無知の涙

おじさんの独り言

気仙沼へ4

2022年08月31日 | 気仙沼2022

次々と届くLINEのメッセージ達をザックリまとめると、大雨で道路があちこち冠水していてナビ通りには進めないので、恐らく誰も時間どおりには着けないだろう、という状況

 
常磐道で向かってるグループも途中で通行止めされ、戻るに戻れず立ち往生してるようだ。
 
なーんてこったい。
 
昨夜は実家に着くなりフロ入ってメシも食わずにさっさと寝てしまったので、全然ニュース見てなかった。朝もニュース見ている余裕がなかった。
 
確かに千葉からこっちオール曇天でいつ大雨が降ってもおかしくない雰囲気はある。
 
敵はコロナだけかと思ったが、それに加えて警報級の大雨までやって来るとは。つくづくえらい時に召集かけてしまったな。
 
天候ばかりは事前に予測できないとはいえ、言い出しっぺとしてはツライところ。だが今さらグジグジ言ってても仕方ない。
 
まぁ万事塞翁が馬っていうし、····という理屈はさすがに無理あるか。漫画の後付け設定に近いノリ。
 
結局、今日のお墓参りは明日の朝からとなり、ホテル集合ということになった。
 
とりあえず先に着く人たちを無駄に待たせる心配だけはなくなった。再びハンドルを握り、ナビをセットし直す。
 
まだ残り500キロある。
 
ナビで到着までの距離が正確に出るのは有り難いが、それがかえって重く圧しかかる。長距離運転は残り400キロ台あたりがいちばんツライ。眠い。
 
200キロ台くらいになるとだいぶ先が見えた感じで気分的にも楽になって目も冴えてくるのだが。
 
今回の旅は余程の事でもない限りは自分が運転するつもりなので、父も座ってるだけでは退屈だろうと色々と昭和歌謡BESTみたいなCD買いこんできたけど、長時間集中して運転しなければならないBGMとしてはやや不向きだったか。
 
やはり運転時のBGMはガンダムしか有り得ない。ドラマパートの付いてる初代のBESTが一番適している。テンションが1段階上がる。
 
とはいえ父もすっかり聞き入ってるし、場末のスナックみたいな雰囲気のままひたすら走る。
 
全く急いでいるつもりはないのだが、道路が空いているのと、襲ってくるネムミに抗うのとで、ついついスピードが出てしまう。
 
このスピードだとほんの少しハンドル操作を誤っただけで一瞬で死ぬな、と思うと恐怖を感じるが、身構えてるときに死神はやって来ない、という説もある。
 
常に右車線走行。謎の軽自動車に道を譲る大きい車たち。
 
福島県を抜けたと思ったらまた福島県に入ったり、やっとこさ仙台を抜けて石巻へ。
 
2011年、あの震災の直後に1度だけ気仙沼に来てはいるのだ。図面屋Oさんに誘われ、2泊3日で東北を訪れた。思えばちょうどこの7月の3連休だったな。
 
東北でお金を使おうという名目だったが、自分は単純に災害の跡をこの目でしかと見ておきたかった。ひやかしと罵られたとしても。
 
見るのと聞くのでは大違い、百聞は一見に如かずというのは正にこの事だった。被災地に物見遊山で訪れるという行為そのものの良し悪しはともかく、実際に見ておいて正解だったとは思う。
 
何がどう正解だったのかと聞かれても、まだそれは形を伴っていないので説明しようがないが、いずれその時がやって来た時にこの時に見たもの、感じたものたちは形を成し、自分はそれの意味を理解できるのだろうと思っている。
 
父にもその時の話をするべきだろうか、気仙沼に寄ったにもの関わらずお兄さんの所へ寄らなかったことについて罪悪感があり、これまで言えてなかったのだ。
 
ふと隣にいる父の寝顔を見てみると、って寝てんのかい!
 
