自分がお化けになり、人を驚かせるという、普通ならあまり無い経験。
困ったことになかなか楽しいのだ。
他のスタッフもだいたい同じ感想を味わったようで、どうやったらもっとお客さんを怖がらせられるだろうかと日々激論を戦わせることとなった。
ある者は「井戸から出る前に何か音を出して注意を引いてから出よう!!」と提案し、紙芝居で使うような木の棒が提唱されました。
この提案をした男は、威勢よく井戸を出たのはいいが、女の子が完全にソッポを見ていて気づかれなかった、という屈辱的な経験をしているのでした。
自ら作成した木の某で実演を踏まえて熱弁している姿を見る限り、そうとう悔しかったのであろう。
でも人生もっと他に悔しいことあるだろう、と僕は思いました
おおお!それは良い考えだ!
と変態一同、じゃなかった、スタッフ一同は熱く同意し、満場一致で翌日から木の棒が実戦に投入されました。木の棒て。
柔道着を纏ったオオカミ男、或いはフランケンが井戸の中で気の棒を両手に持ちドキドキ人が来るのを心待ちにしている姿を別の監視ポイントから眺める度に、何かこう、意図せず全く知らない場所に来てしまった時のような寂しさと言えば良いのか、不安と言えば良いのか、そんな複雑な思いが胸を去来するのでした。
まぁそんなこんなで、成長しなくて良い方向にどんどん成長していくスタッフ一同でしたが、そんなスタッフたちに新たな試練がやってきました。
時は少し進み、柔道着がスタッフ15人の汗を吸い込み、いよいよ何かこの世のものではないような臭気を発し始めた頃・・・・。
その日、僕のシフトは遅番でしたので、1人で観覧車に乗ってから職場へ向かうと、お化け屋敷の前に見たことも無い長蛇の列ができているではないか。
モスマク状態です(モスクワにマックができました状態)。
そんなトコに並んでもパンダはいませんよ、へ、へ、へ
・・と思いつつ何とか群がる客を掻き分けて屋敷内の控え室に入りました。
すると、燃え尽きた矢吹ジョーみたいになってるスタッフが何人かいました。
いったい何が起こっているのだ・・・
僕はよく分からないまま、シフト表を確認して監視ポストにつきました。けっこう上から見えるポストだったのですが、屋敷内全体を見渡してビックり!
屋敷内全体が今までにない盛り上がりを見せている。動員数もウナギ昇りです。パンダもネズミもいないんだぜ?お化けの屋敷だよ?
ハッ!とそこで僕はハッとしました。
夏休みだ。
その日は7月26日でした。
確かに楳図かずおさんのプロデュースということもあり、テレビや雑誌で取り上げられることが多くなってはいたが。
これだけ列になると、多少の間隔は空けてるものの、もう前の人のリアクションでだいたい仕掛けが分かってしまうから面白くないのでは。
そして2ポストの監視を終えた僕にオバケの順番が回ってきました。
いやーこれだけ脅かし放題なんだから張り切っていこう!と思いながら呼吸を止めて1秒、柔道着を着て、ルンルン今日は狼にしよ♪と覆面をベタベタ装着していると、オバケ屋敷の社員がやってきて言いました。
「ああ、これから夜の部にチェンジするから、30分休憩な」
よるのぶ?ヨルノブさんですか?
チェンジ?
チェンジは3回までです、のチェンジ?
さっぱりワケの分からないまま突っ立ってると、前方から何人かこちらへ歩いてきました。
うぉおおおお!
その人たちの顔を見た瞬間、僕は驚いてしまったのです。
なんと、その人たちは完全にゾンビでした。
ななななんでゾンビ?ここは神聖な和洋折衷、妖怪ハウスですよ?
僕は慌てて入口までダッシュし、受付にいるハズの社員のもとへ行きました。
社員を見つけて僕は「いいいいま、ゾンビが歩いてました」と報告すると、
社員は何食わぬ顔で「そ、今日から夏休みだから、夜だけ内容が変わるから」と言って、上を指差しました。
僕は上を見上げると、そこには「憎悪のゾンビ館~今宵ゾンビがあなたを襲う~」という看板が付いてました。さっきまでこんなもんなかっただろ。
「は?自分らはどうするんですか?」と僕は不安になって聞いてみると、
「もちろん普段通りにやってよ。先輩なんだから彼らにもイロイロと教えてあげてな」と言って、社員は去っていきました。
そんな催しがあることすら知らされてないのに、教えるもクソもないだろ。
何かナットクのいかないまま、僕は屋敷の中に戻って持ち場につきました。うむむ、なんか気になる。僕が気にし過ぎなだけだろうか。他のバイト達もそれほど気にしていないようだ。
それでも気になる気になる木♪僕は屋敷の中を歩いて、さっきのゾンビ共を探しました。すると、僕の持ち場の2つ前のポストで話し声。
いた!と僕は思いました。僕は見つからないように息を殺し、そっと壁の向こうを覗いてみました。ゾンビが2人座っている。
怖えェェェェェ!
