遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

引っ越しブログ100日! 後期色鍋島岩牡丹紋皿

2019年09月18日 | 古陶磁ー全般

早いもので、こちらのブログへ引っ越してから今日で100日目です。

別に、数えていたわけではなかったのですが、編集トップの画面にカウントされていて、気がつきました(笑)

ブログを始めたものの、右も左も分からず、ウロウロしていましたが、たくさんのブロガーの皆さんに助けられて、ここまでやってこられました(^|^;)。

 

私にとって小さな節目ですので、らしい品が何かないかと探してみました。

しっかりとしたしつらえの桐箱に入っています(ということは、他はほとんど裸(^.^;)。

底には真綿が敷かれ、上等な仕覆に包まれています。

 

 

 

 

 

出てきた品は、

期色鍋島岩牡丹紋中皿です。

径20.6㎝、高6.2㎝、高台11.0㎝。

 

染付の絵付けの上に、色をさしてあります。

にぶい赤色、緑色、黄色の3色です。

赤は、もちろん、花びらを彩色。

 

緑色は、主に、葉裏(濃みが薄い)に使用されています。

黄色は、ほんのわずか、メシベにだけに使われています。

 

 

裏面も、後期鍋島のレベルです。高台に少しゆがみがあります。

 

前のブログで紹介した、染付の後期鍋島岩牡丹紋皿と較べてみます。

https://blog.goo.ne.jp/chisei/e/c3a88d2ad070e00df3b730ad4949882e

 

 

 

 

 

 

 

模様は、一部異なりますが、かなり似ています。大きさや作りはほぼ同じ、手取りもほぼ同じです。

同一ではないものの、同手の皿と言っていいでしょう。

 

染付のこの模様の後期鍋島皿は、時々見かけます。しかし、色絵の方は、他に出会ったことがありません。

 

どうして、この皿が存在するのでしょうか?

可能性は二つ。

1)当初から、染付の上に色釉で彩色を施し、色鍋島皿として作った。

2)後になって(明治?)、比較的多く出回っている染付鍋島皿の価値を上げる目的で、色を加えた。

残念ながら、1)2)を見分ける方法はありません。しいて言えば、・・・・

立派に完結した染付の絵の上に、さらに色をさすのはあやしい、という考えからすれば、2)です。が、先のブログで紹介した古九谷椿紋皿 は、今回の皿のように、染付でしっかりと描かれた椿の上に色をさしています。

2)のような例は、白磁の大徳利に後絵を施して作った偽古九谷や無紋の皿に軽妙な絵を描いた石皿などにみられますが、やはり、どこかちぐはぐな感じがします。

今回の色絵皿、真面目に色付けされているように見えるのは、私の欲目?


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ものぐさ有機農業。畑に朝顔。 | トップ | 魯山人織部鉢 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんわ遅生さん (たか)
2019-09-18 18:20:56
このお皿、欲しい

欠点が有りませんよね。

色絵の器も染付の器も最高です。
返信する
たかさんへ (遅生)
2019-09-18 18:43:22
鍋島焼は特別な焼物で、粗相をすれば、番町皿屋敷のお菊さんのようになってしまいます(笑)。
でも、それは盛期鍋島のおはなし。後期鍋島は、ほとんど別物です。安心して使ってもいいようなものですが、なぜか2皿とも、使用した気配が全くありません。
100日記念で、思いきって使ってみます。
そういえば、桐箱に、「鍋島菓子皿」と書いてありました。ぼた餅でも山盛りにしましょうか、牡丹紋皿だし(^.^;)
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2019-09-18 19:36:48
う~~ん!
ちょっと難問ですね(><)
以下は、私の私見です。

鍋島の場合は、下絵図を利用して作られることが多いですから、同じような文様が多く作られますよね。
ただ、奢侈禁止令の出された享保以後は、盛期鍋島で使われた多色の色絵は影をひそめ、後期鍋島になると、せいぜい、赤のみが使用されたと言われていますね。それも、控えめに少し。
たまに、緑や黄も使われていることもあるようですが、
ほんの少しだけ使用されている例が多いようですね。
この場合は、緑がかなり多く用いられていますよね。
高台に少し歪みが見られますし、後期鍋島かなとは思うんですが、色絵の使用に、一般的に言われている説明と齟齬しますので、なんか、釈然としないものを感じました。
このような例外もあるのかもしれませんが、自信がありません。

なお、古九谷の場合は、そのような色の制限などありませんでしたから、比較できないのかな~と思いました。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2019-09-18 20:08:18
おっしゃる通りです。
同じようなことを、私も感じてました。
古九谷なら、窯疵隠しで色釉塗ること、あります。でも、高台のゆがみを、色でごまかすこともできないし・・・・
かといって、必死で染付を色絵に変えても、後期の場合、それほど値が上がるわけでもないし・・・・
で、今のところ、全くの想像ではありますが・・・・少し上がりの良くない皿に、テスト的に色釉をのせてみた(^.^;)
返信する
難しいですね~ (酒田の人)
2019-09-18 23:41:03
この世界の大先輩のDr.kさんでもはっきりしない品がワタシに判るわけがないんですが、とりあえず私見です。

ベースになっているのは間違いなく後期鍋島ですね。正直、この文様の色絵というのは初めて見ました。
とはいえ、色調が明らかに色鍋島とは異なっている点を考慮すると、最初から色絵皿として作ろうとしたようには感じられないように思います。
可能性があるのはやはり、明治期以降になってから後絵として色絵が入れられたということでしょうか。
ただ、色調も含め例えば香蘭社のようなレベルの絵付けではない点から推測すると、伊万里のどこかの窯の陶工が色絵付けをしたという想像はできるように感じます。

近年、中国出来と思われる変な柿右衛門や鍋島がヤフオクで出回りましたが、この品は手の品とも雰囲気が違うように感じます。
興味深く、面白い品であることは間違いありません。

返信する
酒田の人さんへ (遅生)
2019-09-19 06:13:49
コメント、ありがとうございます。
うーん、とうなりますね。
私が大先輩Dr.kさんのコメントへの返信で書いたのも、酒田の人さんと同趣旨です。
ただ、この品は、やはり、戦前コレクターの関係者からいただいた物です。今出来の変な品でないことだけは確かです。染め付け皿の方は、比較のため、後で私が買いました(^^;)
返信する
色絵鍋島 (pada)
2019-09-25 18:33:02
今晩は
このタイプの色絵鍋島~初めて見ました。
padaも二枚持ってますがどちらも染付です。
正直分かりませんが手に持って拝見したい気がします。
返信する
padaさん (遅生)
2019-09-25 19:36:37
これを、後期色鍋島と言い切ってしまう自身は、私にもありません。幕末から明治初期にかけての鍋島焼は、これまでほとんど注目されてきませんでしたから、研究もこれからだと思います。私見ですが、この皿は、何らかの理由で、試験的に作られた物ではないでしょうか。
返信する

コメントを投稿