無知の涙

おじさんの独り言

龍が如く8 プレイ3

2024年02月28日 | ゲーム

盛大にネタバレをしてますので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやっと10章。

既にプレイ時間は120時間越え。

 

FF7発売までのクリアはもう200%無理でがんす。

というか、これ終わるの?という気がしてきた。

 

島シミュレーションはようやく☆5クリア。

道路という存在に気づくのが遅すぎた。

せっかくの南国リゾートなのに、客の満足度を上げる為にどんどん景観が汚くなっていくのが寂しい。デキる人なら景観を保ちつつ巧いこと配置するのでしょうけど。

 

9章からようやっと物語が大きく動き始め、ガンを患っている桐生は療養で日本へ帰国。ぜんぜん療養する気なさそうですが。

ここでパーティがハワイと日本で2つに分かれ、ストーリーもハワイと日本で進行してゆく形がとられる。

日本編では本編以外に、ガンを患ってしまった桐生の余生というものにもスポットを当てている。

桐生一馬のエンディングノート。

エンディングノートというより、桐生一馬補完計画に個人的には思えたけど、要は桐生がやり残したことや、やってみたいことなどをやるリストを埋めてゆく。

今回で桐生ちゃんラストなのかまだ分かりませんが、シリーズ1から同じ月日を歩んできたファンにとっては色々と懐かしい。

OF THE ENDあったなぁ。リマスターも一切されないまま今日に至るので、懐かしすぎる。ゾンビ嫌いだけど、龍が如くだから最後までプレイできた。

エンディングノートの一環で関わり合いの深かったキャラが登場する。

もちろん桐生は自分の生存を明かす事ができないのだが・・・・・果たして。

 

これだけ長丁場になっている要因として、パーティメンバーが安定しないというのがある。

せっかくパーティのレベルが良い感じに上がってきたと思ったところでバラされ、新しい仲間が入ってくる。

その仲間のレベルが低い。絆レベル0。絆レベルを上げないと転職すらままならない。で、ダンジョンに籠る、という図式。

正直ゲームが適正だと判断しているレベルと、実際に適正だと思われるレベルがだいぶ乖離していると思う。

雑魚の火力もそこそこあるし、わりと硬いし。そのぶん回復アイテムがたくさん持てるのだが・・・。

レベル差10くらいで戦闘のストレスなく進める感覚。

そんなわけで新しい仲間が入る度にキャラレベルと絆レベル上げを余儀なくされ、時間がかかる。

今回は戦闘自体がけっこう楽しいので、レベル上げもさほど苦にならず、ダンジョンも金やアイテムが稼げるので、沼っているという次第です。

あとゲーム内で入手した音楽を好きな時にBGMとして流せるというのも大きい。これは画期的だと思う。曲がどれも良いから可能なのだが。

100時間越えのコマンドRPGというと、ペルソナ5、閃の軌跡4、5、あたりが思い出されるが、今回は大幅にプレイ時間(1週あたり)の記録更新しそうで怖いです。

 

 

 


手術前のメメント・モリ1.0

2024年02月21日 | 日常

この文章を誰かが目にしているという事は、きっと僕はもう手術を終えて不通に暮らしているのだろう。

普通逆じゃない?この手紙を読んでいるということは、きっともう僕は生きていないのだろう、的な。


もうだいぶ前の話になりつつあるが、去年の7月に左腎臓にガンがあると診断され、ガーン!となり、12月に左腎癌の除去という手術を受けた。

手術前日の夜、病院のベッドに横たわりながら、いつになく緊張していて、なかなか寝付けなかった。

それと言うのも、もしかしたら全身麻酔で自分がもう2度と目覚めないかもしれない、という疑念が沸いたからである。

全身麻酔の場合、そういう事が稀にある、と病院側から事前に嫌というほど念押しされた。

ほんとうに稀なの?

あれだけ念押しされると、何かのフラグが成立しそうで逆に怖くなる。押すなよ!ぜったい押すなよ!みたいな。ちょっと違うけど。

医者の立場からすれば0.01%でも起こり得るのであれば、しつこく言うしかないのだろうという事は理解できるのだが。

麻酔で死んだからって別に訴えたりしません、という同意書だけで良いと思うんだけど。手術よりも全身麻酔をすることの方が怖くなってしまった。

知らぬが仏とはよく言ったものだ。

そうして、もしかしたら2度と目が覚めない、つまり死ぬという事について、悶々と考えていた次第であります。

 