ハッキリ言って怖いのである。マジのやつやん。
僕らの怪物くんハウスとはレベルが違う。
あんなん女の子とか泣いちゃうぜ?
ていうか、怖がらせる事を目的としたこの空間においては、あっちが正解なんだよな。立っているだけで泣くほど怖い、動く必要なんかないのだ。木の棒でカキーン!じゃないから。
なんか急に自分の存在がみじめになってきた。そう思うと今まで違和感のなかった狼のマスクが急にゴムくさく感じ、なにかこう覆面の付け心地が悪くなりました。覆面の付け心地ってなに。
そんなこと言っても僕はただのアルバイター。
ただのアルバイターだが、今回この気持ち悪い職場で誰よりも人を脅かしてきたという誇りがある。身長も他の人より大きいので、飛び出てくる距離が違うのだ。客が壁際に逃げようとも、そこまで届くのだ。逃げられない恐怖。
ドン・キホーテで2000円あれば完成しそうなクオリティではあるが、その誇りはゾンビの特殊メイクなどに負けてはいない。
僕は黙って持ち場に戻り、そのあとのゾンビ2体の潜伏先も見つけて順番は把握しました。
ゾンビ(特殊メイク)→ゾンビ(特殊メイク)→狼男(柔道着)→ゾンビ(特殊メイク)
オオカミ男いります??
僕はさらに納得いかない気持ちになり、勝負覆面であるフランケンのマスクに被り直しました。
くそう、あんなの雇う金があるなら、こっちに予算を使ってくれよ。
もっと金かければ、あんなゾンビ共なんかにゼッタイ負けないのに。
そうして無駄なイメージトレーニングをしているうちに最初の仕掛けが動く音が聞こえました。
もうこうなったら、やるしか無いのです。
やがて、ものスゴイ悲鳴。最初のゾンビだな・・・チッ良い反応じゃねぇか。
そして二回目の悲鳴。来るな・・・。
しかし僕が思っていた進み具合より早いのです。
最後のゾンビから僕のところまで普通に来れば30秒ほどかかるハズなのに、10秒たらずで直前の仕掛けが動いたのです。
これは走ってるな!間に合うか!
木の棒を鳴らす間もなく、井戸から強襲!
しかし僕の目の前にいたのはゾンビでした。
おおおおお。キモイ。
スプラッター系はどうも苦手です。
そして僕の獲物はとっくに走り去っていたのでした。
そう、このゾンビ共、追跡までしやがる。まずますこちらの立つ瀬無し。
ほんとここの社員は何も考えていないのだ。
惨敗です。
僕は心に誓いました。もうトイレの場所とか聞かれてもゼッタイに教えてあげません。
そうして大好評のうちにゾンビ館の初日は終了しました。
が、僕ら屋敷の先住民にとっては全く納得のいくものではない。スタッフ一同、みんな同じ気持ちです。
仕事が終わったあとに皆で社員に詰め寄りました。
「どういうことですか?」と一番年上の人が言いました。「こんなのが始まるなんて、聞いてませんでしたよ」
僕はメンバーの中でも一番年下なので、発言はせずに黙って頷いてました。
社員は面倒くさそうに頭を掻きながら言いました。「上からの命令なんだよ。思いのほか売り上げが良いみたいなんだ。だから夏休みの間にもっと盛り上げて稼ぐつもりなんだろう。俺だって聞いたのは昨日の夜だ」
現場で頑張ってる人たちのことを考えずに、現場にいない連中が自分の為に現場を動かす。よくありそうな話しでした。
「そんなに儲かってるなら、俺たちのオバケだってなんとかして下さいよ!」そう言ったのは現役プロボクサーの人でした。
僕はもっともだ!と深く頷きました。
プロボクサーは続けて言いました。「柔道着をもう一着増やしてください。臭いです」
うーん、そこじゃない。いや、それもあるけどね。
「いやいや」と僕はたまりかねて言いました。「柔道着も増やして欲しいのは確かですが、問題はそこではなく、夜の部に関しては自分らのお化け役は必要なくないですか」
みんなお化け役が好きで、お化け役の為に頑張って来た。僕だってそうだ。こんなことを言うのは断腸の思いであるが、言わずにはいられなかった。
「正直に言って、彼らゾンビの驚かせ方だと待ちに徹する自分らの驚かせ方は違います。今日だって彼の動きに合わせられませんでした。そもそも双方が勝手にやってるような状態なので、それならどちらかに絞った方が良いかと」
