五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

そろそろ奈良に

2012年09月22日 | 第2章 五感と体感
今年に入り、京都や名古屋、東北への旅が重なり、私にしては珍しいことに昨年の奈良豆比古神社の翁舞と山の辺の道11キロを歩いて以来、奈良を訪れていません。奈良の旅から11カ月。とはいえ、ツイッターやFBで毎日奈良や京都方面から発信されるつぶやきや情報のお陰で、奈良病(これは私の造語です)にかからずに済んでいます。SNSの私の使い方は、随分お得かな、と思っています(笑)

先日、ふと思い出し、日本国内で、行きたい場所をざっくりと書いてみました。すると、軽く12か所ありました。でも、これはあくまでもざっくりであり、細かく書くと、一か所一回の旅で巡り切ることはできません。

辻邦生氏の西行花伝の中で、西行法師が40年ぶりの陸奥の旅で、自分が山道を歩き、その山道の根っこを越す足の感覚、そしてその時の空気がまざまざと蘇ってくる場面の描写がありました。心に沁み入る美しい場面でした。

旅とは、このような感覚の繰り返しであるかもしれない思い、その思い出す体感を感じたい為の旅であるような気がし、同じ場所を定点観測のように歩くことは、その蘇る体感によって、自己の変化を意識化することに直結するようにも思いました。

蘇る体感は、私も時々起こります。

五感を大切にするほど、その蘇る体感に出合う事ができるように思います。

自分が行って、見て、感じることの体感は、画面から通して感じることはできるものではありません。

そのような意味で、東大寺の裏手、二月堂への小路で感じた自分の体感は、ひょっとしたら本当に私の生涯持ち続ける宝物かもしれません。

巻子持ち、草履を履いた小僧がパタパタと講堂に向かって走っている感覚。。。これは、千年前の私の眠っていた魂が、小路を歩く私に、蘇らせてくれたのだと信じています。
奈良病発症はまだですが(笑)この体感を蘇らせたく、奈良の旅をしたいなぁ…と、思う秋の始まりの週末です。

結局は、奈良や高野山や近江や京都や神戸、大阪から発信してくださる皆様のお陰で、なんとか持ちこたえているのかもしれません。
皆様に、感謝しております。

ああ、、、、旅したい、、、

クリック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする