子供が寝てる間に。
出産してから、その間ばかりを縫って生活しております。
退院して、家に閉じこもって今日で12日目。意外にもこのひきこもり生活が苦ではない私です。(もちろん、夫や実家の母が何でもやってくれてるからなんだけど)
今日は出産の話をしたいと思います。
予定日から6日目、痺れを切らした私は、以前友達から聞いた手を使うことにしました。それは陣痛を来させるためにすっごく歩くというもの。
それで家から六本木の新国立美術館まで嫌がる母を伴って歩きました。
途中お昼に西麻布の三河屋に母が入りたがったのでコロッケ定食(チキンカツのおまけ付き)を食べ、日展を見て地下1階の座り心地最高のソファで1時間程まったりしてから、また徒歩にて帰宅。
途中お腹に鈍痛を感じないではなかったのですが、何せ初産、何が陣痛かいくら本で読んでみても、これがそうかとは言い切れない。
だけど家に帰ってトイレに行くと、これまた待ち望んでいたおしるしが。
ちょうど7時くらい。これが陣痛か?と病院で言われてた通り、時間を計り、そんな曖昧な痛みが2時間続いたところで病院に連絡をしました。
今思えば、興奮半分恐怖半分、あの夜のただならぬ雰囲気と病院へ向かうタクシーと夜の風景は忘れられない。
病院に着いたのは22時頃。
分娩室に入り、言われた通りに着替えを済ませ、分娩台に横たわります。夫とはここでお別れ。この時点ではまだまだ余裕でした。本に書いてある通り、いよいよだわ、という興奮が先にきていたのです。
それから優しそうな助産師さんとマンツーマン。数分毎に襲われる陣痛に耐え、壁にかかったデジタル時計が時を刻むのを見つめます。途中喉がカラカラに渇き、友達に頂いたチューチューストローをペットボトルにつけて水分補給。
病院の中は異常に暑く、陣痛の痛みで腰が本当に痛い。
助産師さんからは、これからに備えて寝てくださいと言われ、そうこうしながら過ごす事朝7時。担当だった助産師さんが勤務交代で帰ってしまい、代わりの人がやってきて、説明を受けます。
「これからもっと激しい陣痛がやってきて、叫んじゃったり、もう普通に呼吸出来なくなります。そしたら教えて下さい。」
計り知れない恐怖。もう何度途中で辞めますと言いたかった事か、
いつ終わるとも知れない出産。
これからどうなるの??
パニックの中、母が心配で顔を見せ、病院側からは「もしお母様が付き添いなさるなら署名して下さい」と紙を渡されます。(この病院は付き添いする場合は1万円払う必要があります、でもこんな時に署名を求めなくても)激しい痛みに襲われながら、母に「帰っていいよ」と息もたえだえに訴えます。(ずっと夫か、母に付き添いをお願いしようか迷っていたのですが、実際体験してみて、付き添ってもらわなくて良かったなあと思いました。だって、あんな苦しいとこを見せるのは忍びなさすぎるもの)
そうそう、私の場合、微弱陣痛というやつで、緊急帝王切開になる可能性もあって、途中食べ物も飲み物も禁止になり、ちょっとだけ楽しみにしていた陣痛食はおあずけ状態。喉の渇きもガラガラペッと口を潤すだけしか出来ませんでした。(これもつらかった)
なので、陣痛促進剤を使い、それでもあまりうまく陣痛が来ず、でも何が何だか激しい痛みに錯乱状態。ようやくいよいよという処で、とうとう出産準備、息を止めて、思い切りいきむ。これまでしたことのない顔でいきむこと十数回。(いきむのもこれまた辞めたいくらいきつかった)先生たちにお腹に乗っかられ、入院から18時間後、何とか赤ちゃんを出産しました。
はっきり言って、本当に壮絶でした。本当に途中で辞めたかったし、でもノンストップだし、お腹にあるものはださなきゃならないし、二人目を考えてましたが、今は絶対生みたくありません。よくドラマとかで「その体じゃ出産に耐えられるだけの力はないよ、」とか医者のセリフにありますが、本当にそう思いました。
出産後は興奮状態。傷の縫合をしてくれてる先生たちにいかに怖かったかという事と感謝の言葉をツラツラ述べ、処置後に泣きながら入ってきた夫と母にもいかに怖ろしかったかを話しました。母には、「あんなつらそうなの初めて見て、見てられなかった」と言われました。
でも何はともあれ、人生の大仕事をやり遂げたという興奮状態にありました。
出産してから2時間をそうして分娩台の上で過ごし、その後助産師さんに付き添われ、トイレへ。この時、自分の中では身軽になってヒョイヒョイ動けると思っていたのですが、大量に出血していたので激しい貧血になっていてフラフラ。
興奮でわからなくなっていたのですが、体は相当疲弊していたのですね。
車椅子で病室へ。
透明のケースに入れられた赤ちゃんと対面。
出産直後、赤ちゃんはヘソの緒が巻きつき、ちょっと危険な状態にあってすぐに処置室へと運ばれていたのでした。(だから先生がお腹に乗ってでも早く出す必要があったそうです、)
感動の対面、いったいどんな風な子なんだろう、どんな風に思うんだろう、妊娠がわかってからというものずっと夢見てきた瞬間。
感動で泣いてしまうのかもしれないとかいろいろ。
でも実際は、じわじわ。なんか他人みたい。これがお腹から出てきた子?
