無知の涙

おじさんの独り言

本日の都庁

2020年11月19日 | 2020コロナウイルス
ついに都の感染者が500人を越え、また都庁レッド発動かと思いきや、オレンジでした。

混雑した電車乗るの怖いので、また今日から歩いて帰ります。

まだ歩くには少し暑いんだよなぁ。

コロナも地震も

2020年05月21日 | 2020コロナウイルス

GW明けてから確実に通勤の電車内の人が増えたと思う。

時差通勤で6時の電車に乗っているにも関わらず増えているのだから、それ以降の時間帯は推して知るべしである。7割戻っているのではないか。

もちろんそれを目の当たりにしているのだから自分も通勤しているわけで、あまり人が増えることに対してどうこう言えた立場ではない。

けれど、未だにマスクもせず電車内でひっきりなしに会話したり咳き込んだりしている輩たちを見ると、所詮クラスターだソーシャルディスタンスだと賢そうな言葉を並べてみてもやっぱダメなんじゃない?と思う。日本語で話したら理解できるというわけでもなさそうだけど。

未だに政府からマスクが届かないのだから、着けていない事に関しては単純に責められるものではないが、なければないで無いなりに少し頭を使って工夫はした方が良いのではないかと個人的には思う。

基本的にはまだ家から出るなよという状況なのだし、どうしても出るのであればせめて被害を広げるような事にならないよう出来る限りの努力するべきだと思う。自粛を迫られ明日も見えず苦しんでいる接客業の人たちや、何か月も家に閉じ込められている子供たちに申し訳が立たない。彼らにこれ以上なにを強いるつもりなのか。

姪っ子や甥っ子たちの境遇は聞くに堪えないというか、痛ましい。高校生に中学生、まだ世界は自分中心に回っていて、恋や遊びに没頭し、悩みは尽きなくとも1度しかない特別な時間を謳歌しているはずだし、謳歌する権利があるはずなのに、その貴重な何ページかがコロナで黒く塗りつぶされてしまったのだ。

こればかりは何が悪いというわけでもないし、時代の巡り合わせとしか言いようがないが、1日も早く彼ら彼女らが日常を取り戻せるよう、もう本当にこれ以上感染者を出さないように出来る限りのことをしなくてはならない。


しかし、こういう状況下においてラインというものは便利なもので、ケンタッキーやらアイスやらのギフトを簡単に送れるのはすごく助かる。

そんなものは何の支えにもなりはしないのだろうが、ほんの少しでも気が紛れるのではないかという淡すぎる期待を込めて。


そんなコロナの陰であまり目立っていないけど、岐阜・長野周辺で先週くらいから起こっている群発地震も怖い。

ようやく回数が減ってきたかな?と思ったら東京湾で起こり始めているし。

もうほんとコロナでHPゼロに近いので、地球さんにもしばらく活動自粛して頂きたいのだが。

頂きたいのだがで頂いていただけるのであれば苦労はない。何もない事を祈るばかりである。



英語じゃ伝わらん

2020年04月27日 | 2020コロナウイルス

最近のコロナ関連のニュースやら何やら見ててつくづく思うのが、なんでわざわざ英語を使うのか。意味が分からん。

誰に伝えたいのか。日本にいる外国の方に伝えたいのなら分かる。でも当の日本国民が???となってしまっては、それは果たして情報の伝達といえるのだろうか。
 
ロックダウン、といった後に首都閉鎖ですねとわざわざ訳してるし、感染クラスターとか和英混じってるけどね。どっちにも伝わらん。
 
首都閉鎖!だけじゃダメなんですか。集団感染じゃ伝わらないんですかね。
 
なんかね、言いたい語感ではあるのは分かる。ダウンとかクラスターとか響きがカッコいいし、耳インパクトがある。
 
なんか頭よさそう的な。最近よく聞くビジネス用語もそうだけど。
 
メソッドとかエビデンスとか。料理名かな?
 
閉鎖の英語がヘナモンゲみたいな語感だったら絶対に言わないだろうし。
 
表層的なカッコ良さは理解しつつも、内心は無駄じゃね?と心底思う。わざわざ英語から日本語に訳して意味を汲み取る作業が発生するもの。英会話教室に来て卵をタメーゴとか勉強しているわけではないのである。
 
会話にしても文章にしても個人的にこの人は賢いなぁと思えるのは、分かりやすく簡潔に、これを実践している人に尽きる。伝達の作業に無駄はいらんのよ。
 
昨日もテレビ見てたら急にヒューマンディスタンス!とか言い始めててびっくりした。
 
街中で急に言われたら、なんか技でも出すのかな?と身構えるとこですよ。
 
というか、適切にもう2メートル以上って定められてるのに、ヒューマンディスタンスって表現する事で2m以上という重要な部分がボヤっとしちゃいませんかね?
 
