皿やしき(屋敷)の町・番町
江戸時代、江戸じょう(城)の西におかれ、
一番町~六番町に
区分けされた この町は、
ばくふ(幕府)直ぞく(属)である、はたもと(旗本)のやしき(屋敷)町でした
しかし、ばくふ(幕府)がたおれる
と、明治政府の官員
が
引っこしてきて、
やがて、そこには、「新種の人々」も あつまってきました
そのグループのひとつが、
学校かんけい(関係)者です
今、げんざい、番町から九段には、東京の名門
とされる・女子高が そろいぶみし、
「番町学園通り」を
形成しています
おおつま(大妻女子中・高・大)→
←東京家政学院
女子学院→
←千代田女学えん(園)
ふたば(雙葉)→
(へい(塀)、高っ・・)
女子高以外にも、九段小学校や、
番町小学校があり、
ここを出た・子どもたち
が、こうじ(麹)町中学校・日比谷高校・一高・帝大とすすんだのは、
そんなに古い話では
ないそうです。
(つづく)