久しぶりの能、囃子です。
今回は、能、天鼓の後場、舞い≪楽≫を中心とした囃子で、小鼓を打ちました。
例年の稽古会ですが、コロナが蔓延し始める、ギリギリの時期、滑り込みセーフでした。
その後はあのコロナ騒ぎですから、呑気に小鼓でも打っていようものなら、「このご時世に不謹慎な」と、コロナより怖い自粛警察が乗り込んできかねません。で、笛や小鼓の鳴り物は鳴りをひそめていたわけであります(^^;
能 『天鼓』
中国、後漢の時代。王白王母夫婦の子、天鼓は、妻が天から鼓が降り、子を身ごもる夢をみた後、授かった子供でした。その後、本当に鼓が天から降ってきました。天鼓がこの鼓を打つと、えも言われぬ妙なる音色で、人々を感動させました。噂を聞いた皇帝は、鼓を献上するよう命じますが、天鼓は拒み、隠れます。しかし、捕らえられ、呂水に沈められてしまいます。鼓は宮中へ運ばれましたが、誰が打っても音が出ません。
そこで皇帝は、天鼓の父、王伯を召しだし、鼓を打たせました。すると、世にも妙なる音色が響き、その奇跡に心を打たれた皇帝は、老父をねぎらい、天鼓を弔おうと決めました。そして、呂水のほとりで音楽法要をいとなんでいると、少年、天鼓の霊があらわれ、懐かし気に鼓をうち、喜びの舞をまいます(≪楽≫)。満点の星の下で楽し気に舞い興じた後、ほのぼのと夜が明ける頃、夢幻のうちに天鼓は消えていくのでした。
【今回の囃子】
打ち鳴らす其声の。打ち鳴らす其声の。
呂水の。波は滔々と。打つなり打つなり汀の声の。
寄り引く糸竹の手向の舞楽はありがたや。
《≪楽≫≫
面白や時もげに。面白や時もげに。
秋風楽なれや松の声。
柳葉を払つて月も涼しく星も相逢ふ空なれや。烏鵲の橋のもとに。
紅葉を敷き。二星の。館の前に風冷かに夜も更けて。夜半楽にもはやなりぬ。
人間の水は南。星は北にたんだくの。
天の海面雲の波立ち添ふや。呂水の堤の月に嘯き水に戯れ波を穿ち。
袖を返すや。夜遊の舞楽も時去りて。五更の一点鐘も鳴り。
鳥は八声のほのぼのと。夜も明け白む。時の鼓。数は六つの巷の声に。
また打ち寄りて現か夢か。また打ち寄りて現か夢幻とこそなりにけれ。
≪楽≫
能の舞いの一つで、雅楽の舞楽を模して舞う舞いです。したがって、「天鼓」「富士太鼓」「鶴亀」「邯鄲」など中国や舞楽に関係する能で舞われることが多いです。序の舞や中之舞など、呂中干形式の舞いとは異なり、どこか異国情緒が漂う、軽快な舞いです。
太鼓が入ることが多いですが、今回は、笛、大鼓、小鼓だけの大小物です。
今回、師匠の笛で小鼓を打ちました。師匠、相当に気合いが入っていて、笛に位負けですね(^^;
謡いは、私の謡いの師匠、京都、観世流M師です。大鼓は、石井流K師です。
長いですが、よかったら、聞いてみてください。
囃子『天鼓』(19分のうち≪楽≫12分)
https://yahoo.jp/box/YSWOGA(ダウンロードしてください)
長時間(18分52秒)緊張感を持続させているのは大変でしょうね。
これだけ長いと全部は覚えきれません。間違えた部分も何ヵ所か(^^;
一般的な能の曲なら、プロはその場ですっと出てきます。職業とはいえ、すごいですね。