五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

幸せを感じる時

2011年12月15日 | 第2章 五感と体感


Bon Noel! ↑↑Paris

「幸せだな~」と感じる瞬間は、どんな時でしょう?

毎晩湯船に浸かり、「おお~幸せ!」と感じ、自分の寝床で寝る時も「ああ~ぬくぬく!」と感じ、朝目覚め、体調が良いのを確認すると「よしよし!」と思い、いつもと同じように朝食を頂くことができると、当たり前のように新聞の連載小説に目を通し…。
家族との何気ない会話、仕事場や勉強会での人々の関わり等、自分が当たり前だと思っていることがいつものように出来ていることを意識する瞬間「幸せ」を感じます。

それが少しでも崩れると、幸せな自分が見えにくくなります。

自分の「幸福感」をどこに焦点を当てているかを意識してみると、幸せは、何のことは無い、、、自分にいつも「ぴたり」とくっついてくれていることに気付くのです。

大震災を経験した私達は、東北に住んでいなくても、経験したことに違いありません。
たぶん、去年とは違う心模様で年末を過ごしているはずです。

そして、津波や原発事故で大きなストレスを抱えていらっしゃる方々は、クリスマスや年末年始という大きな節目を迎えるに当たり、深い喪失感に陥ることは避けられないと思います。
そんな時、身近な人々の温かい心の触れあいが何よりも大事になります。

どんなことがあっても人は「幸せ」を感じるようです。

第二次世界大戦の戦火を潜り抜け、スイスアルプスの渓谷をイタリア側に逃げ伸びた親しい神父さんは、熱があって朦朧としながらも山から見た風景の美しさに心が和らぎ幸福感を感じたそうです。ローマまで、一銭もない状態で移動する時の話は、ちらりと一度しか聞いたことはありません。多分、当時19歳の彼は今でも思い出したことがないくらいのストレスだったのだと思います。奇跡的にローマに辿り着くまでの行程で神父になる決意をしたそうです。

「身体一つあれば、文句は無い」とは、私は言いきれません。

自分のやっていることに慈しみを持って過ごしたいし、周囲との関わりを大切にしたいし、生き甲斐を感じながら生きたいし、幸福感だってできれば沢山感じながら暮らしたいです。でも、生きているとほんとうに色々なことを経験します。

悔いの無い選択と行動は、無理矢理やってもポキッと折れます。

自然と湧き出してくる幸福感をまずは意識してみることから、何かが始まるのだと思います。

自分がどんな状態であっても明日は、必ずやってくるのです…

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好きと嫌いと生きる道

2011年12月14日 | 第2章 五感と体感


Paris : Bon Noel!  ↑↑

好き

嫌い

好きだなって直感的に思う事

嫌いだなって直感的に思う事

「思う事」は、自分の選択肢の方向性でもあります。

「人は成りたい人に成る」って、ほんとうだな、って思います。

行きたい方向に行けない自分も、たぶん、行きたいところをまだ自分で掴みたくないのかもしれません。

どんなに遠回りしても、結果的には自分が納得する方向を歩んでいるようです。

だから、人生って面白いのだと思います。

中学生でも、小学生でも、幼稚園生でも、自分の道を歩いているわけです。

それって、自分が生き通すために必要な過程なのです。

そろそろ試験が返され、冬休みを待つばかり…

自分だけに与えられた道を歩んでいることは、尊い自分の宝物です。

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励ましは要らない

2011年12月13日 | 第2章 五感と体感


Paris♪♪↑

ラジオから「人を励まして生きていきたい!自分のことよりも人を励ますことが大事!」と、いう言葉が流れてきました。

こういう仕事をしていてしみじみ思うのは、「励ましって、案外キツイ言葉なのよねぇ~~」ということです。

相手を励ますことは、相手の感情を否定することとなります。

「落ち込んでいたり、悲しんでいたりしている人は、時には励ましが刃になることも、忘れないでね…!」とラジオに向かって呟きました。

「励まし」は、相手から与えられるのではなく、不安な渦中に居る自分自身が「励まされた」感じて初めて、「励ましを受ける」という解釈になるのだと思います。

「人のためにやっている」と思ってやっていることを「自分のために」に変換していくと、自分の不安感が見えてくるようです。

「傾聴」する場合、相手が思っていることや湧き出している感情をそのまま受け容れていくことが一番大事な事となります。
そのまま、ありのままを「聴く」事は、自然に出来る人も中には居るかもしれませんが、かなりの修業が必要です。

