「バイバーイ
」
両国さんぽをおえた、
午後3時半
クリンとチットは、
両国えき(駅)で 「歴友」と別れ、
もう少し、歩くことにしました。
夕こく(刻)の すみだ(隅田)川を 見てかえりたいのです
先ほどの「回向院」のところから、
両国ばし(橋)をわたって、川の向こうへ行きます
明治のころまで、「大川」とよばれた 「隅田川」は、
「
水青く、波の上には都鳥
待乳山の森に
浅草寺の塔の影、
船人に
隅田堤の 雪月花。
その四季折々の川の姿は、東都一の絶景
」
と、
ほめちぎられていたそうです。
それからずいぶん 長い間、くらく・よどんだ「墨田川」となり、
花火の夜を のぞいては
よりつく人も
いなくなりました。
でも・・・。 今見る、はれた日の夕ぐれは、
みなも(水面)が キラキラかがやいて、
わりと キレイです
うちのチット
によると、昔の小せつ(説)に出てくる
すみだ川には、
きし(岸)辺の 水中に
たくさんの くい(杭)が
打ち込まれた、
「百本杭」とよばれる場所が
あったそうです。
<小林清親作 明治13年 横浜美術館蔵>
波よけと
ごがん(護岸)のために
打ち込まれた・くい(杭)には、
魚があつまってくる
だけでなく、
よく どこからか ながれてきた、
人間のいたい(遺体)が
引っかかっていたと言います。
この川岸には 今も、
お家がなく
行き場もなく
弱った人の
かげが見えますが、
そういう人々が、じっとすわって 夕日をながめるさまを見ると、
「
人の世のかなしみを たたえた、
切ない流れに見える。」
と、チットは言います。