五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

同じ川の水を飲む

2013年03月28日 | 第2章 五感と体感
私が何かに関わると、必ず私と関わりのある人が、どこかで繋がっていて、その繋がりの御縁で結ばれることの頻度が多いのです。

もしかしたら、「繋がっている」と思う私の解釈に、何でも繋げてしまう自分の傾向が加わっているのかもしれませんが(笑)

先日ひょんなことから「私達、同じ川の水を飲んで育ったのね~」という言葉を聞きました。

私の習い事のご師匠と東日本大震災がきっかけでお付き合いの始まった団体の理事長さんが、まさしく同じ川の水で育っていたことが発覚。
二月のブログでも書きましたように、宮城県山元町の皆様にお会いし、そこで聴いた「さんさ時雨」の事を師匠に話し、「着物の上に着る活動着があると、催しの時に気楽に着ることができて、いいのだけれど。。。」という情報もお伝えすると、早速着物を送ってくださいました。

そのことがきっかけで、お二人が同郷者であることが発覚。同じ宮城でも仙台に近いあたりのようですが、盛り上がっているお二人にしか解らない深い絆に感動しつつ、物を媒体とした繋がりがこのように繋がっていくことに深い歓びを感じました。

心と魂に触れていく瞬間、身体の中に温かい血が巡っていくのを感じます。
その体感が、生きる喜びに繋がっていくのだとしたら、もっともっと人と人が繋がっていって手を繋ぎ合えるような活動をし続けていきたいと思うのです。


「同じ川の水を飲んで育った」という言葉に、故郷の好みを無条件で感じ、また一つ人と人が結ばれた歓びを一緒にできた体感を私自身が味わっています。

日本は島国です。川が国境になっていたり、複数の国に川が流れているということはありません。
故にRiverは、Rivalの語源と言う事を聞いたことがあります。

日本は違います。

「同じ川の水を飲む」ことによって信頼感が生まれ、アイデンティティの統合が成されていくことが自然とDNAに組まれているように思います。

一定の年齢まで一つの場所に育った人々を羨ましいと思いながら、私は寅さんのように、いやいや、願わくはスナフキンのように、理想を云えば、西行法師のように(笑)、繋げ役を静々とできれば、これで私の幸福感は満たされると、しみじみ感じる今日この頃です。

いつもどこでもエトランゼみたいな感覚である私は、自分のエトランゼ感を受容した時から気楽になったことも長年の学びのお陰かな、、、、と。いつも異邦人で、いつも旅人であることは、たぶん、死ぬまでかもしれません。

京都の持勝寺の西行桜は、ちょっと遅れてそろそろ見頃かもしれませんね。

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