二・三日前のしんぶんを
せいり(整理)していたチットが、
「柳橋「最後の花街」解体 名門料亭・いな垣」(東京新聞)
というキジ(記事)に、目をとめました
いながきというお店は、
花まち・やなぎばし を
代表する
ゆいしょ・正しき「高級料亭」で、
あの、田中角栄・もと首相も、
「ここで派閥の旗揚げを行った」
そうです
クリンも、
やなぎばしについては
「吉次姐さん※みたいなかっこよくて・美人の芸者さんがいる」
ってことで
ちょっとばかし・知っています。(※はいからさんが通る)
れきしにくわしい・チットによれば
ここには
「気風がよく
自尊の気概を見せ
その場その場にふさわしい身の置き方をし
当意即妙の応対ができる」
と
めいじ(明治)時代のオピニオンリーダー・「成島柳北」の
りそう(理想)と
ぴったりイッチする
おねえさんたちが、たくさんいたそうです
でも
時のながれとともに
花まちのお店はきえ、
小イキでアダな ねえさんや、
江戸のおもかげ・メイジのおもかげが
すみだ川のほとりから
きえうせていったようです。。
かふう・おじさんの時代でも
江戸シュミ(趣味)や江戸文化は、
かろうじて 「花柳界」のなかにのみ
うけつがれているって、
かいてあります
かふう・おじさんみたいな
花まちのたつ人だけでなく、
明治・大正時代には
「花柳小説」が、
いっぱいかかれたんだよって
チットが言っていました。
「牡丹の客」~いつもながらに男女のグダグダをえがくのがうまい、かふう・おじさん
この、「ぼたんの客」も入ってる
「花柳小説名作選」
っていう本の
あとがきで、
丸谷才一・おじさんも、こう言っています。
「花柳小説の書き方には、
一人の女の生きてゆく姿を、
春夏秋冬の 移り変わりみたいなものとして捉え
そこに、あわれをおぼえ、人生をみる、ということにある。・・・」
・・・・・
じょうちょを作ってた、
花まちと、ねえさんたち
またひとつ
すてきなおもかげが
なくなってしまい、
さびしくなってく、江戸をおもう クリンです。