静まり返る一同。
神妙な面持ちの社員。少しして、「分かった」と大きく頷いた。
「じゃ、明日の夜からゾンビで行く」
だよね!!知ってた。
そうして次の日から、昼間は普通通りに僕らが驚かせ、夜はゾンビ様一行のオンステージとなったのである。
どうでもいいけど、なぜこの日本風のスーテジに洋を足そう足そうとするのか。
その2日後、僕たちスタッフのもとに新しい衣装が届きました。そこには怪物くんの家来ではない怖いマスクが3枚と、真新しい柔道着が一着。
いやーようやくこの柔道着を洗濯にだせますな。
じゃなくて、どうしても柔道着じゃないとダメなのか・・なぜなのか。
まぁとりあえず一件落着ということで。
でも僕は、自分で言い出しておいて何だが、なんとなくこのお化け屋敷のメインはゾンビ様ご一行になってしまったような気がして、オバケ役に以前のような情熱を見出すことが出来なくなっていました。
そんな僕の気持ちなんかに関係なく時間は過ぎてゆき、オバケ屋敷は夏休みが経過するにつれてどんどん盛り上がっていきました。
そんなある日の夜、僕はゾンビたちを監視するポストにいました。
そこに小学生くらいの女の子3人組がやって来ました。
やれやれ、なんだってこんな時間にこんな小さい女の子たちだけでお化け屋敷に入るのだろう。親はなにしてんだ。
いつも通りにゾンビが襲いかかると、その3人の女の子はビックリし過ぎて泣き出してしまい、その場にしゃがみ込んでしまいました。
それでもゾンビは脅かし続けています。
どう考えてもやり過ぎだろ。どんなに怖いアトラクションでもあくまでアミューズメントパークなのだ。変なトラウマ植え付けないでもらいたい。
僕は持ち場から出てゆき、ゾンビの肩をつかんで子供たちから引き離しました。
そして「大丈夫?」と言って子供たちに手を差し伸べると、子供たちは僕の方を振り向きました。
きゃあああああ
おい。
なんとか僕が人間あることを彼女たちに説明して、ようやく泣き止ませました。
まったくこっちがトラウマになるところだ。
そのままポストに帰ろうとすると、一緒に行って!とせがまれたので、かなり恥ずかしかったけど女の子たちと手をつないでゴール。
3人の女の子は恥ずかしそうに、お兄さんありがと、と言って最後は笑顔で去っていきました。
僕は少しホッとして、彼女たちを見送っていると、社員が監視のオマエがソコで何をやっている的な視線で僕を見ていました。
時は流れ。
夏休みが終わると客もめっきり減り、僕もあれ以来もう以前のようなお化けに対する情熱もなく、9月いっぱいでバイトを辞めてしまいました。
一緒に働いていた年上の方が某大型文房具店のバイトを紹介してくれたのだ。
真っ暗な闇の中でお化けの声と不気味なBGMに囲まれた環境から一転、年上のお姉さん方に囲まれてけっこう幸せな日々を送っていました。
そんな僕に一つの不安がありました。
お化け屋敷を辞めてからずっと目がどうも霞んでいるのです。
最初は霞んでいるということにも気づかなかったけど、明らかに以前まで見えていた電光掲示板とかの文字が2重になったりして読めない。
文房具店の仕事はお姉さま方にコキ使われて嬉しくもなかなかハードな仕事だったので、疲れているのかな?と思って気にしないようにしていました。
しかし、その霞みは治るどころか、下手すればちょっと悪化しているような気がする。
もともと教科書もろくに読まない人間なので、目だけは良かった。両方とも1.5から落ちた事がない。
疲れている、つかれている、とり憑かれている、まさか!?
まさかオバケ屋敷の呪い???
日本人形とか100体くらい並んでたもんなぁ・・・。
僕は不安になって眼科に行きましたが、やはり疲れているだの、なんだのと目薬渡されたりするだけ。
3つめの病院で、先生は不思議そうな顔をして、視力テストを始めた。
その結果を見ながら先生は言いました。
「暗い場所でずっと本とかテレビとか見てたんじゃないの?視力が落ちてるよ。あと乱視はいってるね。月とか2重に見えるでしょ」
あー。
終わり。