いや、あの時の石巻は信号機も点いておらず、警官の手信号で街中を走行した。
 
石ノ森美術館も津波の打撃を受けていて、その周辺一帯も荒野と化していた。
 
石ノ森美術館の入口はベニヤで塞がれいていたが、そのベニヤには復興を願う人達のメッセージで埋め尽くされていた。
 
石ノ森作品に何かをもらった人達が、今度はそれを返しに来たのだ。
 
あの時の光景を思い出し、改めて石巻を眺めた。
 
本当にそのような被害を受けたのかと思うほど、見事な復興を遂げていた。
 
川沿いには頑強な石造りの堤防が設置され、荒野と化していた平地は綺麗な公園に生まれ変わっていた。もちろん石ノ森美術館もすっかり元通りである。
 
命ある限り、何度でも立ち上がる。更なるパワーアップを遂げて。まさにヒーローの姿そのものであった。
 
思えばあの時もほぼ自分が運転して行ったが、こんなに疲れなかったなぁ。むしろ運転がけっこう楽しくてアッという間に着いてしまった感さえある。
 
年齢的なものもあるだろうが、やはり車の大きさによるところが大きいような気がする。
 
それにしても、だいぶ巻いた。まだ14時。待ち合わせにも間に合いそうな勢い、、、だったが、ここから予告どおり大雨の洗礼を受ける。
 
流れる川は今にも溢れ出んばかり、否、あちこちで既に氾濫し、道路が冠水して車が水に浸かってしまい立ち往生している。
 
その度に後戻りし、別の道路を探す。
 
もはや車のナビでは調べきれない。既に車のナビ上では道なき道を進んでる状態。
 
自分は運転するよりスマホのナビ見た方が良いと思い、コンビニへ立ち寄りがてら父と運転を交代。
 
すると、そこのコンビニで超偶然にも親戚の女性と遭遇。3人乗りで旦那さんと高校生の娘さんが同乗してる。
 
3人とも運転できて、かつスマホもガンガン使える。ここまでも3人で運転交代しつつ、運転しない人がスマホのナビ見て進んできたそう。
 
それなら親戚の車に先行してもらい、こちらは後を付けてゆくことにさせてもらった。いや少し気が楽になった。
 
そうして従兄弟の車を追尾する形で走行していると、一時停止を無視して警察に呼び止められる父。
 
自分もすっかりLINEに気を取られて見てなかった。
 
こんなん待ってもらうのも申し訳ないので従姉妹には先に行ってもらうことに。脳内BGMでドナドナが流れ始めた。
 
一時停止をすべきところでしなかった父が悪い、だが何もこんな警報級の大雨でまともに運転できないような時に一時停止の取り締まりに躍起になる必要なくない?とは思ってしまう。
 
冠水して救助を待ってる車があちこちにいたり、避難勧告でてる地域もあったりと、他に国家権力が成すべきことは幾らでもありそうなもんだが。
 
文句の1つも言いたいところだが、1分でも早く手続きを終わらせて欲しいので黙っていた。
 
時刻は既に16時過ぎ。
 
着かねぇ、一生着かねぇ。
 
一通り手続きが終了したところで再び運転を交代。絶対ダメなのだろうが、膝上にスマホを置いてそのナビをチラ見しながら進む。車に付けるスマホのホルダー買っておけば良かった。
 
ナビ通りに進んでゆくと、震災後に新しい高速ができたようで、そこを通れば行けそう。
 
ようやく先が見えたかに思えたが、高速に入った途端に立ち込める霧。
 
MISTY…微妙に····いや、ぜんぜん微妙じゃないわ、むしろ濃霧。15m先が見えない。
 
まるでこの旅自体が五里霧中だと揶揄されてるかのよう。
 
正しい順序で進まないと延々にループしそうな恐怖を感じる。
 
しかしなんなんだ今日は!いろいろな事が起こりすぎる。来週最終回でしたっけ?
 