この時まで所謂「死」というものについて、考えて来なかったわけではない。

死というものは初めて考えたのは小学校の高学年くらいだったろうか。

何処からともなく耳に入ってきて概念として植え付けられた天国やら地獄などといった死後の世界というものは、実際のところは存在しないのではないかと僕はごく自然に考えていた。

別に何か根拠があるわけでもなく、なんとなくそう思っていた。

でもそれを否定するのは、子供の頃の僕にはまだ怖かった。自分の存在が無になる事を考えると怖くて眠れなくなった。

拡がり続ける宇宙の末端と、末端の先、まだ宇宙ではないその空間に何があるのか、宇宙でもなく何でもない、その空間(でさえないかもしれない何か)こそが死そのものではないのか。

そういう事を考えている時と似た恐怖だ。

 

やがて死について考えることはやめた。別に年がら年中そんなこと考えていたわけではないが、積極的に自分から首を突っ込むようなことはしなくなった。

そういう事を考えそうになるとそっと意識を閉じた。臭いものに蓋をするように。

そうしてしばらくやり過ごしていたが、やはり歳を取るにつれて、どうしても死について考える事が多くなってゆく。

自分の死というものを実感したからだろうか。はたまた親の死がそう遠くないうちに必ず訪れると考えるようになったからだろうか。或いはその両方か。

死んでほしくない、死にたくない、と感じるのは当たり前の感覚であると同時に幸せな事なのだと思う。そう思うことすらできない環境がこの世界にはあるのだ。

しかし誕生してしまった以上はいつか終わりを迎えなければならない。

もっと言えば、この宇宙だっていずれは必ず終わりの時が来る、と言われている。

それを知ったときの衝撃のスゴさを言い表すと、もうなんかスゴい衝撃でした。

宇宙の終焉後というのは、宇宙の先にあるであろう、まだ宇宙になっていない状態になるのだろうか。子供の頃によく夢想していたアレ。

当然そういうことなのだろう。

始まっていない状態と終わった後の状態というのは繋がっているのではないか。

完全な無というものが、どういう状態なのか、無知の自分には想像ができない。

白っぽい濃密な霧みたいな空間なのか、一切の光が届かない闇のように黒い空間なのか。そういう概念さえ無い何かなのか。考えれば考えるほど深みにハマってゆく感じがする。

深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているとニーチェは記していた。

それはイケメン主人公のゲームに感情移入している最中、ふと画面が暗転した際に画面に映る自分の顔面を見た時のような感覚だろうか。誰が深淵みたいな顔だ。

無を考えることと深淵を覗く事が同義ではないが、その深みに嵌まってゆく怖さは似たようなものではないだろうか。

とにかく無があり(というのも変だが)、何かの拍子にまた今の宇宙のようなものが誕生し、またその中の地球のような環境に恵まれた星に生命が生まれる。

宇宙が生まれ、太陽が生まれ、そこから程よい距離に惑星があり、そこに生命が生まれる。その生命には知能が備わっている。

知能を持った生物は必ず同一の方向へ向かう。グレンラガンのドリル。

本当にすべて偶然なのだろうか、と思ってしまうほど良くできている。

すべてが偶然だとしたら、偶然生命が誕生した星が他にあっても何ら不思議ではない。よって、地球外生命体は存在すると思います。

なんの発表。

宇宙ですら死ぬという事を知ってから、死を考えるとき、どうしても宇宙のそれと併せて考えてしまう癖がスゴイ。

宇宙が到達していない空間が無であり死である。最終的に宇宙はそこへ向かっている。やがてまた始まる。

イース8のエンディングで大地神が目覚めた時に、目覚めこそが覚醒である、というようなことを言った、違うな。力こそパワーか。

この世界こそが彼女の夢である、というような表現をしたけれど、それと同じことなのだろうか。

森羅万象あまねく誕生と死を繰り返すという法則があるのなら、人知では表記のできないような永い時間をかけて繰り返していく。今もまたその繰り返しのうちの何兆回の1回なのかもしれない。

それを生まれ変わりというのであれば、そういう事もあるのかもしれない。

それとも永遠にもう何もない無なのか。

この未来永劫、無の中を漂い続けるという感覚に人は恐怖を感じるのだろうか。

 

今働いている事務所の所長が事あるごとに、人は死んだらどうなると思う?と訊いてくる。

死んでみないと分かりません、というのは目上の方に対する返答としては不適切に思われるので、無だと思います、と答える事にしている。

すると、無ってなんだよ、無になることを考えると怖くてたまらないと所長は言う。

無は無です、とぼく。

だからその無はどういう状態なんだ、と所長。

ムムムム。

そんなこと的確に説明出来るのであれば、もっとなんか別の人生を歩んでます。

僕の感じている無というものを簡単に言うと眠りと同じ。そう、まさに手術の麻酔と同じで何も感じない。恐怖もないし、苦痛もない。怖いも何もない。1秒だろうが3万年だろうが永遠だろうが同じこと。覚醒がないだけ。

