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神谷和宏http://www.katch.ne.jp/~k-kami/です
人は正のストローク(承認する行為)が充分になされないと、
投げやりになります。
投げやりということは、
本人のなかに建設的に生きようとする
勇気を失っているということです。
人は建設的言動を選択する方向にもいくことができるし、
非建設的(破壊的)言動を選択する方向にもいくことができます。
人間が何かを選択するときの原動力は欲求の充足です。
簡単に言うと、「快」を求めているということです。
建設的言動は、「快」につながります。
自己実現欲求という高度な欲求を満たすために
努力を惜しまなくなるのが人間の本来の力です。
では非建設的言動でも、なぜ「快」につながるのでしょうか?
あなたは今までの人生のなかで、
何かをあきらめたという経験はありますか?
今日中に仕上げようと思っていた仕事をあきらめて、
先延ばしをした、というようなことでも結構です。
そのとき、心のなかで何が起きましたか。
自責の念にかられたという人もいるかもしれません。
しかし、その直前に何が起きましたか。
一瞬ですが、安堵感のような感覚が訪れませんでしたか。
「まあ、いいや」と
思った瞬間に起きるほっとした感覚が、実は「快」なのです。
小さな「快」ではありますが。
このようにして人はあきらめが習慣になり、
やがては他から見て問題だと思われる
さまざまな言動をとるようになっていきます。
問題だと見なされる言動をとっていると、
誰かから同情されたり、
不愉快そうな表情で見られたりといった
負のストロークを得ることができますし、
「もうこれ以上、責任をとらなくてすむ」
「自分ではなく、他の人のせいだ」
といった被害者意識を持って現実逃避行動をしていると、
小さな小さな安堵感を一瞬ですが、得ることができるのです。
心理学者のアドラーは、
「すべての人間の問題、すべての不適切な行動の根本原因は、
勇気を失っていることにある」と考えました。
勇気を失うと、人は破壊的な言動をとりやすくなるのです。
多くの人は、
建設的言動を選択した方が充実した人生になると信じています。
しかし、分かっているのにもかかわらず、
なぜか人はときには非建設的言動を選択してしまいます。
このとき人は、勇気を失っているのだと見ることができるでしょう。