途中から、道なんかありませんでした。歩くとスネの上くらいまでズッポリと足が雪に埋まる。一歩いっぽ進んでゆくだけで精一杯。みるみる体力が減ってゆくのが分かる。それに加えて、長靴でもなんでもないので、靴の中に入った雪の冷たさがどんどん体温を奪っていく。
おかしい・・。絶対にホテルへ近づいているはずなのに。なにしろ視界に入る景色は真っ白な山と、そびえ立つ木々だけ。目印にも何にもない。山を突っ切る作戦はモチロン中断。なんとか行きに来た道に出ないと・・・少なくとも自分のいる位置が分かるような見晴らしの良い場所にでないと・・・。
焦る気持ちとは裏腹に体は冷え切り、体力も底をついてしまう。そうして山に突入して1時間経過したときには、僕は雪の中に倒れてしまいました。
絶対絶命。
少しでも体力を回復させて歩かないと・・・。と思うのですが、雪の上に寝そべっているのだから冷たい感覚に襲われるはずなのに、不思議と体の感覚はなく、どんどん眠くなってゆく。「パトラッシュ、なんだか眠いや」の場面が脳裏をよぎる。さきほどまで冷え切って痛かった足も何故か温かくなってゆく。気持ち良い。
焼酎だけは死んでも離すものか!と思って、本当に死ぬやつ。しかも齢18にして。
こんなとこで死ぬのかよ、と僕は思いました。死を感じたときに、中学の時に自殺してしまった、とある女性に呼ばれたような気がしました。
薄れゆく意識。そのとき僕の耳に、微かに音楽が聞こえてきました。僕は目を開きました。この音楽はスキー場で流れている音楽だ!
必死に音のする方に向かって進んでゆきました。でも音は反響してしまうので、なかなか正確な位置を判断できませんでしたが、徐々に音のする方に近づいてゆくことができ、ようやく・・・
あった!!!
僕の働いているホテルが見えたのです。
僕にはまだ帰れるところがあるんだ・・・こんなに嬉しいことはない・・・分かってくれるよね? 君にはいつでも逢いにいけるから・・・
とガンダムの最終回のような感動で無事に帰還することが出来ました。焼酎もGETです。
みなさんも雪山に入るときには、くれぐれもお気をつけ下さい。死に近い場所です。
そうして時は流れていき、クリスマスくらいを境に宿泊客が多くなり始める。客が入り始めれば当然仕事も忙しくなる。全ての客室が満室になる頃にはほとんど寝る時間もなかった。
そんな頃、仕事を分担すべく担当決めが行われました。僕はルームの担当になりました。
ルーム係とは客室の世話一般をする仕事です。布団を敷いたり、畳んだり、お茶菓子をセットしたり。
しかし困ったことに鬼塚さんとペアを組むことになってしまった。でもハッキリ言って、仕事が忙しすぎてそんなこと気にしている余裕すらなかった。
朝4:00起床。昨夜の宴会の片付け、食器洗い。朝食の支度。朝食の片付け、食器洗い。それがようやく9:00頃に終わり、ようやく朝食です。
10;00にはルームの仕事が始まります。全ての部屋のシーツを剥いで、布団を畳んで、お茶菓子をセットし直して。50部屋くらいありましたから、最後のほうは布団を持ち上げるのもやっとなくらいに疲れる。
それが昼くらいまでかかり、昼食です。
お客さんの昼食はバイキング方式なので、それほど手間がかかりません。
そして休憩。15:00くらいまで休めます。みんな夜はヘトヘトになりながら宴会していたからほとんど寝てないので、この昼休憩でタップリ寝ます。ほとんど昼飯なんか食べずに寝てました。
そして15:00から夕食の支度が始まり、その片付けをして、20:00くらいに布団を敷きにいきます。
22:00くらいから、お客さんの宴会の料理の手伝いや、酒を運んだりなんだり、朝食の仕込みの手伝いをしたりと24:00くらいまで続いて、ようやく終了です。
夜御飯を食べて、フロに入って、酒盛りして、だいたい2:00くらいに寝るような感じです。
もう本当に忙しかった。明らかに人手不足。150人くらいのお客さん相手に、こっちは6人ですから。と言っても他に食事を作っている専門の調理師さんが2人いましたが、それでも無理ですよ。
そんな極悪な生活が1週間くらい続きました。
休みも全くない。僕は買出しに行って死にかけた時から一日も休んでいませんでした。
そんな中で唯一の救いが、それまで僕に敵意のようなものを抱いていた鬼塚さんの態度が変わったことです。一緒に仕事をしていくうちに、鬼塚さんの言動が変わってゆき、ついにはそれまでの事が嘘かのように、僕に親切にしてくれ、いろいろな面倒を見てくれるようになりました。
