本日2回目の投稿です。
6月5日日曜日は、ご存じ、青森県知事選挙です。
県内の有権者の皆様は、すでに期日前投票に行った方もいると思います。
私は日曜の朝に行きます(と、思います。でも必ず行きますよ)。
昨今、投票率の落ち込みは顕著ですよね。関心がない人もいれば、面倒くさいと
思う人もいれば、誰にも期待できないから投票しないという人もいます。
でも、やっぱり県民としては、青森県の直近の問題はもちろん、未来の事も含めて、
私たちには選ぶ権利と責任がありますからね・・・。
たかが一票などと思わないでくださいね。みんなが「たかが・・・」と言っていると
ちりも積もれば山となるように(たとえが違うのは知っているが。)、どんどん
行かない人が増えますから。
ところで、ここからは今回の選挙とは関係ないので、混同して考えないでほしいのですが。
朝日新聞に数週間前の読者投稿欄に、福島のある高校教諭の、とても心痛む記事が
載っていたんです。ご覧になった方達もいると思います。
知らない方のために・・・。
かいつまんで言うと、
福島市内のある高校生達の嘆きです。
「原発の近くの住民には「避難区域」として、よそに移動して避難できても、
福島市のように特別な区域になっていない人々は、避難したくても避難できない。
このまま危険な放射能にさらされて生きて行けというのか。
政府もきっと、福島市や郡山市を避難区域にしてしまうと、交通網が遮断され、
新幹線や車が通れなくなれば、経済が低迷する。
だから、福島や郡山のように都市部は避難区域にできないんだ。
いっそのこと、福島第一原子力発電所がまた爆発してしまえばいいんだ。」(原文の通りではありません。)
これを読んで、私は心がとても刺されました。
うまく表現できないけれど、痛くて、悲しくて、つらかった。
原発事故なんか起きなければ、今ごろ彼らは、友達と学校生活を楽しんでいたに
違いないと思います。
どうしてもぶつけどころがなくて、ある日のこの会話が先生のいる中で発せられた
のでしょう。
将来に夢も希望も見いだせないで不安な毎日を送っています。
彼らのために祈るしかないのですが、本当に心が痛みます。
福島から何百キロも離れていると、原発事故を心配していても、やはりどこか
緊迫感が薄れることもあります。
本当にこんな悲劇を二度と繰り返してもらいたくないという気持ちです。
チェルノブイリは25年以上たつ今も、汚染地区は入れないようです。
後遺症に苦しむ人たちもいます。
この福島の若者達、小さな子供達は、これから未来を築いていく大切な人たちです。
子供達が一番放射能に対して弱いのです。
日本全国で、原発やエネルギーについての議論が少しずつでも起こっているのは
感謝なことです。
大切なのは、それを続けていくことだと思います。
青森県内では残念ながら、まだまだその議論が熱くならないのが気になります。
そりゃ、原発に頼らないと経済がままならない、仕事がなくなるなど、いろんな
事がマイナスになるという懸念はわかります。
でも、議論だけでももっと盛んになるように祈らされます。
まずは身近な人たちと語り合うことのように思います。
ここあでした。
6月5日日曜日は、ご存じ、青森県知事選挙です。
県内の有権者の皆様は、すでに期日前投票に行った方もいると思います。
私は日曜の朝に行きます(と、思います。でも必ず行きますよ)。
昨今、投票率の落ち込みは顕著ですよね。関心がない人もいれば、面倒くさいと
思う人もいれば、誰にも期待できないから投票しないという人もいます。
でも、やっぱり県民としては、青森県の直近の問題はもちろん、未来の事も含めて、
私たちには選ぶ権利と責任がありますからね・・・。
たかが一票などと思わないでくださいね。みんなが「たかが・・・」と言っていると
ちりも積もれば山となるように(たとえが違うのは知っているが。)、どんどん
行かない人が増えますから。
ところで、ここからは今回の選挙とは関係ないので、混同して考えないでほしいのですが。
朝日新聞に数週間前の読者投稿欄に、福島のある高校教諭の、とても心痛む記事が
載っていたんです。ご覧になった方達もいると思います。
知らない方のために・・・。
かいつまんで言うと、
福島市内のある高校生達の嘆きです。
「原発の近くの住民には「避難区域」として、よそに移動して避難できても、
福島市のように特別な区域になっていない人々は、避難したくても避難できない。
このまま危険な放射能にさらされて生きて行けというのか。
政府もきっと、福島市や郡山市を避難区域にしてしまうと、交通網が遮断され、
新幹線や車が通れなくなれば、経済が低迷する。
だから、福島や郡山のように都市部は避難区域にできないんだ。
いっそのこと、福島第一原子力発電所がまた爆発してしまえばいいんだ。」(原文の通りではありません。)
これを読んで、私は心がとても刺されました。
うまく表現できないけれど、痛くて、悲しくて、つらかった。
原発事故なんか起きなければ、今ごろ彼らは、友達と学校生活を楽しんでいたに
違いないと思います。
どうしてもぶつけどころがなくて、ある日のこの会話が先生のいる中で発せられた
のでしょう。
将来に夢も希望も見いだせないで不安な毎日を送っています。
彼らのために祈るしかないのですが、本当に心が痛みます。
福島から何百キロも離れていると、原発事故を心配していても、やはりどこか
緊迫感が薄れることもあります。
本当にこんな悲劇を二度と繰り返してもらいたくないという気持ちです。
チェルノブイリは25年以上たつ今も、汚染地区は入れないようです。
後遺症に苦しむ人たちもいます。
この福島の若者達、小さな子供達は、これから未来を築いていく大切な人たちです。
子供達が一番放射能に対して弱いのです。
日本全国で、原発やエネルギーについての議論が少しずつでも起こっているのは
感謝なことです。
大切なのは、それを続けていくことだと思います。
青森県内では残念ながら、まだまだその議論が熱くならないのが気になります。
そりゃ、原発に頼らないと経済がままならない、仕事がなくなるなど、いろんな
事がマイナスになるという懸念はわかります。
でも、議論だけでももっと盛んになるように祈らされます。
まずは身近な人たちと語り合うことのように思います。
ここあでした。