励まし、
アドバイス、
聴く側の想像と解釈、
ついつい「そんなことないよ~」と言ってしまう否定的な対応…等々、、、

反省多い自分の対応の自戒を込めて書きつつ、
「励ましは、時には相手の心を傷つける」ことであることを忘れずにいたいものです。

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元気な声とParisの香り

2011年12月12日 | 第2章 五感と体感




Parisに住む友人に、クリスマスプレゼントのお礼の電話をしました。

今回はフォッションの紅茶とショコラクッキーとフォアグラの缶詰が箱にギュウギュウに詰められ送られてきました。

元来浅草生まれの友人は義理と人情を絵に描いたような人。
かれこれ40年Parisに住み、ずっと絵を描き続けています。

モンマルトルの丘に小さなアパートを購入し、すっかりParisに馴染んだ生活をしています。

多難な事をいくつも乗り越え、それが現在進行形であっても、腹に張りのある声を聞くと、彼女の元気の良さで私もたくさんの元気を貰います。

モンマルトルの商店街は、映画アメリでも登場し、それ以来、少しばかり垢ぬけたような感じがしますが、ムーランルージュの周辺は相変わらずの下町風景。つい10年くらい前までは葉巻の香りでぷんぷんしていた街も今では健康志向の人々が増え、個性の薄い香りへと変化してきましたが、それでも香料が含んだ香りが街を包んでいます。

昨日もParisはとんでもなく寒かったそうで、「健康のためこれから近くのプールに泳ぎに行くのよ!」とやる気満々。

「自分の環境をどう捉えていくか。どう解釈し、そしてどう行動するか。」で、人の個性と人生が他者にも見えてきます。

Parisを私の大好きな街にしてくれたのは彼女のおかげ。彼女がParisに居るからParisに行きたくなるのです。やっぱり、友人が元気なうちにまたあの街を歩きたい気持ちが湧きあがり、今度は一緒に旅をしようね、と固い約束をしてボン・ノエルをお祝いしました。
次に行く時は、彼女のアパートに近い安宿に泊まり、モンマルトルの空気を存分に味わおう…っと!!

人生は一回きりだし。
人の人生に添う事は出来ても同化は出来ないし。
自分の人生に責任を持ちつつ誇りを持つと、あとは、何とか成る、って本当だ、と、彼女の生活を見て本当に思うのです。

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待降節

2011年12月11日 | 第2章 五感と体感
宗教とか関係なく、クリスマスっぽく過ごしたいよね~!
確かに特定の宗教に囚われることなく、歳時を楽しむことは大切なことだと思います。

天を仰ぎ、お天道さまやお月さまに手を合わせ、山にてを合わせることは、人の見神欲(デジデリウム)がそうさせているようです。

自分が置かれている環境の範囲で何かを対象として祈りたくなる情動が湧きあがります。
人には、自然と手を合わせる遺伝子が組み込まれているようです。

仰ぐこと。信じること。それが信仰だと思います。

仰ぐ心と信じる心は、生き延びようとする人の心に大きなエネルギーをもたらします。

日本人の好奇心の強さと受け容れる心の広さは、島国故に育まれた生命力に繋がると考えています。
その反面、奈良時代も、平安時代も、信長にしても、秀吉にしても、徳川幕府にしても、明治政府にしても、歴史上の権力闘争や政治において、仏教やキリシタンを取りこんだり、制圧していくことを常としてきました。
そのたびごとに、民衆は翻弄されていきます。