前方の車が全く見えないのだから自然と30キロくらいのスピードで進まざるをえない。高速で助かった。
 
片側一車線の一般道だったら対向車怖すぎて進めない。が、あまりノロノロ走ってると追突される恐れがある。
 
8ビートでブレーキランプを踏み続けたいところだが、これ以上はスピードも落とせないし、アリかナシかよく分からんが、苦肉の策でハザードランプを点けたまま走る。迷惑かもしれないけど追突するよりはいいだろう。
 
 
そうこうしてるうちに17時過ぎてしまった。いつ着くんだー。
 
 

気仙沼へ3

2022年08月12日 | 気仙沼2022

年とるとバックとかは置き忘れちゃうから、とウエストポーチみたいなのに財布やらスマホやら全部いれて、そのウエストポーチをまるまるトイレに置き忘れる。

 
妖怪、いみなし。
 
すぐさまスマホで蓮田SAの連絡先を調べて拾得物の確認をしたいところだ。が、自分は絶賛運転中なので父にスマホを渡して、蓮田SAで検索して電話してみて、と言ってはみるが、スマホを見つめたまま時間が流れてゆく。
 
くっそ、アシュラマンになりたい···
 
車を停めないとどうしようもないので、仕方なく次の羽生で高速を降りる。降りてすぐ車を停めてスマホで検索してると、聞いた方が早いと車を降りる父。
 
どこに?だれに?
 
高速の乗り降りするとこの横によくある謎の建物に入ってゆく父。そこ誰かいんの?一生入ることの無い建物だとおもってたけど。
 
まぁいい、今は捨て置く。とにかく電話を。
 
蓮田SA、拾得物で検索して出てきた番号にかける。電話に出た女性に経緯を話すと、届いてますよ!とのこと。
 
奇跡だ!
 
本人ではないが、落とし主の息子ということ、落とし主である父の名前、電話番号、自分の電話番号、1時間前後で取りにいけることを告げ、礼を言って電話を切った。
 
ホッとして思わずタバコに火をつける。まぁ、父もそろそろ戻ってくるだろう。
 
···と思ったが全く戻ってくる気配なし。呼びに行かないと戻ってこないね、一生。やれやれだぜ。
 
車を降りて、その謎の建物に入ると、受付みたいなとこがあり、父はそこで電話を借りたようである。
 
目の前で明らかに誰かと言い合ってる。なんで?蓮田SAに届いてるのだから、そんな言い合いなんかになるわけがない。
 
いやだから!と語気を荒げる父。そこの羽生SAのトイレで!
 
蓮田な。羽生SAの人に言って話が通じるわけがない。
 
不毛すぎる。どこにも行き着かない、出口のない会話。俺はあと何分この不毛なやり取りに時間を割かなければならないのか。
 
受話器を奪い取り、すみませんあったので大丈夫です。申し訳ない、と言って切る。
 
あったから、と言うと、え?どこに?と父。
 
もちろん蓮田SAに。
 
予想以上に上りの羽生ICが遠く、しかも混んでる。戻るまで1時間以上かかってしまった。
 
再び蓮田SAに入り、車を停めて急いでインフォメーションへ。
 
受付の女性に、先ほど拾得物の件で電話した者です、と告げる。
あとは父にしかできないやり取り。本人確認、金額の確認。
 
金額の確認の際にビビったけど20万くらい入ってた。本当によく届いたものだ。届けてくれた人は神様ですか?
 
ていうかそんなに現金でもつ理由が分からん。今日日どこでもおろせるでしょう。
 
本人確認済ませて受付の女性に御礼を言ってさっさと去ろうとする父。いやいやいや。受付の女性に御礼を言うのは大事なことだが、本当に御礼を言う相手は届けてくれた方だ。
 
拾って頂いた方に御礼がしたいのですが、と横から割って入ると、そういうのは良いからと何も告げずに去られましたと女性。金額的にもそれでは気が済まないところだが、調べようもないか、、
 
じゃあしょうがないですね、と父。
 
コラ。 まぁでもしょうがないのは確かか。
 
拾った財布は必ず交番に届けます。いや、これまでも届けてきましたが。改めてそう誓い、蓮田SAを後にした。
 
2時間のロス。
だが、何も失わなかった。改めて奇跡だ!ただ2時間が過ぎただけだ。2時間前と何も変わってない。寝てたのと同じ。あれ?8時にでて来れば良かったんじゃね?
 
などと言っても栓無いこと。父もだいぶ申し訳なさそうなので、気持ちを切り替えましょう。ゲームで言うとまだチュートリアル終わったくらいだからね?
 
