1990年3月11日は、初めてポールを生で見た日。
もう15年も前のコト!。
当時は山口県の下関に住んでいて、ピッチピチの高校生だった。年明けだったかなあ、天気のいい朝に、登校前、新聞を見ながら朝食をとっていると、「ポール・マッカートニー来日公演」の広告が!。今思えばこんな地方版によく広告なんか載せるな、と思うもんだが、「蘇るビートルズ伝説。5万人のイエスタディ大合唱!」と大げさなコピーとともに、レスポールを抱えるポールの写真を見た瞬間、軽くパニック状態になったのを覚えてる(笑)。
当時は、それこそファン駆け出し期といった時期で、ビートルズの曲に触れる度に強い衝撃を受けてまくっていた頃。でも当時、元ビートルズのメンバー達はほとんどライブやツアーなんかやってなかったから、あくまでもビートルズはCDで聴くバンド、もうライブは見れない伝説のグループ、といった存在に感じていた。だからポールがアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」を発売し、「夜のヒットスタジオ」に生出演して「ワールド・ツアーやるよ。日本にも行くよ」とコメントしたときも、今ひとつ実感がなかった。っていうかそん時のオンエアでは、久しぶりに登場したヘフナー・ベースに目が奪われて、コメント内容まで注意して聞いてなかった(笑)。今の様に楽器本も出てなかったし、本物のヘフナーなんか見たこともなかったから、クリアに映し出されたそのベースの美しさに見とれてしまっていたのだ(笑)。
とにかくまさか元ビートルズのメンバーのライブが見れるなんて想像だにしていなかった頃だから、この広告はものすごい衝撃だった。
当時はもちろんインターネットなどはなく、もっぱらツアーの様子を知るのは雑誌がメイン。「FMステーション」などでセット・リストが発表されても、「グッデイ・サンシャイン!?、サージェント・ペパー!?、どうやって演奏するんだろう、とまったく想像がつかなかった。今や、ライブ後数日の間には隠し録り音源が出回るような時代だけど、当時は海賊盤の存在すら知らないウブな状態(笑)だったから頭の中はまったくのまっさらな状態だった。
果たして、親を説得し費用を工面し(後でちゃんとバイトして返した!、と思う…)、約1000キロ離れた東京へ。
発売日に必死で電話して、やっととれた席はスタンド席だったけれど、今のようにヤフオクで大枚はたいて良席をゲットするなんてアタマもヤフオクもなかったから、自分にとっては特別な席だった。1時間くらい前には会場に入って、大判のパンフレットを、自分のと当時のバンド仲間の分と2冊買って、じっと席で眺めながら気分を盛り上げていた(笑)。そして開演!。
15分ほどのフィルム(これがまた登場までの気分を盛り上げる!)の後、とうとう本物のポール・マッカートニーが姿を現した。
「Figure Of Eight」、ドラムのカウントから始まり、ウォルの5弦ベースの重たい重低音が響き初めてからはもう興奮のるつぼ!。1曲、1曲が驚きと感動の連続だった。隣の席の女の子から何度も双眼鏡を借りて、そこにいるのが本物のポール・マッカートニーだと確認したのを憶えている(笑)。迷惑そうな顔してたけど、構わず借りた。色、白かったなあ。オレンジ色のシャツを着ていたっけ。確か「P.S. Love Me Do」が初演で、ベース持たずにマイクを手に持って歌う姿にすごく違和感を覚えたのも印象に残っている。約3時間はあっという間に過ぎて、余韻に浸りまくりながら、遠路下関へ。
田舎に帰ってからも、ああ、ポール・マッカートニーのライブを見たんだあ、という充足感というか興奮は覚めやらず、当時の高校生バンドのメンバーにライブの一曲、一曲を、練習場所にと無理言って借りてた音楽室の倉庫(音楽室はブラバンが使用中!)で解説してやった。
あらから早15年。相変わらず彼らの音楽を聞き、テレビに映りゃ、心躍らせてしまうし、雑誌に写真載ってりゃ買ってしまう。そして上達は一向にしないけど、バンドも続けてる。
たぶんあのライブを見なくても似たような生活はしてただろうけど、あの日に感じたポールの「現役感」みたいなのを、今も追い求めてるような気がする…。たぶんこれからもずっと。
懐かしい!。
思えばあの90年前後は、前年にはリンゴが来日し、翌年にはジョージが来たりとファンにとってはすごい3年間だったんだねえ。