でも、地元に根付く神様は別のようです。都から伝えられた宗教や祭事が一定の土地に継承され、その土地に宿る風土が継承されたものを独特なものとしていきます。
自分たちの信仰心を「見えるもの」として表現することが文化の始まりであり、時代と共に変容していくものであるように思っています。

クリスマスは、今や独り歩きした歳時の言葉となりましたが、待降節は冬至に向かう季節の節目です。キリストの誕生を「闇から光」に重ねることで、冬至から夏至に向かう新しい季節の始まりを意味しているようです。

一年の締めくくり。やることに追われながらも心は「待ち」に徹し、仰ぎ手を合わせつつ穏やかに過ごしたいものです。

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人に合わす

2011年12月10日 | 第2章 五感と体感
能楽の謡いを習い始めて4年目。

だんだんと自分の息に声を乗せる感覚が掴めてきました。でも、師匠に付いて謡っているうちに喉が閉まり、口先だけで声を出している自分に気付きます。謡う事に必死で師匠に指摘され、はたと気付くことのほうが多いかもしれません。

口の奥を開き、奥歯に音を当たるようにしていくと確かに声が前に出ず、謡いらしい声が出るのですが、わかっちゃいるが、なかなか・・・、というのが今の私の現状です。

最近は、一人で稽古をつけていただくだけでなく、複数でつけていただくことも多くなりました。

一人の場合は、自分の声を出すしかないわけですが、複数になると、どうしても人に合わそうと、耳を利かせてしまいます。

先日、「人に合わしてはダメ!」と師匠に言われました。

互いの呂律を気にしていると、頼りがいの無い、弱々しい声になります。

声が前に出てしまうことを気にしすぎても、やはり弱々しくなります。

私の声は私で責任を持つ。。。

責任を持った自分の声が複数人数で合わさると、声は一つとなり透明感が出てきます。

そのためには、自分自身の訓練の積み重ねが必要です。

結局は、人は、自分自身で自分の面倒を見ることしかできないように思います。

委ねる事と、頼りにする事は、明らかに違います。

「人に合わせる」のではなく、「人と合わせる」ことでしょうか・・・。

自分が自由になると、「人と合わせる」感覚が違ってきます。

どこまで人と合わせ、自分が自由になれるか、修業を積みながら謡い続けていきたいものです。


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民話の語り部と傾聴

2011年12月09日 | 第2章 五感と体感
12月8日日本経済新聞に掲載された「3.11という民話」を拝読しました。

宮城県「やまもと民話の会」の「庄司アイ」さんの活動について書かれてあります。

家ごと津波で流されたご自身の体験は壮絶なものだったようです。
「昔のことを現在に伝える」民話を語ってこられた庄司さんは、御自身の役割が生きる力となり、震災の体験を歩き回り、聞き取り、一冊の本にしました。夏に続き第二集目が出版されたそうです。

偶然なのか必然なのか解りませんが、私の勉強仲間であり友人も宮城県山元町の勤め先を津波で失いました。同僚も亡くし、困難な中にも関わらず介護関係のNPO法人を再開させ、懸命に働いていらっしゃいます。

震災直後から、心のケアーの重要さが叫ばれています。
私自身NPO法人を経営し、「生き甲斐の心理学」の教育活動をしています。
「傾聴、傾聴!」と言われながら、東北に一歩進むことができない大きな理由が一つありました。

それは、一時の一回きりの「傾聴」だけでは、人の心が治まらないだけでなく、よそ者はよそ者であり、傾聴した側は満足でも、傾聴をされた方は、時間と共に喪失感や孤独感が増していくからです。定期的に同じ傾聴者が来るのであれば、それは理想だと思いますが、それが成されない希薄さに違和感を感じていました。

ほんとうに、関わりたいのは、自分の身近な人々なのです。でも、身近な人は、同じ被災者であってもそれぞれの状況が違います。親しい相手に本音を云うことを憚ることで、どんどん抑制した気持が増していきます。