それまで決して参加しなかった、仕事が終わってからの宴会にも参加してくれるようになりました。鬼塚さんと仕事をするのは、とても楽しかったです。すごく真面目な人なので、厳しい面はありましたが、やったことに対してきちんと言葉で褒めてくれました。
ある日の酒盛りのとき、皆でリゾートバイトしに来た理由を話し合ったときがありました。山井さんは競馬で借金を抱えてしまって、借金取りから逃れるため。河原さんは大学を卒業してからの進路を考えるため。今井くんは高校を中退してしまって家にいられないため。僕は音楽をするため。
そのとき何故か鬼塚さんだけは理由を明かさなかった。
ぜんぜん違う理由を持つ人々が「一時的に」という前提のもとで一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食べ、一緒に仕事をしている。これが社会か・・・、と人生経験の浅い僕は驚きました。
こうして僕らの結束は日ごとに強いものになり、仕事が辛くても、なんとか楽しく乗り越えて行きました。
乗り越えていけたもうひとつの理由として、正月早々に大学生たちや地元の高校生たちがヘルプで入ってきました。大学生7名に高校生3人くらい。
一気に8人も増援がきてくれると、それまでの苦労が嘘かのように楽になった。
最初は古参側のこちらのグループが猿の縄張り争いのごとく警戒していたけど、大学生のグループは女性も多かったので、打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。非常に分かりやすい。
5人でやっていた宴会も、いきなり15人くらいになったので、大変な盛り上がりでした。まして遊び盛りの大学生が多数入ってきたわけだし。
お客さんたちの宴会が終わった後であれば、少しの時間ならカラオケをさせてもらえました。もうカラオケしながらみんなで窓から順番に下の雪に中に謎のダイブ。まぁ一階だったのですが。冷たくて気持ち良かったなぁ。
連日、そんな大騒ぎをしていたら、ついにお客さんからクレーム発生。お客さんより騒ぐ従業員たち・・・。当然おかみさんに怒られました。責任者の牛島さんもかなり怒られたようで、牛島さんから宴会禁止令発令!!やめませんでしたけど。
年食ったいま思うと、よく毎晩とくに意味もなくあれだけ大騒ぎできたなぁとシミジミ思う。これが若さか・・・。
そうして正月が明けるとお客の数もぐんと減り、更に仕事が楽になった。ついに夜も普通にたっぷり寝られるようになったので、昼休みの時間は鬼塚さんの自家用車で買出ししながら外で遊ぶようになりました。
鬼塚さんと二人だったり、ルームメイトと一緒だったり。地元の高校生たちが混じったり。みんなで卓球したり、バッティングセンター行ったりしました。卓球なんかしたことありませんでしたが、鬼塚さんが教えてくれた。
そんなある日、鬼塚さんがドライブに誘ってくれました。
ドライブしながら鬼塚さんといろんな話しをしました。鬼塚さんは僕に一枚の写真を見せました。そこには一人の女性が写っていました。
「妹なんだ」と鬼塚さんは言いました。「両親いないから、俺は大学に行けなかったけど、妹は行かせてやりたいんだ。それが俺の山に来た理由だ」
僕は改めて鬼塚さんという人の優しさと強さを感じました。こういう強い人になりたいと僕は思いました。
「いつ帰るんだ?」と鬼塚さんは僕に問いかけました。
その言葉を聞いて、そういえば俺は帰らなければならないんだ、ということを思い出しました。日々の楽しさにすっかり流されてしまって、本来の目的も求めるものも失念しかけていました。
その時は正月が明けるくらいだったので、7日か8日とかそれくらいだったと思います。
「あと、一週間くらい、です」と僕は答えた。
鬼塚さんは「早いな・・」とだけ言って、また別の話しをし始めました。
あと7日か・・・と僕は思った。あと7日、悔いのないように過ごそうと固く心に誓いました。
それから数日もすると、大学生も高校生も学校が始まったので元の生活へかえっていき、職場はまた元のメンバーだけとなった。
