五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分を一本の木に例えるなら?

2012年09月27日 | 第1章 意識と知覚
日本人のアイデンティティと自己のアイデンティティを意識化することが昨日の勉強会のメインのテーマでした。

キリスト教文化で生まれた心理学の学問を学ぶことは、理論を学ぶだけなら問題ないのですが、やはり私は日本人です。なので、臨床心理学を学び続けていくには、このテーマで向き合っていくととしっくりするのです。

昨日はアマテラスと持統天皇の関係を学びつつ、自己のアイデンティティについて、それぞれの思いを語り合いました。

そこで、問われたことを一つ、ここで私も問いかけてみます。

前後のセッションは長くなるのでここでは書きません。

「あなたが木であるとしたら、何の木ですか?」

この問いに、「菩提樹…」と、ふと思いました。

根っこも幹も枝もどこもかしこも安定感がある菩提樹。葉っぱの緑は黒々しています。

ある方に、どこの菩提樹を思ったの?と聞かれ、気付いたことがあります。

それは若い頃旅した印度の旅で、ルンビニに立ち寄ったことを私は思い出していたようです。釈迦が生まれたルンビニの生誕地だという場所で見た菩提樹の木です。
私が初めて菩提樹という木を意識した場所であり、以降、この映像が自分の中に象徴化されていることに気付きました。

数十年、ルンビニに行ったことを忘れていました。

記憶とイメージ、というのは、いつどこでどういうふうに引き出されてくるかわからないな、と、またまた面白さを感じた一日でした。

天の岩戸を開けたアマテラスのお顔(面)が、光に当たっていなかったので真っ白だったことが「面白し」の語源だと、どこかで学んだような気がしているのですが、ガセでしたらごめんなさい(笑)

余談ですが、日曜日の日本経済新聞の本の紹介に目が留まりました。フランスでベストセラーになった本です。「フレデリック・ルノワール著の哲学者キリスト」原点に帰りたく、自己のアイデンティティを見直す意味で、フランス人がキリスト教から紐解いていくことは当然のことです。キリストを哲学者とみなし、中世の悪行以前の原点を見つめる作業をしたくなる情動は、人類の普遍的欲求なのだと、しみじみ思います。

日本人はというと、古事記・日本書紀のアイデンティティを含みながらも、それ以前の古層を学ぶことの情動が湧くのは、やはり当然のことであると思うのです。

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