とは言え14時30分に到着はだいぶ厳しくなった。運転再開する前にグループLINEで事情を説明した。とても時間どおりには着けないだろう。
 
着いたらまずお墓へ参ってホテルの流れだが、何時間も待たせるのはさすがに申し訳ないので、ホテル待ち合わせでどうだろうか。
 
そんなようなLINEの内容への返信は意外なものだった。
 
大雨であちこち通行止めになっていて、おそらく誰も時間どおりには着かないだろうと。
 
なん、、だと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

気仙沼へ2

2022年08月10日 | 気仙沼2022

7/16(土)、平日と同じく5:00起きの6:00に千葉の実家を出発。

14:30に大谷海岸で各方面から集う予定の親戚たちと待ち合わせ。みんな予定通り来られれば14名。気仙沼でお兄さんご夫婦と合流すれば総勢16名。

こちらのメンバーは父と2人。母はもう長時間にわたり車で移動するのは無理だし、コロナ急増してるし、でお留守番。

姉家族も今回は遠慮してもらった。

560km。6時間・・・て事はないか。順調に走っても7時間、渋滞あれば8時間くらいか。いずれにせよ14:30なら問題ないだろう。

しかし父と2人で遠出するなんて、小学生以来ではあるまいか。

小学5年だったか、6年だったか、、、とある夏の日、土曜日の半ドンで家に帰る途中、急に見慣れぬ車に横づけされたと思ったら、乗っていたのは父と父の友人で、そのまま茨城のとある港町に連れていかれた。

何時間もかけて到着したのはよいものの、一体なんの為にわざわざこんなところに連れて来られたのか意味不明。

到着するなり父の友人は港町にある家々を一軒いっけん回って挨拶した。付き添いながらこの人たち全員と知り合いなのか?と驚いたが、子供ながらにこれは何か特別な儀式のようなものを行っているのではないだろうかと思った。

そのまま港に出るとポツリ、ポツリと屋台があり、そこで焼きそばやら何やら色々買ってもらった。そのまま市場のような場所に入ると、そこはずいぶんと賑わっていて、酔っ払った大人たちがひしめいていた。父と友人は煙が換気扇に吸い込まれるようにその集団に加わり、自分は幾らかのお小遣いを渡され宿に戻るように言われた。

市場から出ると既に陽は落ちかけていて、海が紫のような色に染まっていた。魚の匂いが強烈にした。

自分も海育ちであるが、同じ海でもずいぶんと違うものだと思った。でも夜の海の不気味さは同じだった。

小遣いを貰ったは良いが、ここには見慣れた駄菓子屋もゲーセンも無いし、これといった遊び場もないので、ひとりで宿に帰った。

既に敷かれていた布団に寝っ転がり、見知らぬ天井を眺めた。窓の外は真っ暗で市場があった方角の空だけが煌々と明るい。

3人寝るだけの部屋なのにやけに広く、どうにも落ち着かない。スマホも携帯ゲーム機もない時代だ。おまけに学校帰りにそのまま連れて来られてるんだから、なんにも持ってない。もう教科書でもいいから取り出して読んでいたい気分だったが、残念ながらランドセルには何も入っていない。

テレビもない。ラジオもない。車もそれほど走ってない。車はともかく、遊ぶことしか考えてない小学生には厳しい環境。

宿なのにやけに静かで、他に客がいる様子が無い。誰かの声や近くを通る足音でも聞こえてくれば少しは気が紛れるのだが。

どことなく気味の悪さを感じながら部屋でひとり天井を眺めていると、木の天井の節が人の目や口に見えてくる。もうこうなると脳内あなたの知らないザ・ワールドの完成で、何しても何を見ても怖い。

そんな時に右ひじの上あたりに激痛が走った。超電磁スピンばりの高速回転でその場を離れ、激痛の走った部位を見た。赤いブツブツができてる。痛いというか痒いというか。ゆ、幽霊の歯形なのか!

もう無理です帰ります。とにかく誰か人を呼んでこようと立ち上り、部屋を出ていく際に寝ていた布団を横目で見てみると、黒い何かがウネウネしている。

正体は毛虫。

毛虫に刺されるとこんなに痛いのか。見た目はフサフサウネウネ可愛い感じだが、恐ろしい攻撃力だ!