だからこそ、暮らしの中のカウンセングをするために「生き甲斐の心理学」の教育活動は必要だと考えています。

住まう土地に根付く風土からにじみ出る考え方や湧き出す感情、つまり微妙なニュアンスは、同じ環境で命を育んできた者同士でないと理解しがたいものなのです。
同じ風土の住人が、微妙なニュアンスを聴き取ることができたら、体感としての浄化は、よそ者以上の効果があるのではないでしょうか。

そのためには、理論的な学びが必要とされます。

傾聴とは、話を聞くことだけではなく、不安の中に居る方の五感や体感、そして言葉にはできない何かを現象から感じ取り、受容していくことが、傾聴者の大切な仕事であると私は考えています。

話は長くなりましたが、昨日の新聞を読み、庄司アイさんの活動こそが傾聴そのものだと思いました。

私自身、1月末に山元町に伺うこととなり、そんな時に私が一番大切にしている「現場と現象を中心としたフィールドワーク」の記事が掲載されたことに深い意味を感じています。

伺う前に、第二集「声なき声に寄りそう」を入手し、読むことから改めて一歩を踏み出そうと思います。

「傾聴」は、まさしく「声なき声に寄りそうこと」なのです。
一回きりの傾聴体験だけでは終了するものではありません。返って罪深いものを感じます。
何度も何度も同じ人と関わり、長期にわたり、心の交流を育んでいくことを理想の活動だとしたら、私は何から一歩踏み込めば良いのか、焦らずにゆっくりと考えていきたいと思います。

不安や苦しみや孤独感、焦燥感、喪失感は、生涯拭えきれるものではありません。でも、生きようとした時に、自分自身の生き甲斐が見出されたら、その生き甲斐が自分を生かしてくれるのです。

私自身も出来ることをやればいいだけのことです。

庄司アイさんの記事に感謝致します。

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空気に呑まれる

2011年12月08日 | 第2章 五感と体感
複数の人数で会話をしていると、どうしても修復不可能な空気に陥ることが時々あります。

相手の押しの強い考え方に同調しているわけではないのに、どんどんと引きこまれていき、自分の存在がどんどんとみじめになっていったりします。

宴会の季節、断るわけにはいかないお付き合いもありそうです。

多人数であれば、自分が苦手な人とは席が隣りにならないよう事前の防衛も心がけたいものです。

どんなに話題が変わっても、いつも同じところに入り込んでいく傾向がある人と関わる場合は、その傾向を早くにキャッチし、「そういう人だ」ということを意識化しておくだけでも、心模様は随分違うように思います。

それと同時に、自分自身が、どんな話題の時に憂鬱になるかを意識化しておくのも、防御策に繋がりそうです。

負の空気に呑まれたら、呑み返さず、柳のようにそよそよ流すことができれば良いのでしょうが、なかなか、上手くできないのが人の感情ですね。

強い考え方、つまり、固執した考え方は、成育史上の何らかの経験によるものが、その人をそうさせているようです。
経験したことが、辛いものであればあるほど、防衛機制が強く働きます。
そうすると、ちょっとしたきっかけで感情が湧き出し、何らかの考え方や行動で自分を守ろうとしていきます。
「或る人がなぜ、そうなっちゃうのか」の「なぜそうなるのか」を推測するよりも、誰にでも当てはまる図式を、とりあえず理論的に頭に入れておくことも、泣き寝入りしないコツかもしれません。

12月中盤戦に突入です。空気に呑み込まれないよう、楽しく、快適に過ごしたいものです。

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楽しい場所

2011年12月07日 | 第2章 五感と体感
人との関わりは、やっぱり楽しいほうが気持良いです。

どんなに苦しくても、どんなに困難な問題に立ち向かっていても、悲しい気持で沈んでいても、

いっときだけでも、幸福感を得る感情を意識できる時間を持つことは、生きている実感にも繋がりそうです。

いっとき感じる幸福感の回数を少しでも増やすことができたら、
昨日より今日のほうが「自分は何のために生きているのか」を意識することで芽生える喜びに至るかもしれません。

