昨日、洞爺湖サミットが閉幕した。ウインザー城と呼ぶに相応しい世俗と隔絶された風光明媚な会場で、三日間にわたり繰り広げられた会議の成果は?確実に言えることは、G8だけで世界を牛耳ることが不可能な時代になったということだ。
国連の構造改革と同時並行的にサミットの存在意義を問い直す時期が確実に到来した。サミットが30数年の歴史を経た現在、設立当初の主要6カ国が7・8と増えて来た事実は何を意味するのか。また、経済成長著しい中国・インド抜きには達成出来ない環境問題を8カ国で結論付けられる筈もなかった。
国連とサミットの生い立ちに違いはあっても、国際社会の平和と安定的な発展を希求する点では機軸を同じくする。G8のメンバーである日本とドイツが逆立ちしても国連の常任理事国にはなれないのに対し、中国は常任理事国だ。ロシアにしても、G8メンバーとしては後発組だ。
軍事的、或いは、経済的な優位性に基づくご都合主義の寄り合い世帯が地球規模での普遍性を実現出来ると考えるのは傲慢だ。同時に、その指導力にも限界があることを浮き彫りにしたのが今回のサミットではなかっただろうか。福田議長のように議論の足掛かりが出来たと自画自賛している間にも、温暖化は進行している。