「雑司が谷霊園」に向かう、住宅がい(街)に、
「旧宣教師館通り」という
小路があります
つきあたりにたつ、さわやかな コロニアルの木造けんちく(建築)は、
「旧宣教師館」というそうです。
ここは、かつて アメリカ人のせんきょうし(宣教師)、
ジョン=マッケーレブが
住んでいた家
布教と じぜん(慈善)と
教育に 明けくれた、
ピューリタンの住まい・・。
マッケーレブ
は、明治時代に来日し、太平洋戦争直前にきこく(帰国)するまで
50年間、日本で過ごしました
さいしょは つきじ(築地)、
のち神田・四谷・小石川、
とうつりつつ、
さいごに、この「雑司が谷」に やって来ました。
けいけん(敬虔)なクリスチャンだった
マッケーレブは、
清教徒の名に ふさわしく、
つつましやかに くらしながら、
まずしい人や、困っている人に ほどこしをし
、
子どもや青年の教育に 力をつくしました
しんさい(震災)や、経営なん(難)で、いつも苦労
自分で作った野菜を食べて
しょっちゅう おなかをこわしながらも、
がんばって
日本人にやさしくした マッケーレブを
日本人も そんけい(尊敬)したそうです
自分のお父さんが、兵役を拒否したのに 戦地に送られて亡くなったこともあり、
マッケーレブは 帰国後、
余生を
「良心的兵役忌避の運動」に ささげました
そういう・うんどうをする人は、
アメリカでも
かなり迫害されるというので、
その人生は まさに
天に召される そのしゅん(瞬)間まで
ものすごく たいへんだったはず・・
今見る、白とみどりのたてもの(建物)と 花咲くお庭
は、
のんびりとして
平和そのものの たたずまいなのですが・・
(つづく)