というか宿に普通に毛虫っているの?この移動力でどうやってこの部屋まで辿り着いたのか。そしてこのだだっ広い部屋でなぜピンポイントに自分の肘のとこにいたのか。

遊んでいる公園にも気持ち悪いくらい毛虫いたりしたが、別にお互い無関心。東京砂漠ですれ違う人々のように。

率先してこちらに敵意を剥きだして近づいてきたりするような虫には見えなかったけど。お互い人恋しくて、虫恋しくて、遊星たちが引き合うように導かれたのか・・、いやだからといって虫はちょっと・・・

まぁ正体が虫と分かれば恐れることない。が、放置してまた刺されるわけにもいかないので、とにかく毛虫さんにお帰り頂きたいところだが、ランドセルに紙切れ1つ入ってない自分にいったい何ができるのか。

何重にもしたトイレットペーパーでつまんで窓から外に出す事に成功。お互いに拒絶することしかできない悲しい出会い。

毛虫のおかげでだいぶ気が紛れ、そうこうしているうちに父と父の友人も帰ってきた。

毛虫に刺されたと報告したら、ションベンかければ治ると言われ、この上ションベンかけられるくらいならこのまま寝るわと床についた。

そんな事を思い出しながら東北道に入った。父もそのときの事は覚えていた。

お世辞にも仲の良い父子ではなかった。

基本的に良い人であるが、酒癖が悪く、酔っぱらってよく自分の非行を母のせいにして当たっていた。それが許せず、喧嘩ばかりし、父はより酒量が増え、自分の素行の悪さはエスカレートしていくばかり。悪循環。

中3にもなると背も力も圧倒的に父を追い越したことに気づいた。腕相撲で相手の手を握った瞬間に勝てるかどうか分かるのと一緒で、取っ組み合うとだいたい相手の強さって分かるものだ。

このままではいつか自分は父に対して取り返しのつかないことをしてしまうのではないかと不安になった。

高校生になると、なるべく父と顔を合わさないために家にいない事が多くなった。元凶がいなくなれば丸く収まるのだ。

アルバイトをして金を貯め、高校卒業前に家を出た。そうして今に至る。

お互いにワダカマリなく話せるようになったのはつい最近なような気がする。やはり親の死を考えるようになってからだろうか。

そんな父と2人だけの旅行。

お互いに口には出さないが、これが最後になるのではないだろうかと。

いつか必ず訪れる親の死。何ひとつ特別なことではない。生命である以上は必ずそれは誰にも平等に訪れる。

なんとか平等なんて最近よく耳にするが、公平に、なら分かるが平等なんて軽々しく口に出して欲しくない。響きがカッコイイのかもしれんが、平等の意味を考えれば考えるほど軽々しく口に出す気にならないハズなのだが。

生命に平等なんてものがあるとすれば死だけだ。死にゆくこと、これだけはどんな個体差や環境などの後天的な要素に一切関係なく、誰にも平等にやってくる。これが平等というものだ。

ショーペンハウアー著の自殺についてでも書かれているが、生命活動とはピークを過ぎればあとは下降してゆく運命である。そんな生命にとって死とは最後の救いですらある。少なくとも死んだ者はもうそれ以上傷つかなくてよい。

そう思っていたが、最近どうもそうハッキリと断言できない自分がいる。

親が死ぬ事を考えたときにやってくるこの言いようのない感情はなんなのだろう。若い時はそれほど切実に考えてない故の虚勢に近いものだったのか。はたまた単純に弱くなったのか。

もともと弱くはあった。1人でいられず、常に誰かと一緒にいないと不安だった。

こんなことでこのさき生きていけるのか不安になった。少しでも強くなりたい、弱さは頭が悪いことが原因なのだろうか、と必死で本を読んだ。ドラマを人生と見做していたのだ。

だから「弱くなった」というのは違うのか。単純に前者であるような気がする。

死の先にある無というものが何なのか。

思えば子供の頃から漠然と死について考える事が多かった。宇宙の果て、果ての外にあるもの、時間、いつか来る全ての終わり、そういう事を考えると夜中に眠れなくなることもあった。

深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。

それについては今すぐに答えの出るものではないし、まだ起こっていないことは起こっていないことで、それを必要以上に考えて憂鬱になるのは愚かなことだ。時間の無駄。馬鹿の考え休むに似たり。

重苦しい予感も、この果てしない道のりも全て振り切るぜ!