もう15年も前のコト!。
当時は山口県の下関に住んでいて、ピッチピチの高校生だった。年明けだったかなあ、天気のいい朝に、登校前、新聞を見ながら朝食をとっていると、「ポール・マッカートニー来日公演」の広告が!。今思えばこんな地方版によく広告なんか載せるな、と思うもんだが、「蘇るビートルズ伝説。5万人のイエスタディ大合唱!」と大げさなコピーとともに、レスポールを抱えるポールの写真を見た瞬間、軽くパニック状態になったのを覚えてる(笑)。
当時は、それこそファン駆け出し期といった時期で、ビートルズの曲に触れる度に強い衝撃を受けてまくっていた頃。でも当時、元ビートルズのメンバー達はほとんどライブやツアーなんかやってなかったから、あくまでもビートルズはCDで聴くバンド、もうライブは見れない伝説のグループ、といった存在に感じていた。だからポールがアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」を発売し、「夜のヒットスタジオ」に生出演して「ワールド・ツアーやるよ。日本にも行くよ」とコメントしたときも、今ひとつ実感がなかった。っていうかそん時のオンエアでは、久しぶりに登場したヘフナー・ベースに目が奪われて、コメント内容まで注意して聞いてなかった(笑)。今の様に楽器本も出てなかったし、本物のヘフナーなんか見たこともなかったから、クリアに映し出されたそのベースの美しさに見とれてしまっていたのだ(笑)。
とにかくまさか元ビートルズのメンバーのライブが見れるなんて想像だにしていなかった頃だから、この広告はものすごい衝撃だった。
当時はもちろんインターネットなどはなく、もっぱらツアーの様子を知るのは雑誌がメイン。「FMステーション」などでセット・リストが発表されても、「グッデイ・サンシャイン!?、サージェント・ペパー!?、どうやって演奏するんだろう、とまったく想像がつかなかった。今や、ライブ後数日の間には隠し録り音源が出回るような時代だけど、当時は海賊盤の存在すら知らないウブな状態(笑)だったから頭の中はまったくのまっさらな状態だった。
果たして、親を説得し費用を工面し(後でちゃんとバイトして返した!、と思う…)、約1000キロ離れた東京へ。
発売日に必死で電話して、やっととれた席はスタンド席だったけれど、今のようにヤフオクで大枚はたいて良席をゲットするなんてアタマもヤフオクもなかったから、自分にとっては特別な席だった。1時間くらい前には会場に入って、大判のパンフレットを、自分のと当時のバンド仲間の分と2冊買って、じっと席で眺めながら気分を盛り上げていた(笑)。そして開演!。
15分ほどのフィルム(これがまた登場までの気分を盛り上げる!)の後、とうとう本物のポール・マッカートニーが姿を現した。
「Figure Of Eight」、ドラムのカウントから始まり、ウォルの5弦ベースの重たい重低音が響き初めてからはもう興奮のるつぼ!。1曲、1曲が驚きと感動の連続だった。隣の席の女の子から何度も双眼鏡を借りて、そこにいるのが本物のポール・マッカートニーだと確認したのを憶えている(笑)。迷惑そうな顔してたけど、構わず借りた。色、白かったなあ。オレンジ色のシャツを着ていたっけ。確か「P.S. Love Me Do」が初演で、ベース持たずにマイクを手に持って歌う姿にすごく違和感を覚えたのも印象に残っている。約3時間はあっという間に過ぎて、余韻に浸りまくりながら、遠路下関へ。
田舎に帰ってからも、ああ、ポール・マッカートニーのライブを見たんだあ、という充足感というか興奮は覚めやらず、当時の高校生バンドのメンバーにライブの一曲、一曲を、練習場所にと無理言って借りてた音楽室の倉庫(音楽室はブラバンが使用中!)で解説してやった。
あらから早15年。相変わらず彼らの音楽を聞き、テレビに映りゃ、心躍らせてしまうし、雑誌に写真載ってりゃ買ってしまう。そして上達は一向にしないけど、バンドも続けてる。
たぶんあのライブを見なくても似たような生活はしてただろうけど、あの日に感じたポールの「現役感」みたいなのを、今も追い求めてるような気がする…。たぶんこれからもずっと。
懐かしい!。
思えばあの90年前後は、前年にはリンゴが来日し、翌年にはジョージが来たりとファンにとってはすごい3年間だったんだねえ。