3連休を利用して宮城県の気仙沼市へ行ってきました。
父の故郷であり、祖父のお墓がこの地にあります。
最後に訪れたのはもう13年前。その間お墓は父のお兄さんにお任せしっぱなし。
そろそろ行っておかないと、と思った矢先にコロナになってしまい、早3年。
今年の5月くらいはコロナもだいぶ落ち着き、規制も緩和されつつあり、世論もそろそろマスクも要らないんじゃない?なんて感じになってきていたので、これでGW明けにドーンと増えなければ決行しよう!と思い立ち、実際にそれほど感染が拡大しそうな様相は見せなかったので親戚に召集をかけさけて頂いた。
このまま行かせてくれ!という願いも虚しく、7月に入ってアレヨアレヨとまた増加傾向に転じ、結局出立の時には東京で2万人近い状況。
ほんと勘弁して欲しい。
キャンセルという選択肢は残っている。キャンセル料はかかるけど、金の問題ではない。当然キャンセルも視野に入れて判断しなければならない。
また次に伸ばしてもいいじゃないか。
次?次っていつなんだ?
3年経ってまだ後手に回るしかないこんな状況で、来年はきっと大丈夫なんて、もうさすがに思えない。
じゃあ来年だね、また来年にするしかないね、と伸ばして伸ばして3年経っているんだ。
不吉なことを言うようだが、お兄さんも父もいつ何があってもおかしくない年齢である。
自分だって既に内蔵を患い、正直それほど長くはないのだろうと思っている。あと10年は大丈夫だろうか、親が生きている間はなんとかもって欲しいが。、
後悔しないか?今キャンセルを選んだら、俺はずっと悔やまないか。
いや、強行して誰かが感染、なんて事になった方が悔やむのではないだろうか。
いや、どちらにしても悔やむのだ。たぶん。後悔したくない、傷つきたくないと思うなら、何もしなければよい。
やらずに悔やむよりやって悔やむ、「ぼくは岬太郎」という漫画でそのような言葉を目にしたのは小学6年生くらいだったか。
その頃は行動して悔やむという考え方に大いに共感したが、年齢を重ねてくると、やらないで悔やんだ方がダメージが少なくなってくる。少なくとも誰にも迷惑をかけないで済む、と経験的に分かる。
でも何もしないでいても後悔はするし、傷ついてもいくし、それがけっきょく誰かを傷つけてゆくことになる。
同じなんだ。
明日死ぬときに、あれやっておけば、と後悔しないように。何が正しいのか悪いのか正解なんてものが何ひとつ無いなかでの判断基準なんてそれしかないのではないだろうか。
強制でもなんでもないので、行っても良いと思う人だけ行きましょう。
それしか言えなかったが、意外なほどあっさり全員参加となった。
さて、残る問題はこちらは良いとしても迎える側だ。近所で変な噂されないように家には行かず、遠めのホテルで会おうと最初から決めている。
でももしメンバーの中に無症状の感染者がいて、感染させてしまったら、すぐに噂になるだろう。都会のように有象無象の中のいち感染者では済まないのだ。
そうなった場合に責任とれるのか。
誰も言わないが、誰もが思っている。
自分でも笑ってしまうほどブレブレである。
そうして予定通りに気仙沼へ向かうことになった7月16日(土)、警戒しなければならないのはコロナだけではなかったのだ。
長い、長い1日が始まった。