出ましたねぇ、
SPEC最終話の視聴率。
なんと12.9%!
いやほーい。
SPEC好きが決してマイノリティではない、
ということの証。
これで堤監督も安心。
これも金曜ロードショーのお陰すなぁ。
オペラ座の怪人、灰燼と化す。
実際、金曜ロードショーの裏番組で、
けっこうキツかったよな。
ハリーポッテーとか、敵は強大ですよ。
でもまぁ、視聴率にこだわり過ぎるのもどうか
と思いますけどね。
意外に堤監督が気にしてたんで。
視聴率に限らないが、数字至上主義が、
恐るべしマンネリズムを生み出す元凶。
数字という基準で何かを評価しようとすると、
評価される側は必然的に個性を潰し、凡庸な、
いかにも一般受けしそうなものばかり求る。
それが一番、無難だから。
学校と同じで、何の問題もない
優等生だけが求められる。
没個性バンザイ。
そしてそれは今の音楽然り、ドラマ然り。
まぁ、どれとは言いませんが。
そりゃあ、特番の方が視聴率取れるとか言って、
全10話にもされますよ。
中だるみ防止ですな。
SPECは今のドラマに対するアンチテーゼ
のような感じがするんですよね。
残酷な堤(監督)のアンチテーゼ。
少年よ神話になれ。
なぜ残酷かと言うと、あんなラストだったから。
主流と言われるドラマへのアンチテーゼ。
まぁ、あまり今のドラマがどんな感じか
分からないので、偉そうなコト言えませんが。
そういったのも、SPECを好きな理由のひとつ。
SPECとは、今後の未来に実際に起こり得る可能性
を持った、人類の進化に対する一つの提言である。
と僕は思っております。
未来の可能性とは無限にあり、
それこそ一人ひとりの取捨選択により、
変化してゆくもの。
必然とされる大きな意味での運命も、
場合によっては個々人の無限に渡る中の
一つの選択で流れを変えてしまうかもしれない。
SF的に言えば、パラレル・ワールドである。
選択しなかった未来も、選択しなかった未来として存在し、
それがその未来にいる人間にとっては現実であり、
その未来に辿り着かなかったこの世界の人間は、
この世界が現実。
そう言った意味における可能性として、
SPECというドラマは一つの可能性なのだと。
だから結末&謎解きお願いしまーす。
(結局、それか)