「自分の居心地の良い場所を持ち、人に恵まれている」と感じると、自分の感情に正直に向き合うことができるようにも思います。

楽しい場所と楽しい人間関係を大切にしていきたいものです。

昨日は、腰越勉強会でした。
どの勉強会もとても尊い集まりです。
笑顔でお別れした皆様の表情を思い返し、また来年も「楽しもう」と、心に願いました。

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身体の変化を受容する

2011年12月05日 | 第2章 五感と体感
毎年、日が段々と短くなってくると、疲労感が意識化されて、身体に血が回らず冷えた状態が続き、そのうち風邪をひくのが私のパターンです。

食べるものには気をつけているはずなのですが、身体が温まらないのは長年の悩みでもあります。今年から生姜の粉末を紅茶に入れ、毎朝飲むことで、冷えが軽減されてきたように思います。

特に女性は更年期の時期になると、身体のあちらこちらに変化を如実に感じるようになります。

自分の心身の具合が不安定だと、当然、自分を取り巻く周囲の人々も不安になってくるようです。

自分の老いに対して、拒絶的ともいえるくらい否定したがる人がいます。

自分の身体の身体の変化を肯定的に捉える仲間は、私のテニス仲間達かもしれません。
若い頃から何らかのスポーツをしている人は、常に自分の身体の感覚と向き合わなくてはならないし、それを認めなくては怪我の原因にもなりかねないので、自分の身体の変化を正直に見つめる人が多いようです。

自分がどんなに若いと思っていても、年齢の若さには敵いません。

昔は、俊敏な反射的動きが当たり前だったのが、目の前にきたボールだと解っていても、身体が動かないことが度々あります。

昔のような動きができず、今までやっていたスポーツを止めてしまう方にも出会います。
自分の動きを受容すると、工夫次第で補うことに楽しみが見えてきます。

今までの自分を理想とするのではなく、まずは自分の状態を受容していくところから、身の丈を探していくことも、案外楽しみの一つになるようです。

自分の身体の老いが、知らず知らずに自分の「不安感」に繋がる場合もありそうです。

師走に入り、一段と寒くなってまいりました。お身体ご自愛ください^^

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どこに焦点を合わせるの?

2011年12月04日 | 第2章 五感と体感
解決しなくてはならない問題に対し、自分は焦点を合わせて向き合っているだろうか?

時々、そのようなことを点検する時間が必要かもしれません。

問題に対する関係にずれが生じていたとすると、たぶん長い時間をかけてどんどんとその問題から逸れていくようです。

逸れていくと何が起こるのでしょう?

:問題が解決しない。

:他を巻き込み、問題が増大し悪化していく。

:自分の周囲に何らかの負の影響を与えていく。

解決しなくてはならない問題を本気で解決しようとするならば、それに焦点を合わせ、自分の行動を限定していくことが大事な事のように思います。

「カウンセリングの理論に関する教育活動」や「スクールカウンセラー」という仕事を通して、多くの方々との関わりの中、この「問題に対する関係」に関し、それぞれの人がどのように自分の問題と向き合っているかを、静かに観察することは、私の仕事の中で、私自身を整理統合するためにとても必要な作業となります。
私自身の他者との関わり方に大きく影響してくるからです。

構築的な仕事や生活をするために、人を巻き込んでいくことで豊かになります。
でも、焦点がずれていると、他者を巻き込みながら落ちていくことも忘れてはならないと、いつも心に留めておくことも必要です。

「自分にとって幸せな方向性と自分にとって不幸な方向性」を想像し吟味する力と意志と行動力を育んでいきたいものです。

<生き甲斐の心理学:テキスト、プロセススケールの表参照>

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自分の意思を大切に

2011年12月03日 | 第2章 五感と体感
当たり所のない怒りや苦しみ、不安感を他者に話すと、その場では癒されます。

癒されますが、自分自身の問題を解決するに至るまで、たった一度の会話で済むかというと、そう簡単にはいかないように思います。

自分が語っている最中に、他者から勝手な推測をされることがあります。その時は、「そうかなぁ~」と、思っても、その人と別れて、暫く経つと、言われたことに対しての違和感を感じることは良くあることです。