いや、これはあくまで個人的な考えにすぎないですので、予めご了承ください。

実際は本当に三途の川を渡り、六道輪廻に落とされるのかもしれない。

それは冗談ではなく死んでみないと分からないことであるが、死んでなおそんなヒドイ目にあいたくないと僕は思う。

いや、そんな目にあっても人は自分というものの存続を願うのだろうか。

 

深刻に考えたところで真実に近づくわけではない。馬鹿の考えなんとやら、という辯もある。

だが実際に明日そうなるかもしれない、と思うと、やはり考えないわけにはいかないものである。意味のない無駄な行為だとしても。

医者からも言われたが、いちおう遺書のようなものを書いておくべきなのだろうかと考えた。

誰宛に?いや親宛なのだろうけど。親に宛てた悔恨の手紙。こんな夜中にそんなの書き始めたら死にたくなる。いや死ぬかもしれないから書くんだけど。

まぁ学も無くスポーツが得意なわけでもなく、なんの展望も計画性もなく生きてきたにしては、可もなく不可もなくといったところではないだろうか。

運が良かった。

小学校の先生から「もう少し頑張りま賞」くらいは貰えるかもしれない。


心残りといえば、夜中に家を抜け出して体育館の屋根に登っていたらテロリストと間違われて機動隊に囲まれ、モッコモコにされたあげくバッチリ指紋を取られてしまったことがあったのだが。

今にして思えば、時期が悪かっただけで、いたいけな中学3年生を掴まえて、テロリストだなんだと国家権力でメッタメタにすることはなかっただろうに。

事情聴取で何時間監禁されたことか。何べんも同じ事を聞かれ、書かされ。もう年齢でテロリストではない事くらい分かるだろう。ヒイロユイか。

問題はここからで、ようやく釈放されてから一緒に捕まった友人たちと、そもそもなぜ侵入がバレたんだ?という考察が始まった。

公安からマークされてる、なんてことがあるワケもなく。侵入した小学校の周りは団地もあったので、きっと我々が屋根に登っているのを団地の人が見つけて通報したのだろう、というところで落ち着いた。

でもきっと真相は僕が最初に不用意に体育館の窓を開けちゃったせいだと思います。てへ。

そんなこと言ったら機動隊にモッコモコにされた上に友人たちからヘッコヘコにされてしまうので、真相は心の闇の中へと葬りました。

その真相を隠していることに対してちょっと心残りがある。

だって、どうせどこも戸締りされてて開かないと思ってたら開くんだもの。ガラって。いや開いちゃダメだろ、てすぐ閉めたけど。

戸締り忘れた人が悪いと思います。

いや謝れよ。

文章を書きだしても脱線して着地できないのが悪いところ。もっと頑張りま賞。

 


高円寺 大将

2024年02月15日 | 

金曜日はお世話になっているビルのオーナーさんが、高円寺の大将へ行ってみたい!ということで、高円寺へ行ってまいりました。

自分もかなり久しぶり。

相変わらず焼き鳥が美味しい。

飲み物はホッピー。もう大将といえばホッピー。

焼酎の量がかなり多いという事は知っていたけど、昨今の値上げまみれなご時世ですから、そんなにガバガバな量ってコトはないでしょう。

 

 

ガバガバでした。

外を入れるスペースがね、ないのね、これ。

ブレない。

味は元より、こういうところが多くの呑ん兵衛たちから愛されてやまない所以なのでしょうけど。

周囲のツワモノたちはこのホッピーをこれでもかと流し込んでいる。

わしも昔はああじゃったなぁ、と感慨深い。

ホッピーと酒の割合を9.5:0.5くらいにしないとお医者さんから怒られるので、せっかくの大将盛りでしたがほぼオーナーさんに飲んで頂きました。

0.5なら怒られないみたいな書き方してますが、本来はダメ。命を削って酒の代価にしているのだ。いや、やめろよ。

こんなことしてたら、そう長くはない。少なくともあと50年以内に必ず死ぬ。

もう食べられないし、もう呑めないくらいまで堪能して1人3000円なのだから、安いとしか言いようがない。

最近コスパやらタイパやらうるさいですが、コスパが良いとはこういうことを言うのだろう。

コスパは日本語で表現しづらい感覚を端的に伝えているので浸透するの分かるけど、タイパは時間効率良いよね、悪いよね、ではダメなのかしら。

タコパと見間違えるの。

 

 


ガンダムのチョコ

2024年02月14日 | 日常

なんとHさんの奥様からチョコレートを頂きました。

おふくろからも貰ったことないのにぃ。

カッコええ。やっぱガンダムはこの絵柄。

というか、こんなコラボ商品が出てるなんて聞いてないよ!

