だいじな せんきょ(選挙)がおわり、
昨夜は
「選挙特番」が 組まれました
各・テレビ局、
なかなかの 取材ぶり
かいせつ(解説)も ふくめて、
工夫を
こらしていました
でも
そこだけ がんばったって、しょうがない
今回の せんきょ、
「経済成長、止めてもいいの」
と
首相が言って はじまって、
このあと 予定されている、
「防衛問題」や、「憲法問題」や、「エネルギー問題」とかは、
ほとんど
すっとばされるような かたちで、
せんきょ(選挙)期間が
すぎました
うちの家ぞくは
そのことで、
マスコミのことを かなり、
おこっています
「
ここまで
色んなことがあったから、
こんなん・なるのも
解るけど、
これじゃ、ジャーナリズムの体を 外してるね。
『政府の犬』とまでは言わないけど、
もはや、
『政府の猫』だ。」
と つぶやき、
「いっしょに、するんじゃねえ
」 と、近所のネコちゃんに
怒られ、
かべ(壁)ドン されました
「ジャーナリストの真価」
について
語るとき、
しかと 思い出すのは、
きりゅう・ゆうゆう(桐生悠々)
のことだ、
と
うちのチットが さわいでいるので
ちょっと
その、「桐生悠々」のこと
話します。
「桐生悠々」という人は、
あまり
知られていませんが、
大正・昭和に
かつやくし、
当時 有名だった
しんぶん(新聞)人です
明治6年生まれらしく、自分の考えを 自由に発表するため、
「大新聞社」を
わたりあるき、
ペンの力で
世の中を うごかそう と、
言うべきことを
言いつづけながら
生きました
その、ひはん(批判)の 矛先は、
せん(戦)前、
日本を おおった「軍国主義」にも
向けられ、
それがために、当局から マークされ、
「信濃毎日新聞・主筆」の座を
おわれたり、
不買うんどう(運動)を
おこされたり、
個人ざっし(雑誌)が
はい(廃)刊に おいこまれたり
たいへんな目に
あいつづけました
でも
「ジャーナリストの使命」を、りかい(理解)していた
ゆうゆうは、
個人ざっし(雑誌)、
「他山の石」を
がじょう(牙城)とし、
死ぬまで
たたかったのです
たくさんの じょうほう(情報)を、
冷せい(静)に分せきし、
現状を
正しく はあく(把握)して
自分の主ちょう(張)を 述べる。
それが、
「言論人の責任」 であり、
キケンな方向に
流れていくのが わかったら、
じたい(事態)を
少しでも 正しい方向に
向けようとする、
きがい(気概)
「それを失ったら、言論人は おしまいなんだよ!」って、
こうどう(行動)をもって
しめした・ゆうゆう
その
死ぬ前によんだ、
「 蟋蟀は 鳴き続けたり 嵐の夜 」
と
いう句に、
小さくても はっきりとした声を
きける、って
うちのチットは 言ってます