳴くの

・・・・

その理由を 探っていくと、

平凡だけど、

ちょっと好かん(感)の持てる

ハートフルな 結末が来て、、



半年もしたら、

内容は、忘れちゃいそうなほど 軽いけど🎈、

 この作者、わりと好きだなと思いました。

 

 

~2行抜粋~


(女は)「地味なワンピースを着ていた。別にどうでもいいんだけど裸ってわけにもいかないし、という感じの着こなしだった。御飯とおかずが一緒になっているという理由でオムライスを好むタイプだ。」




きてい(基底)のしっかりした・文章表現で 

すすんでいるのに、

こんな・さばけた描写が

息抜きに なります

 

 

【おすすめ度:ヒマな時に。

 

 

(次回、櫻田智也の『蟬かえる』をレビューします

 

 

 
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