時間が止まって欲しいと願えば願うほど、感じる時間は早くなってゆくもの。楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去ってゆき、ついに最終日になってしまいました。
最終日は鬼塚さんの提案で、みんなでスキーをするコトになりました。仕事も暇だったので、おかみさんも快くOKしてくれました。フリーのリフト券とスキー用具一式も貸してもらえました。
僕は初のスキー体験でした。全ての用具を装着したは良いけど、どうして良いかサッパリです。
おぼつかない足取りでゲレンデに立ちましたが、もうヨロヨロ。驚くことに僕以外の仲間たちはスイスイ滑っています。
杖をついたおじいさん状態で完全にその場で身動きが取れなくなっていると、颯爽と滑りながら鬼塚さんがやってきました。
「俺が教えてやるから、大丈夫」と鬼塚さんは笑顔で僕に言った。
地元の小学生のスキー授業と混じりながら、初心者コースで鬼塚さんにスキーを教えてもらう。何十回転んだか、さすがに覚えていない。
ただ明日には僕は東京に帰り、もう鬼塚さんやみんなとも会えなくなるんだ、と思うと胸が締め付けられるように苦しくなるので、そのことを考えたくないから無心でスキーの練習をしていた。
適度に休憩をしながら、ひたすら練習。ついにナイターの時間になってしまい、最後の最後でようやく初心者コースを下まで降りれるくらいの技術を身につけたような気がしました。
じゃあ実際のコースを滑ってみようということなったのだが、実際にコースを上からみると、とんでもない。横から見ているのと、実際に滑ろうと思って見る角度では、ゲレンデの傾斜に大きな違いがある。
ましてそれまで僕が小学生たちと練習していた初心者コースは、ほとんど平面みたいなものだったわけで。こんなのどうやって滑ればいいんだ・・・。僕は恐怖で動けなくなってしまいました。
「無理そうならヤメよう」と鬼塚さんは言いました。
いや!!ダメだ!鬼塚さんも滑りたかったハズなのに、僕なんかの為に一日付き添ってくれたのです。滑れるようになったのを見てもらいたい!
「滑ります」と僕は言って、滑り出しました。
でもそれはとても滑っているとは言い難く、ストックを深々と雪に突き刺しては、ひたすらノロノロと。少しでもスピードが出そうになると転倒。
なんとかゲレンデの中腹部に差し掛かりましたが、なんともうタイムオーバー間近。あと少しでリフトも止まう時間。
でも僕は絶対に滑りきると決意したので、ヤメる気は全くありませんでした。
でもそれは僕自身のワガママです。今まで辛抱強く付き添ってくれましたが、これ以上鬼塚さんを巻き込むワケにはいきません。
「僕は下まで降りて、すぐに戻りますから、鬼塚さんは先に帰ってて下さい」そう僕は鬼塚さんに言いました。
「ここまで来たら最後まで見届けてやるよ」鬼塚さんはゴーグルを上げて僕に言いました。
少しの問答がありましたが、全く鬼塚さんが引く様子を見せないので、鬼塚さんの気持ちに甘えることにしました。
やがてリフトも止まってしまい、あと少しで滑りきるところまで行った時に、スノーモービルに乗った救助隊の人がやってきました。
「リフトも止まって危ないので、後ろに乗ってください。上まで乗せていきますから」と救助の方は言いましたが、もちろん僕は乗りませんでした。鬼塚さんだけでも乗って下さい、と言おうとすると
「あー下まで行けば車あるから」と鬼塚さん。
「そうですか。遅くなると吹雪いてきますから、早めに移動してください」と救助の方は言って去っていきました。
そしてようやくゴール。僕は疲れ果てて、その場に寝転びました。綺麗な星空でした。本当に吹雪くのだろうか。
吹雪く・・・。僕のチンケな意地の為に鬼塚さんまで巻き込んでしまった。滑りきった満足感は瞬間的に消え去り、後悔と不安だけが残りました。それでなくても僕は一度遭難しかけているののだ。力ずくでも鬼塚さんをスノーモービルに乗せるべきだった。
そんな僕の思いとは裏腹に鬼塚さんは笑顔でした。「一日でここまで滑れればたいしたもんだ。よくやったな」
僕はその言葉を聞いて涙が溢れそうになりました。「みんな心配してるでしょうから、連絡してきます」僕は震える声でそう言うと、近くにあった公衆電話に行きました。
電話に出たのは河原さんでした。僕は事情を話し、すぐに帰るから心配しないで欲しいと伝えました。
しばらく休憩して、山を登ろうとしたとき、僕と鬼塚さんに思いもかけないことが起こりました。
つづく