五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

映画「ニーチェの馬」

2013年03月26日 | 第2章 五感と体感
先日、物凄く重苦しい映画を観ました。

タイトルは「ニーチェの馬」

かつてベルリンの壁があったころ、ドイツ東西の冷戦、ロシアとの冷戦の時代には、このような象徴的な映画が多く生まれました。その頃の映画のお陰で、諸々なことを育ませて頂きました。

ニーチェの馬は、その頃を思い返すような映画でした。

「人は心と身体と魂で成っている」ということを信じている私には、「人は心と身体のみで生きている」という大胆不敵なテーマに挑んだ作者の意図の勇気と実践に、腕組みをしながら、実際には途中で夕食の支度をしながら、それでも最後まで見ました。

「人には見神欲(デジデリウム)が備わり、自ずから文化を欲すること」は、東日本大震災以来、私がずっと感じ取っていることでもあります。

神が居るとか居ないとか、教義に従うとか、そういうことではありません。

人は、自然の脅威に触れながら、頭(こうべ)を垂れ、そして、その環境の中から生き抜く力を育み、歌い、舞いながら、その土地に風土に見合った文化を構築していくのです。それが風習であり、慣習であり、文化であるのです。

「人から崇める対象や風習や文化を取り去ったらどのような絵図になるか。。。」
これは、私の勝手な推測ですが、もし人がそのように生きていたら・・・、ということを前提に作られた映画だとしたら、「魂を信じない人、もしくは、魂を信じることを知らない人がどのように生きていくか、ということを具体的に映像化することを試みた」という意図を感じたりするのです。

愛に溢れたものを表現し、喜怒哀楽を表現することよりも、魂を信じない、もしくは魂を知らないことを表現することのほうが、深い思索が必要だと云う事をまざまざと感じさせられた映画です。

魂を信じるところから心を育んでいく力が人に備わっていることを逆に証明したような映画でもあるかな、と、思ったわけです。

「ニーチェの馬」の私にとっての意味づけを考えることに随分時間を費やしましたが、映画の感想は、これ以上でもこれ以下でもありません。
久しぶりに、思索を与えられた映画でした。

映像の中から見えてきたものを語ってみました。

人とは何たるや。文化とは何か。神とは何か。
ひたすら続く同じ繰り返しの映像から徐々に暗闇となる行程のデクレッシェントを感じるための忍耐力が必要な映画ですが。。。見たほうがいいよ、とはお薦めしません…。

ただ、人に必要なものを意味ずけするための材料にはなるやもしれず、文化的な何かの助成金を得るために比較考察のためのプレゼンテーションのネタに使えたりもするかもしれない、と、。

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