保存用と観賞用とプラモ工具入れ用で3つくらい買うのに。

写真だと分かりづらいですが、背景の宇宙(そら)がメタリック調でキラキラしてる。

袋もイカス。

さっそく飾ってみました。

飾るだけでは勿体ないので、プラモの工具でも入れたいと思ったけど、汚すからやっぱり飾っておきます。

 


龍が如く8 プレイ2

2024年02月13日 | ゲーム

*ネタバレ含みます。

 

 

 

 

ペルソナ3リロードが発売され、そろそろFF7リバースも射程距離に入って来ているというのに、まだ現在6章でダンジョンに入り浸ったり、島民になりかけたり、とにかくチンタラとプレイしてます。

FF7の体験版めっちゃ気になる。あやうくダウンロードしかけた。

 

現在レベル52。

そろそろ現時点で最下層のダンジョンに挑もうかと。

いやストーリー進めなさいよ、そろそろ、マジで。

ダンジョンの11Fに入れるようになると、あれだけ苦労していた金稼ぎがようやく楽になる。

転職できるようになったのは良いけど、そんな各ジョブごとに武器買えるかよ、と死んだ目でやり過ごしてましたが、ダンジョンで荒稼ぎして一通りジョブ回せる武器は揃った。

また最終的に衛星レーザー砲を撃つだけのゲームにならなければ良いけど。

 

バトルは明らかにレベル差があるとシンボル上のマークが青になり、クイックバトルができるようになってサクサク進める。

レベル差10くらいないとダメっぽいですが。

絆レベルが上がるにつれ通常攻撃時に近くにいるメンバーと連携技ができるようになり、ダウンとると追撃もしてくれるので、連携→追撃が決まると1回の攻撃で与えられるダメージがだいぶ増えて助かる。

バトル面では7と比べるとかなり遊びやすくなってる印象。

7と比べると、パチスロがないというのが非常に残念。

まぁワイハでスロってんのもなんかねリアリティ的に、と思ってたら賭場はあるし、麻雀もあるし、じゃあパチスロあっても違和感ないじゃない。

アレあるとパチスロで遊ぶのがメインになって本筋がサブになってしまうから良かったといえば良かった、と思う。

相変わらず遊べるミニゲームは数多く用意されてる。

どれもまだ熱心には遊んでないけど、カラオケだけは全曲1位取っておきました。「情熱的に合いの手の方」で。

「無難に合いの手」はリズムゲーとして簡単すぎて逆にムズイ。

ご愁傷サマーがリズムゲーとしては一番楽しくて、一番難しい。裏に入ってくるの気持ち良い。

というか、一番の合いの手はもはやヤジレベル。



90点以上取ると絆レベルが上がりやすい気がしました。


そして今作最大のミニゲーム。ドンドコ島、現わる。

赤いモジャモジャの雪男と緑のツルツルな恐竜が現れた時には何が始まるんですか・・・と震えたが、要は島の開拓シミュレーションゲーム。

島のゴミや様々な素材から、島の設備を充実させてゆく。

魚や昆虫を捕獲して名物にしたり。

そういうものが用意されている、ということは事前に開発者インタビューで読んでいたけれど。

これアカンヤツヤデ・・・。

時間が溶ける。15分くらいかと思ったら1時間が過ぎてたり。

 

本編上は数日、という流れだったけど、既に30日以上経過し、そろそろ桐生ちゃんがブチギレて島に乗り込んでくるのでは・・と心配になる。

イルカに乗ればすぐにワイハへ戻れるようだが、ワイハ怖いので戻りたくない。MIA認定でお願いします。

初期の頃はそうでもなかったけど、島に客が来るようになると沼る

2つ星になったところでファームというのが登場して、資源も資金もだいぶ楽に稼げるようになったけど、ちょっと楽になるの早すぎない?

シミゲーは地道に時間をかけて発展させてゆくから楽しいのである。いやこれコマピーです。

とっとと5つ星にして仲間の元に帰りたいと思います。

桐生ちゃん手遅れになってないといいけど。