そう思い、蓮田SAでの休憩を終え、再び走り出した。

蓮田SAから20分ほど走って羽生ICあたりで、父が蓮田SAのトイレに全持ち物入ったバッグを置き忘れきたことが発覚。

なんだってぇぇぇ

 

 

 

 


気仙沼へ

2022年07月20日 | 気仙沼2022

3連休を利用して宮城県の気仙沼市へ行ってきました。

父の故郷であり、祖父のお墓がこの地にあります。

最後に訪れたのはもう13年前。その間お墓は父のお兄さんにお任せしっぱなし。

そろそろ行っておかないと、と思った矢先にコロナになってしまい、早3年。

今年の5月くらいはコロナもだいぶ落ち着き、規制も緩和されつつあり、世論もそろそろマスクも要らないんじゃない?なんて感じになってきていたので、これでGW明けにドーンと増えなければ決行しよう!と思い立ち、実際にそれほど感染が拡大しそうな様相は見せなかったので親戚に召集をかけさけて頂いた。

このまま行かせてくれ!という願いも虚しく、7月に入ってアレヨアレヨとまた増加傾向に転じ、結局出立の時には東京で2万人近い状況。

ほんと勘弁して欲しい。

キャンセルという選択肢は残っている。キャンセル料はかかるけど、金の問題ではない。当然キャンセルも視野に入れて判断しなければならない。

また次に伸ばしてもいいじゃないか。

次?次っていつなんだ?

3年経ってまだ後手に回るしかないこんな状況で、来年はきっと大丈夫なんて、もうさすがに思えない。

じゃあ来年だね、また来年にするしかないね、と伸ばして伸ばして3年経っているんだ。

不吉なことを言うようだが、お兄さんも父もいつ何があってもおかしくない年齢である。

自分だって既に内蔵を患い、正直それほど長くはないのだろうと思っている。あと10年は大丈夫だろうか、親が生きている間はなんとかもって欲しいが。、

後悔しないか?今キャンセルを選んだら、俺はずっと悔やまないか。

いや、強行して誰かが感染、なんて事になった方が悔やむのではないだろうか。

いや、どちらにしても悔やむのだ。たぶん。後悔したくない、傷つきたくないと思うなら、何もしなければよい。

やらずに悔やむよりやって悔やむ、「ぼくは岬太郎」という漫画でそのような言葉を目にしたのは小学6年生くらいだったか。

その頃は行動して悔やむという考え方に大いに共感したが、年齢を重ねてくると、やらないで悔やんだ方がダメージが少なくなってくる。少なくとも誰にも迷惑をかけないで済む、と経験的に分かる。

でも何もしないでいても後悔はするし、傷ついてもいくし、それがけっきょく誰かを傷つけてゆくことになる。

同じなんだ。

明日死ぬときに、あれやっておけば、と後悔しないように。何が正しいのか悪いのか正解なんてものが何ひとつ無いなかでの判断基準なんてそれしかないのではないだろうか。

強制でもなんでもないので、行っても良いと思う人だけ行きましょう。

それしか言えなかったが、意外なほどあっさり全員参加となった。

 

さて、残る問題はこちらは良いとしても迎える側だ。近所で変な噂されないように家には行かず、遠めのホテルで会おうと最初から決めている。

でももしメンバーの中に無症状の感染者がいて、感染させてしまったら、すぐに噂になるだろう。都会のように有象無象の中のいち感染者では済まないのだ。

そうなった場合に責任とれるのか。

誰も言わないが、誰もが思っている。

自分でも笑ってしまうほどブレブレである。

そうして予定通りに気仙沼へ向かうことになった7月16日(土)、警戒しなければならないのはコロナだけではなかったのだ。

長い、長い1日が始まった。