関ケ原にはおさらばして、祖父の残した花道具に戻ります。
祖父が活花を習っていた時の物がいろいろでてきました。
明治四十三年五月付けの免状のようなものが何枚か。
芭蕉、水仙、万年青、朝顔、椿、牡丹、蓮の7種について、習得したという池坊の証書でしょうか。
テキストのような印刷物もありました。
こちらは、池坊の教科書?
さらに、巻物も。
巻物ということで、ギョッとしましたが(『関ケ原合戦絵巻』がまだ頭から離れません(^^;)・・・
こちらも、伝授された7種の花についての説明。
そして、「池坊門弟 七種傳 翠雲軒」などという大そうな号までいただいていました。
で、そのお値段は、しめて五円五十銭。
明治の一円は、今の5000円-10000円に相当するそうですから、法外な値ではないですね(^.^)
しかし、祖父の活花は、
池坊とは、似ても似つきません(^^;
これは、いったいどうしたことか?
花の世界も免状制度みたいのあったんですね!
この型を覚えたあなたはうちの流派を名乗ることを許すとかそんな感じなんですかね??おもしろいです。
私はこういうのは格式とか伝統の雰囲気を感じて好きです。
お祖父様に関しはきっとそれらを超越してしまったに違いありません笑
流派をつくるくらいの名人になってしまたったのかもですね(^^)
そして、その後(?)の実際の活躍に際して残した多くの生花の写真の存在も貴重ですね。
生花史研究の良い史料になりますね(^_^)
下から吸い上げていくピラミッド型のシステムです。
功罪はいろいろあるのですが、曲がりなりにも400年以上続いてきた(伝統文化の多くが、室町時代、足利将軍の頃にできた)のは、家元制度のおかげだと思います。
領収証も含めて、何がしかの資料にはなるかもしれないと思い、恥を承知でブログに出しました(^^;
ただ、ありがたみに欠けるのは、池坊の場合、文面のほとんどは印刷(木版)による点です。もちろん、日付や人名は肉筆ですが。この点が、江戸時代の免状と違いますね。