クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

鬼子母神の伝説~雑司が谷散歩・7

2015-04-05 | クリン江戸散歩

 「都電荒川線」のせんろ(線路)をこえて、反対がわに行くと、

   きしもじん(鬼子母神)があります。 

 「鬼子母神」とは、おに(鬼)から子育ての守り神になった、女性神

インドの夜叉の 娘です。

 昔々、とついで千人の子どもを産んだ・夜叉の娘は、

近所の人の子をさらい、

自分の子どもたちに食べさせていました。

それをきいた「お釈迦様」は、

夜叉の末の子を かくしました。

半狂乱になった夜叉に、

おしゃかさまは、

「子どもを奪われる親の悲しみが分かったか

と 

いっかつ(一喝)

 夜叉は、つみを悔いて、その後、子育ての神になりましたとさ

・・・・・

そんな伝説も、本当にあったと思わせてくれるのが、

けい(境)内の大イチョウです

 (樹齢600年の子育て公孫樹

すごい・・・

 「恐れ入谷のきしもじん」  「クリン、それは台東区。場所違うからね。」(チット)




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鬼あざみ清吉の墓~雑司が谷散歩・6

2015-04-04 | クリン江戸散歩

 「豊島区・旧宣教師館」から、目とはな(鼻)の先に、

「雑司が谷霊園」が あります。

 ここは、名だたる文ごう(豪)や教育者などが眠る、

都内くっし(屈指)の 

ブランドれいえん(霊園)

 小説・「こころ」のブタイ(舞台)になったこともあり

 夏目そうせき(漱石)のはか(墓)が、一番人気ですが

・永井荷風や、

・泉鏡花や、

・小泉八雲の はかもあったりして、

「墓マイラー」が

ひきも切らず

しかし!

道あんない(案内)もなく 広いので、

全部さがすのは けっこう・むずかしい。。

 同行のジェマちゃんなど、自分の家のおはか(墓)をさがすことさえ・苦労してました

そんな中、

クリンたちが 気になったのが、

ふと目を引いた、

「鬼あざみ清吉の墓」

 (・・・・ぎぞく?)←義賊

オニアザミ・せいきちとは、

江戸時代 有名だった「盗賊」で、

「ねずみ小僧次郎吉」みたいな・ポジションの

はんざい(犯罪)者

打ち首・ごく(獄)門になっても

ここに ほうむられ、

「歌舞伎」や「講談」、

「上方落語」で 語られるほどになった人

 (・・・・いったい、どんな、むねのすく「泥棒活劇」を えんじたのかしら

クリンは きたい(期待)して

この人のこと しらべたのですが、

ちょっと ようすが、ちがいました・・。


<上方落語・要約

 清吉は、子どものころから めんどうくさい・ワルガキで、

(これは将来、ろくな大人にならない)

と思われて、

早くから ほうこう(奉公)に出されました

しかし、十年後、

いっぱしのなりをして、親元にかえってきた清吉は、

しんみょう(神妙)な言動ながらも

「奉公人」には ふさわしからぬ

大金を もっていました

すぐに、

(悪いことをして手に入れた金だ

と気づいた 両親は、

なげきかなしみ、改心するよう言いますが、

開き直った清吉は

「だったら、あばよ」と 家を出て、

ふたたび・とうぞく(盗賊)仲間と

荒かせぎする 日々へ・・・。

http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug319.htm


らくご(落語)では、

気落ちした「継母」が死に

父が身投げをはかったところに

清吉があらわれて、助ける

というストーリーに なっていますが、

 じっさいの清吉の ぬすみっぷりは、

「白昼堂々・暴力追い剥ぎ」という

すごみのあるものであり、

ダークヒーローとは 言い切れない、

生き方と 死にかただったようです。。

 政治と治安が乱れた 江戸後期の人とはいえ、

なんとなく

きょう(矯)正できない・むずかしさを

かんじてしまう

オニアザミ・・

 「触れないで」という花言葉が、似合いすぎています。。

(つづく)


 


