自分の置かれた環境や出来事に「イラッ」としたり、「こんなハズじゃなかった…」、と思い悩むことは、人生過程に於いて、小さな事を含めると数え切れないほど経験しています。毎日が、その繰り返しです。
生き甲斐の心理学を学ぶにあたり、まず最初に学んだ事の二言三言に、私自身の考え方をガラリと変えられたものがあります。
それは、「不安は人の本質である」
そして「自分の悩みの答えは自分の生育史のなかに必ず宿っている」、
その上、ある傾向の社会の中で、自分がヘンなんじゃないかと、悩んでいた時期の私に「それは、あなたの個性の美ですね」と、言われた瞬間に、自分を追い詰めていた「悩み」という囚われから解放されました。
その後、未だ生き甲斐の心理学を学び続け、NPOを設立し教育普及活動をしながら、個人的には学校でスクールカウンセラーとして仕事をしています。
どんなに他人が自分の「個性の美」を讃えても、自分自身が「そんなんじゃない」と解釈していたら、それまでの話です。
自分自身が自分自身を肯定していない限り、せっかく育んできた自分の個性の美を殺してしまうのです。
「自分の生育史は宝物である」ことを自分の中で受容しているとしたら、たぶん、どんな環境の中でも自分のアイデンティティを信じて、自ずから適応の方向に導いていくはずです。
他者から期待されることは、ほんとうに他者が自分に期待していることなのか?
そして、自分が「~せねばならない」と、思っている事は、生まれてから今日まで育まれてきた自分の習慣とどう繋がっているか、ということをまず意識化していくことから学びがスタートしていきます。
つまり、私と他者を分けているかどうか。親も子も伴侶も他者です。そのことを意識できているか。
親や子、夫や妻に言われ続けてきた事、言い続けてきた事、そして期待すること、期待されることが、自分が他者と混同していないか?
勿論、親子関係も夫婦関係も、どんなに「自分は違う!」と、思っていても、いつしか互いに依存し合っていることのほうが自然な成り行きだと思います。それを敢えて、自分と他者として分けようとすると、自分がいつもどんな主語を使って日常生活しているかに気付いたりします。
ついつい、口に出している「母が、」「父が、」「夫が、」「妻が、」「子供が、」....
「私が、」「私は、」という主語を使う事を促していく事から学びを始めていくケースも少なくありません。
どんな環境の中でも、自分を活かしていく力は生き抜いていく力に変換されていきます。
4月からは、新しい環境に身を置く時期でもあります。
まず、「自分は不適応から始まる」ことを前提に、自分が、どう環境適応できていくかを自ずから観察してみるのもよき学びになるかもしれません。
クリック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
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それは、「不安は人の本質である」
そして「自分の悩みの答えは自分の生育史のなかに必ず宿っている」、
その上、ある傾向の社会の中で、自分がヘンなんじゃないかと、悩んでいた時期の私に「それは、あなたの個性の美ですね」と、言われた瞬間に、自分を追い詰めていた「悩み」という囚われから解放されました。
その後、未だ生き甲斐の心理学を学び続け、NPOを設立し教育普及活動をしながら、個人的には学校でスクールカウンセラーとして仕事をしています。
どんなに他人が自分の「個性の美」を讃えても、自分自身が「そんなんじゃない」と解釈していたら、それまでの話です。
自分自身が自分自身を肯定していない限り、せっかく育んできた自分の個性の美を殺してしまうのです。
「自分の生育史は宝物である」ことを自分の中で受容しているとしたら、たぶん、どんな環境の中でも自分のアイデンティティを信じて、自ずから適応の方向に導いていくはずです。
他者から期待されることは、ほんとうに他者が自分に期待していることなのか?
そして、自分が「~せねばならない」と、思っている事は、生まれてから今日まで育まれてきた自分の習慣とどう繋がっているか、ということをまず意識化していくことから学びがスタートしていきます。
つまり、私と他者を分けているかどうか。親も子も伴侶も他者です。そのことを意識できているか。
親や子、夫や妻に言われ続けてきた事、言い続けてきた事、そして期待すること、期待されることが、自分が他者と混同していないか?
勿論、親子関係も夫婦関係も、どんなに「自分は違う!」と、思っていても、いつしか互いに依存し合っていることのほうが自然な成り行きだと思います。それを敢えて、自分と他者として分けようとすると、自分がいつもどんな主語を使って日常生活しているかに気付いたりします。
ついつい、口に出している「母が、」「父が、」「夫が、」「妻が、」「子供が、」....
「私が、」「私は、」という主語を使う事を促していく事から学びを始めていくケースも少なくありません。
どんな環境の中でも、自分を活かしていく力は生き抜いていく力に変換されていきます。
4月からは、新しい環境に身を置く時期でもあります。
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