最終的にはヒューマンディスタンスを守ろう!とか言ってて申し訳ないけど笑ってしまった。2m以上の距離を守ろう!ではダメだと思った経緯を知りたい。
 
知るまでもなく、他人との距離は2m以上!というよりヒューマンディスタンス!のほうがカッコいいからである。
 
繰り返しになるけど、言いたい気持ちはすごくよく分かる。墾田永年私財法!みたいな。いや、それは違う。
 
でも、ディスタンス!なんて気軽に使ってはいかんのですよ。
 
そう・・・あれは・・・かつてバンドやっていた頃、何故かドラムの自分が曲の歌詞を書かなくてはいけなくて、あれこれ思考錯誤しながら書いていたけど、やはり英語というのはなんとなく使いやすい。文字数にハマりやすい。なんか語感も気持ちよいし。もうなんも思いつかん時とかとても便利。誰も分からんし。
 
和英辞典も英和辞典も持ってない頃だったので適当に聞いたことあるような英語を端々に潜ませて、なんちゃって歌詞をよく書いていた。
 
遥かかなたの空にロングディスタンスみたいな詞をつけて、後々ロングディスタンスの意味を調べたら長距離電話って書いてあってえらい恥ずかしかった思い出。ディスタンスは危険、そう思った。
 
銀河大爆発!っていうよりギャラクシアン・エクスプロージョン!のほうが絶対にかっこいいし。
 
銀河大爆発!なんて言ったら、あれ?近寄ったらダメなおじさんかな?としか思われない。
 
英語もいいけど、大切なことはなるべく分かりやすく伝えた方が良いのでは?と思う今日この頃でした。
 
言っている自分の文章が蛇足ばかりで全然分かりやすく伝えられないという。
 
 
 
 

日常

2020年04月07日 | 2020コロナウイルス

緊急事態宣言を受けても、幸運な事にさして生活は変わらずにいられるような。今のところは。

マスクも金もいらんから、政府にはとにかく仕事したくてもさせてもらえない人たちを救ってほしい。

311の時も思ったけど、いかに「いつもの日常」というものが有難く、またそれがいかに脆いものの上に成立しているのかという事を痛感させられる。

アフターコロニーならぬ、アフターコロナの世界はAI化がますます進むのだろう。

職場の近くに公園とはいえないまでもちょっとした広場があり、昼食を買いに出かける際にその横を通ったが、子供たちが群がってはしゃいでいる。

今は家に籠っているのが望ましいのだろうが、子供は元気に外で遊んでいた方が頑強になるのではないかと思ってしまうのは前時代的な考え方だろうか。病は気からというけれど、ことコロナに関してはそういう精神的な作用でどうにかなるものでないか。

とはいえ、もし自分があのくらいの年頃の時に同じ状況になったとして、大人しく家に閉じこもっていられただろうか。

若い世代が出歩いているニュースを見ても、自分がこの年頃だったら・・・とつい考えてしまう。

しかしもうそんな事を言っている状況でもなく、実際に多くの人が犠牲になっている。

コロナが全ての原因であるが、それによって浮き彫りになるものもある。

無関心さ。

自分さえ凌げればと他はどうでもいい、と生活用品を買い占めるのは他人への無関心さ。

自分は若いからかかっても重症化しないと出歩き、高齢者へ感染させていくのも無関心さ。

無関心さが人を殺す。

しかしそんな偉そうなことを言っていられるのは自分自身が他に守るものも、誰かに必要とされているわけでもない、根無し草のようなものだからではないだろうか。

子供がいて、愛する人がいたら、そんなこと形振り構わず自分の家族の為に我先にと生活用品を確保するのではないか?

さんざん自分だって無関心に生きてきたくせに、今さらええかっこしい事を言うなと自我が責める。

 

人生に対して もっと大きい信頼を寄せているなら、

おまえたちはこれほど瞬間に身を委ねる事もないだろうに

                   ニーチェ