じわじわ。じわじわ。どう思ったのか正直よくわからない。ただ、小さくて、消えてしまいそうで、どうすればいいか正直わからなかったけど、五体満足に産まれてきてくれた、それだけで本当に感謝感激の夜になったのでした。
出産してから、その間ばかりを縫って生活しております。
退院して、家に閉じこもって今日で12日目。意外にもこのひきこもり生活が苦ではない私です。(もちろん、夫や実家の母が何でもやってくれてるからなんだけど)
今日は出産の話をしたいと思います。
予定日から6日目、痺れを切らした私は、以前友達から聞いた手を使うことにしました。それは陣痛を来させるためにすっごく歩くというもの。
それで家から六本木の新国立美術館まで嫌がる母を伴って歩きました。
途中お昼に西麻布の三河屋に母が入りたがったのでコロッケ定食(チキンカツのおまけ付き)を食べ、日展を見て地下1階の座り心地最高のソファで1時間程まったりしてから、また徒歩にて帰宅。
途中お腹に鈍痛を感じないではなかったのですが、何せ初産、何が陣痛かいくら本で読んでみても、これがそうかとは言い切れない。
だけど家に帰ってトイレに行くと、これまた待ち望んでいたおしるしが。
ちょうど7時くらい。これが陣痛か?と病院で言われてた通り、時間を計り、そんな曖昧な痛みが2時間続いたところで病院に連絡をしました。
今思えば、興奮半分恐怖半分、あの夜のただならぬ雰囲気と病院へ向かうタクシーと夜の風景は忘れられない。
病院に着いたのは22時頃。
分娩室に入り、言われた通りに着替えを済ませ、分娩台に横たわります。夫とはここでお別れ。この時点ではまだまだ余裕でした。本に書いてある通り、いよいよだわ、という興奮が先にきていたのです。
それから優しそうな助産師さんとマンツーマン。数分毎に襲われる陣痛に耐え、壁にかかったデジタル時計が時を刻むのを見つめます。途中喉がカラカラに渇き、友達に頂いたチューチューストローをペットボトルにつけて水分補給。
病院の中は異常に暑く、陣痛の痛みで腰が本当に痛い。
助産師さんからは、これからに備えて寝てくださいと言われ、そうこうしながら過ごす事朝7時。担当だった助産師さんが勤務交代で帰ってしまい、代わりの人がやってきて、説明を受けます。
「これからもっと激しい陣痛がやってきて、叫んじゃったり、もう普通に呼吸出来なくなります。そしたら教えて下さい。」
計り知れない恐怖。もう何度途中で辞めますと言いたかった事か、
いつ終わるとも知れない出産。
これからどうなるの??
パニックの中、母が心配で顔を見せ、病院側からは「もしお母様が付き添いなさるなら署名して下さい」と紙を渡されます。(この病院は付き添いする場合は1万円払う必要があります、でもこんな時に署名を求めなくても)激しい痛みに襲われながら、母に「帰っていいよ」と息もたえだえに訴えます。(ずっと夫か、母に付き添いをお願いしようか迷っていたのですが、実際体験してみて、付き添ってもらわなくて良かったなあと思いました。だって、あんな苦しいとこを見せるのは忍びなさすぎるもの)
そうそう、私の場合、微弱陣痛というやつで、緊急帝王切開になる可能性もあって、途中食べ物も飲み物も禁止になり、ちょっとだけ楽しみにしていた陣痛食はおあずけ状態。喉の渇きもガラガラペッと口を潤すだけしか出来ませんでした。(これもつらかった)
なので、陣痛促進剤を使い、それでもあまりうまく陣痛が来ず、でも何が何だか激しい痛みに錯乱状態。ようやくいよいよという処で、とうとう出産準備、息を止めて、思い切りいきむ。これまでしたことのない顔でいきむこと十数回。(いきむのもこれまた辞めたいくらいきつかった)先生たちにお腹に乗っかられ、入院から18時間後、何とか赤ちゃんを出産しました。
はっきり言って、本当に壮絶でした。本当に途中で辞めたかったし、でもノンストップだし、お腹にあるものはださなきゃならないし、二人目を考えてましたが、今は絶対生みたくありません。よくドラマとかで「その体じゃ出産に耐えられるだけの力はないよ、」とか医者のセリフにありますが、本当にそう思いました。
出産後は興奮状態。傷の縫合をしてくれてる先生たちにいかに怖かったかという事と感謝の言葉をツラツラ述べ、処置後に泣きながら入ってきた夫と母にもいかに怖ろしかったかを話しました。母には、「あんなつらそうなの初めて見て、見てられなかった」と言われました。
でも何はともあれ、人生の大仕事をやり遂げたという興奮状態にありました。
出産してから2時間をそうして分娩台の上で過ごし、その後助産師さんに付き添われ、トイレへ。この時、自分の中では身軽になってヒョイヒョイ動けると思っていたのですが、大量に出血していたので激しい貧血になっていてフラフラ。
興奮でわからなくなっていたのですが、体は相当疲弊していたのですね。
車椅子で病室へ。
透明のケースに入れられた赤ちゃんと対面。
出産直後、赤ちゃんはヘソの緒が巻きつき、ちょっと危険な状態にあってすぐに処置室へと運ばれていたのでした。(だから先生がお腹に乗ってでも早く出す必要があったそうです、)
感動の対面、いったいどんな風な子なんだろう、どんな風に思うんだろう、妊娠がわかってからというものずっと夢見てきた瞬間。
感動で泣いてしまうのかもしれないとかいろいろ。
でも実際は、じわじわ。なんか他人みたい。これがお腹から出てきた子?
じわじわ。じわじわ。どう思ったのか正直よくわからない。ただ、小さくて、消えてしまいそうで、どうすればいいか正直わからなかったけど、五体満足に産まれてきてくれた、それだけで本当に感謝感激の夜になったのでした。