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雑司が谷旧宣教師館~雑司が谷散歩・5

2015-04-03 | クリン江戸散歩

 「雑司が谷霊園」に向かう、住宅がい(街)に、

「旧宣教師館通り」という

小路があります

 つきあたりにたつ、さわやかな コロニアルの木造けんちく(建築)は、

「旧宣教師館」というそうです。

 ここは、かつて アメリカ人のせんきょうし(宣教師)、

ジョン=マッケーレブ

住んでいた家

布教と じぜん(慈善)と 

教育に 明けくれた、

ピューリタンの住まい・・。

 マッケーレブは、明治時代に来日し、太平洋戦争直前にきこく(帰国)するまで

50年間、日本で過ごしました

さいしょは つきじ(築地)、

のち神田・四谷・小石川、

とうつりつつ、

さいごに、この「雑司が谷」に やって来ました。

 けいけん(敬虔)なクリスチャンだったマッケーレブは、

清教徒の名に ふさわしく、

    つつましやかに くらしながら、

 まずしい人や、困っている人に ほどこしをし

子どもや青年の教育に 力をつくしました

 しんさい(震災)や、経営なん(難)で、いつも苦労

自分で作った野菜を食べて

しょっちゅう おなかをこわしながらも、

がんばって

日本人にやさしくした マッケーレブ

日本人も そんけい(尊敬)したそうです

 自分のお父さんが、兵役を拒否したのに 戦地に送られて亡くなったこともあり、

マッケーレブは 帰国後、

余生を

「良心的兵役忌避の運動」に ささげました

そういう・うんどうをする人は、

アメリカでも 

かなり迫害されるというので、

その人生は まさに

天に召される そのしゅん(瞬)間まで

ものすごく たいへんだったはず・・

 今見る、白とみどりのたてもの(建物)と 花咲くお庭は、

のんびりとして

平和そのものの たたずまいなのですが・・

(つづく)



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雑司が谷寛のランチ~雑司が谷散歩・4

2015-04-02 | クリン江戸散歩

 「護国寺」から、「不忍通り」を歩き 住宅がい(街)に入ったところに、

めざす・料亭、

 「雑司が谷寛」があります

「寛」とは、

昭和の小説家、

みすみひろし(三角寛)の名前。

その、みすみさんの家だった、

 純日本式住宅をつかった、

完全予約制、

高きゅう(級)個室料理店

    それが、「ぞうしがや・かん」です 


http://zoshigayakan.jp/rooms.html

 この日、「坪庭の間」でいただいた、3月ランチの「蘭コース」は、

春の山野草と、肉と魚の江戸前かいせき(会席)

 みすみさんが、つけもの好きで、研究本まで出しているためか、

お酒がほしくなるような、

     ちょっと・こいめの味付けです

 クリンたち、昼からのまない女子は、ほうじ茶をのんだのですが、

お料理が はこばれるたび

お茶も 湯飲みごと・かえてもらえる

という、

とても ていねいなサービスをうけ

(おお~っ)

って 思いました

 同じく、ていねいに炊かれた 桜えびご飯は ぜっぴん(絶品)で、

 おたん(誕)生日スイーツも、金ぱく付き

まさに、

高きゅう(級)料亭・・

おたん生日の ジェマちゃんを、

よろこばせることが できました

 しかし クリンたち、一ヶ所 大きくミスってしまいます

 それは、お品書きに よめないかんじ(漢字)があり、

 知ったかした・チットが、「ノビルじゃない?」と言ったのを信じて、

あろうことか!

ジェマちゃんが、

スタッフのお姉さんに、きいてしまったのです


「これは、ノビルですか?」

「・・・これは、ノカンゾウです。」

 (ミスった・・)

(つづく)



 

 








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桂昌院の護国寺~雑司が谷散歩・3

2015-04-01 | クリン江戸散歩

「護国寺最初の観光地」は、

「護国寺」です。

 駅をあがれば、すぐ・山門

 5代将軍・「徳川綱吉」が、ママのために たてさせた、ごこくじ(護国寺)

その、ご本ぞん(尊)は

ママが持ってた、

「天然琥珀製・如意輪観音像」です

 「絶対秘仏」なので、行っても おがめませんが、

それでも!

 あの つなよしママの「念持仏」を ひぞう(秘蔵)するお寺。。

ぜったい・行って、

ソンはなし

 なぜなら、つなよしママは、もとは京都の八百屋の娘のくせに、

3代将軍・家光に 見初められ

大奥に入って

つなよしを産み、

おはらさま(将軍の母)になった、

強運女性

 「玉の輿」とは、つなよしママの本名である、「たま」から取った造語、

という説も 生まれたほど・・

そんな、

つなよしママに あやかって、

    出世したい・女子 

 出世したい男子 がこのお寺に あつまります。(※三条実美や、山県有朋の墓がありました)

 ←「豊島が丘御陵」という、皇族のおはかもあり

息子が将軍になった後も、

ママは

つなよしを コントロールし、

「儒教」に ねっ(熱)中させ

「仏教」に ねっ(熱)中させ

 「生類憐みの令」を出させるきっかけをつくり

息子を

ちょっと イカレた 将軍にしました。

 江戸時代の教育ママの寺・「護国寺」。

文京区の歴史さんぽに

これ以上 ふさわしい

訪問地は ありません

(つづく)



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