謡曲『養老』の文句が書かれた菓子器です。
14.4㎝ x 14.4㎝。高 10.9㎝。戦前―現代。
2段の菓子器で、外側は布着せになっていて、上段が赤漆塗り、下段が緑漆塗りです。金箔の上に、能『養老』の一節からの文句「長生の家にこそ」が書かれています。
側面3方には、鶴が描かれています。
内側は、黒塗りに金箔、銀箔貼り。
蓋裏も含め、内側は、金銀箔貼り。
蓋裏:
なかなかに煌びやかです。
上段内側:
下段内側:
このようなランダム模様は、案外難しいです。側面にも銀箔が貼ってあります。この写真では、上側面のまん中、右側面の上端、左側面のまん中です。そこへ底面の箔が映りこんで、おもしろい効果を出しています。
能『養老』
(あらすじ)
雄略天皇の時代、帝の勅使たち(ワキ、ワキツレ)は、美濃の国、本巣の郡にある不思議な泉を検分に訪れ、そこで、樵夫の老人(シテ)とその息子(ツレ)に出会います。二人は勅使に、霊水の泉を見つけ、養老の滝について語り、立ち去ります。やがて山神(シテ)が登場し、天下泰平を祝福する舞を颯爽と舞い、天へと帰って行くのでした。
樵夫の老人(シテ)と息子(ツレ)が登場し、「長生の家にこそ・・・」と謡う場面 木版画、18.5 x 25.0㎝、河鍋暁翠、明治12年
(謡曲)
・・・・・・ シテ・ツレ下歌『奥山の深山の下のためしかや。流れを汲むと、よも絶えじ流れを汲むとよも絶えじ。』 上歌『長生の家にこそ。長生の家にこそ。老いせぬ門はあるなるに。これも年経る山住の。千代のためしを、松蔭の岩井の水は薬にて。老いを延べたる心こそ。なほ行く末も、久しけれなほ行く末も久しけれ』 ・・・・・・・・
奥山の深山の下を流れる水で、これを飲めば、大変な長命をするという中国の菊水のように、この養老の水も、いくら汲んでも絶えはしないだろう。かの中国の長生殿には年を寄らない不老門があるということだが、ここの水も年寄った山人が飲んで、千年の寿命を得るという結構なもので、この松蔭の岩間から出る水は、不死の薬で、これを飲めば年を寄らず、なおこの先もいつまでも久しく生きながらえることが出来るのだ。(佐成謙太郎、『謡曲大観第五巻』より)
養老の滝伝説そのものですね。ただ、能では、養老の滝が美濃の本巣郡にあることになっています。これは間違いです。本巣郡は、故玩館のある所。養老の滝はもっと西です。
岐阜県を舞台にした代表的な能は、『養老』『班女』『熊坂』です。いずれも、故玩館のある美江寺宿から中山道の宿を、二つ、三つ西へ行った辺りが舞台です。中世には、その辺の方が栄えていたのでしょう。私が小さい頃、これといった娯楽などなく、お出かけとなると養老の滝が定番でした。多くの人で、大変な賑わいでした。今は、駅周辺から滝まで、ほとんど人を見かけません(^^;
『長生の家にこそ・・・・・・行く末も久しけれ』は、祝の席でよく謡われる小謡です。
長生の家云々は、 和漢朗詠集の詩句『長生殿裏春秋富、不老門外日月遅』に由来します。
故玩館に不老門などあるはずがありません。苦労門ならあります(^^;
養老の水は、菊慈童の菊水のような不老不死の薬、つまり、お酒だったのですね。これも、下戸の私には無関係。
ということで、老いがますます加速!(^^;
不老門にも、薬の水にも無縁ですが、せめて・・・・『長生の家にこそ、牡丹餅』(^.^)