僕らは、日常からはみ出た異質なものを、芸術と呼ぶことがままある。
世界をどういう切り口で他人に見せるのか?そこに、芸術の本質がある。決して、日常性を失わせてしまうものを、「芸術」と呼ぶのではない。ただ、日常から連続的に導かれた異世界へと人を誘う、その神的な働きを為すものを芸術と呼びたい。そのような定義付けは「ハレ」と「ケ」に近いものがあるだろう。日常というものがなければ、非日常を過ごすことはで . . . 本文を読む
存在のよすがを
揺るがすような
煙が向こうから
ふぅわりと流れてくる
僕は
怖々と深呼吸をし
その不穏な気流を
丸ごと肺のなかへ
押しやった
消えることのない
不安
それは
暗闇で揺れる炎
誰かの吐息で
すぐにでも
かき消されてしまいそうな
それ . . . 本文を読む
哲学上、最も解答を提示するのに困難を伴う命題は、「正義」とは何か?というものだと認識している。
「正義」とは、人の数ほど存在するのであり、また共通の「正義」に関するイメージを持つことは、可能なようで、実に難儀なことでもある。「正義」を振りかざして、「悪」を為すことが一番愚かしいことだ。
「正義」に関して言えば、われわれ人類の発展のためには、それがどういうものなのかを絶えず疑って、より明確なヴ . . . 本文を読む
自分を的確にコントロール出来ることは、世界を正しくコントロールすることと同等の価値を持つに至る。
自分の健全な存在の仕方あってこそ、正常な世界を構築する土台が出来上がるのである。
加えて言えば、世界を変えるためには、まず自分が変わらなくてはいけない。
人間は、絶えず「自己超克」を繰り返す生き物だが、なぜそうする必要があるのか?それは、「自己肯定」をするためである。各々の積み重ねた「自己肯定 . . . 本文を読む