話を聞いてもらう過程において、あまり早い時期に、自分の現象に対しての見解や理由を相手に推測されても、解決には至りません。むしろ、数時間後、数日後に不快感が湧き出してきます。

それは、何故なのでしょう。

つまり、答えは、自分の内にあるからです。

自分の不安感にぴたりと添いながら、自分の言葉を大切に聞いてくれる人と話すと、いつしか自分の問題にすんなりと向き合っている自分に気付くことがあります。それが、傾聴の効力なのだ、と何度か経験したことがあります。

答えを出すことを急がせるような人に話を聞いてもらうことだけは避けたいものです。

自分の不安感と向き合うことに勇気がいることは、自分が一番知っているように思います。

自分が向き合うための時期は、自ら湧いてくる情動からでしか、どうにもならないようです。

それまで、じっくりと、待ちながら、静かに話を聞いてくれる人がいたとしたら、その人との関係を大切にすることです。

でも、その相手を見つけるのも選択するのも自分自身。

選択して、信頼するのも自分自身。

他人は、そんなところまで手を差し伸べてはくれません。
自分のことで精いっぱいなのは当然のことでしょう。

だからこそ、自分の意思を大切にしていきたいものです。

意思を表し、それが伝わると、何故か手を差し伸べてくれる人が現れるのも不思議です^^

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不平不満の表し方

2011年12月02日 | 第2章 五感と体感
何か自分の意に添わないことがあると、言いやすい人に対して不平不満を口にしたり、ツイッターで過度に呟いたりする人が居ます。

自分の中にある防衛機制の問題を処理できていないと、「ちょっとした意に添わない事」で、自分の感情を上げたり下げたりしていきます。

言われやすい人やツイッターのフォロワーは、たまったものではありません。

たまったものではない!と思うのは何故でしょう。

自分に言われているわけではないのに、呟いている人や言い放つ人の感情転移の対象となっているからです。

自分に言われているわけではないのに、自分に対して言われたように思うということです。

もし、一人の人から心当たりのないことで言われているとしたら、それは「八つ当たり」かもしれません。

意に添わないことが起こった時、たまに、ツイッターで吐きだすのも良き方法だとは思います。でも、それがその人の「いつものパターン」であるとしたら、たぶん、多くの人に不快な思いをさせていることを忘れてはなりません。

「え?その呟きって、私のこと言ってるの?」と、相手をドキドキさせていることをイメージできる余裕を持ちたいものです。
もし、故意的に見えない相手に不安感を持たせるような相手であれば、さっさとフォロワーから外す勇気も持ちましょう。

不平不満の感情が湧き出す自分の防衛機制とは、一体何なのか?
吐きだす前に一旦、心に留めて、自問自答してみるのが、人間関係を円滑におこなうマナーだと思います。

言葉は「ことだま」です^^//

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明るい声

2011年12月01日 | 第2章 五感と体感
能楽の師匠に「謡い出しの声が暗いと、先がどんどん暗くなっていくから、声は上に乗せるような感じで謡いなさい」と、稽古の時に指導されます。

腹に据わらない声を出していると、確かに呼吸も苦しくなり、どんどん辛くなってきます。

昨日、久しぶりにスロベニア人のしK神父さんに電話をしました。

毎年恒例のクリスマス時期のホームパーティーのお誘いが私の要件なのですが、ともかく声が明るいのです。

80代後半なのですが、年齢なんて関係ありません。ともかく声に張りがあり、謙虚な好奇心から私に見えてくるのは、生きる力です。

話す内容が明るいと声も明るくなるし、
声が明るいと、話す内容も明るくなるように思います。

明るい声と明るい笑顔を心がけるだけで、一日の「思い」が変化します。

学校や職場での朝の挨拶は、やっぱり、「明るい声」始めたいものです。

明るい声は、他者を明るく導きます^^

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