<あかつき公園より、聖路加ガーデンをのぞむ>
文明開化・先がけの地だった、
つきじ(築地)明石町。
そこは、げん(現)在、「聖路加病院」の町
となり、
表向き、はっきりと
洋風ですが、
もうちょっと すみだ(隅田)川河口に近づくと、
古くて、しっとりした、江戸のじょうちょ(情緒)が まざってきます
(←運上所跡)
ふと、
目を上げると・・
(なに この大きな・りょうてい
)
(「つきじの治作」・・・?)
昭和6年から・つづき、ツウ(通)な人々
が 通ったという、
水炊きの
高きゅう(級)りょうてい(料亭)
だそうです。
・・・・・・
(そういえば、この町は
こんな りょうていがお似合いの、
お姉さんがいたっけ)
クリンは
思い出しました。
日本画家・かぶらき・きよかた(鏑木清方)
は、明石町で生まれ育ち、
朝な夕な、すみだ川を海に向かう船
を ながめてくらしました。
自分と同じように、
河口の船をながめる・美女は
つきじ(築地)にただよう
「異国情緒」をまとった、
新時代の女性です
かみ(髪)は、夜会まき(巻き)
そして中に、長じゅばん(襦袢)を着ない、すあわせ(素袷)
おまけに、たび(足袋)ははいてない
(素足)
これぞ!当世の イキ・すがた(粋姿)
とされた時代に描かれた、
美しい人の絵は
その名も
「築地明石町」です
(つづく)