三日間の勉強会が無事終わり、梅雨明けした炎天下の中、皆さんと別れしました。
年に一度、「カールロジャーズ,パースナリティ理論19の命題」を自己にあてはめながら、体得を目指す勉強会を行っています。
一見、難しい理論のように思われがちですが、個人の行動、思考、感情に基づき、人間の成長の可能性を信じることで、個人を尊敬し、尊重していくことから、体感的に理解していくことのできる理論であると私は解釈しています。
あるがままの自分を主張するための理論ではありません。
あるがままの自分を受容していくことによって、あるがままの他者を自然と受容していく過程を理論化しているものです。
自己に表れる現象(考え方、諸々の環境によって学習されてきたこと、感情、行動)意識化し、それらの意味をその時その時の自己のレベルで解釈していくことによって、なんらかの気付きが得られ、自ずから現在の自己を受容していく…。
、そのような内容の理論を「19の命題」にまとめ、簡潔に書かれてあるのです。
その命題19の最初、命題1が、「私は私である」というわけです。
「私」は、私自身の経験の世界に生きていて、その経験は、私自身にとってリアリティ、つまり、私自身が見えているもの、体験しているものは、他者に何を言われようと私にとっての真実なわけです。
たとえば、他人から「あなたは器用な人ね」と指摘されても、「私はほんとうに不器用だ」と思っていたとしたら、それが私にとっての真実なのです。
「では、なぜ、自分は不器用だと自分を解釈してるのだろう…」という問いかけから、この学問の学習が始まっていくのです。
19の命題に関しての自己事例は、折りに触れ、書いていこうと思います。
身体の癖にしても、太極拳を習い始め、実に自分が大地に足を踏み入れていなかったかが解ってきました。
自分では、自分の立ち方が真実だと思っているわけで、他者との違いで学ぶ余裕などありません。でも、少しずつ続けて行くことで、自分の立ち方がヘンだと思うようになり(学問的に言えば、現象に対しての知覚によって、不一致が起こり、それに対しての比較考察が始まり、軌道修正しようとする情動が湧きあがる。)そして、徐々に自分の何がヘンなのかが自ずから受容できるようになってくると、自然な形で修正していくことができるようになってきます。
これも、他者から言われたところで、自分の真実を無理やり変えることはできません。自らの気付きが自らを変えていくのです。
心理学を学ぶ者にとって、他者を指摘し分析することは大きな勘違いの始まりと言えるかもしれません。ともかく他者のことよりも自分自身の成育史を素直に見つめることから、この学びに真摯に取り組んでいきたいものです。
クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
年に一度、「カールロジャーズ,パースナリティ理論19の命題」を自己にあてはめながら、体得を目指す勉強会を行っています。
一見、難しい理論のように思われがちですが、個人の行動、思考、感情に基づき、人間の成長の可能性を信じることで、個人を尊敬し、尊重していくことから、体感的に理解していくことのできる理論であると私は解釈しています。
あるがままの自分を主張するための理論ではありません。
あるがままの自分を受容していくことによって、あるがままの他者を自然と受容していく過程を理論化しているものです。
自己に表れる現象(考え方、諸々の環境によって学習されてきたこと、感情、行動)意識化し、それらの意味をその時その時の自己のレベルで解釈していくことによって、なんらかの気付きが得られ、自ずから現在の自己を受容していく…。
、そのような内容の理論を「19の命題」にまとめ、簡潔に書かれてあるのです。
その命題19の最初、命題1が、「私は私である」というわけです。
「私」は、私自身の経験の世界に生きていて、その経験は、私自身にとってリアリティ、つまり、私自身が見えているもの、体験しているものは、他者に何を言われようと私にとっての真実なわけです。
たとえば、他人から「あなたは器用な人ね」と指摘されても、「私はほんとうに不器用だ」と思っていたとしたら、それが私にとっての真実なのです。
「では、なぜ、自分は不器用だと自分を解釈してるのだろう…」という問いかけから、この学問の学習が始まっていくのです。
19の命題に関しての自己事例は、折りに触れ、書いていこうと思います。
身体の癖にしても、太極拳を習い始め、実に自分が大地に足を踏み入れていなかったかが解ってきました。
自分では、自分の立ち方が真実だと思っているわけで、他者との違いで学ぶ余裕などありません。でも、少しずつ続けて行くことで、自分の立ち方がヘンだと思うようになり(学問的に言えば、現象に対しての知覚によって、不一致が起こり、それに対しての比較考察が始まり、軌道修正しようとする情動が湧きあがる。)そして、徐々に自分の何がヘンなのかが自ずから受容できるようになってくると、自然な形で修正していくことができるようになってきます。
これも、他者から言われたところで、自分の真実を無理やり変えることはできません。自らの気付きが自らを変えていくのです。
心理学を学ぶ者にとって、他者を指摘し分析することは大きな勘違いの始まりと言えるかもしれません。ともかく他者のことよりも自分自身の成育史を素直に見つめることから、この学びに真摯に取り組んでいきたいものです。
クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング