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時悠人chosan流処世術

★萩&湯田温泉紀行(完):余禄その2

2021-11-30 07:59:14 | 日記・エッセイ・コラム
 遊覧船の船頭さんが、「伊藤博文や山形有朋は、偉く出世したが、自分はさっさと故郷を捨てて、贅沢な暮らしを送り、萩のために何もしてくれなかった。」と漏らした言葉が、しばらく頭から離れなかった。

 20年近く前に、友人と京都の「無鄰菴」を訪れた時、「山口県出身の山形有朋の別邸が、どうして京都に?」と、語り合ったことを思い出した。

 「無鄰菴」は、南禅寺近くの閑静な場所にあり、その広さは約3,135㎡で、7代目小川治平衛の作庭によるもので、国の名勝に指定されている。

 説明文によると、洋館二階の間を、要人との会見に使ったそうで、日露戦争前の1903年4月21日に山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎による「無鄰菴会議」が行われた。小村以外の3人とも山口県出身だ。

 権力者の営みは、古今東西を問わず、変わらない。