ご無沙汰していました。
鬼ちゃんです!
昨日ゆずぽんさんより悲しいご報告がありましたね。
ここのところ、辛い毎日です。
鬼ちゃんが、畑人になった時、すでに、M爺(敢えて、そう呼ばさせて頂きます。)は、
畑には、出て来られない状態で、畑で、お会いした事はありません。
イチジクの木の下に、M爺の長靴が…
今も、支柱に、裏返しになって、かかったままです。
M爺様の事は、ゆずぽんさんが書かれていましたし、鬼ちゃんは…
遠い昔の事
大学受験用の願書に張り付ける、写真を、
「うちで撮ったらいい!」
と、ぽぽちゃんよりお声がかかり、なんで、そんな流れになったかは、
覚えていないのですが、
ぽぽちゃん宅へ行きました。
鬼ちゃんが下宿していた(別府)と、ぽぽちゃん宅(大分)は、離れていました。
電車で、3駅乗り、駅からはバスで、
その時は、M爺がぽぽちゃんと、車で迎えに来てくれていた気がします。
初めてお会いした、優しそうなM爺に、ご挨拶して
ぽぽちゃん宅へ! いや、ぽぽちゃん宅お庭へ!(笑)
そこには、物干し竿を利用して、真っ白のシーツが掛けられていました。
映画の大型スクリーンのように!(笑)
H婆が、アイロンを掛けたんでしょうね、ところどころに皺あり(笑)
当時ですから、綿の生地のアイロンがけは大変でしたよ!
いや、糊付けで、そのまま乾かしたかも?
なんだか、皺を見て、皆で、笑った覚えがあります。(笑)
そのスクリーンの前に、椅子を持って来て、M爺が、カメラマンです。
今なら、女優気取りでしょうが、当時は、カチカチのド田舎娘でした。(笑)
H婆が、「お父さん!鬼ちゃん、よく撮ってあげて、受験に合格するように!」って、
もちろん、写真撮影の後は、
お家へ上がり込み
H婆のご馳走を頂いて、四人の悪友で、楽しいひと時でした。
有難かったですね~~~
懐かしい思い出でした。
月曜日、家族葬に、そっと、お参りさせて頂きました。
下宿生の高校時代3年間、そして、結婚してから、ご縁があって、大分へ~
ここ、大分に身内がいない鬼ちゃんにとって、ぽぽちゃん宅は、
第二の家の様で、H婆、ぽぽちゃんの悲しみを思うと…
葬儀から戻っても、パソコンを開ける事が、出来ませんでした。
ブログ訪問は、失礼させて頂きました。
涙があふれ出るのをじっと、我慢していましたが、
こうして文字にすると、また、涙があふれ出てきますね~
さぁ、それも、終わりにしますね!
M爺畑、頑張らなきゃ!
先週末!
兄の四十九日法要の事は、記事にするつもりではありませんでしたが、
心に残ることがあり、
少し書かせて頂きます。
父の故郷
福岡県、京都郡(京都郡と書いて、みやこぐんと読みます)にある、菩提寺
峯高寺です!
幼いころより、よく聞かされていましたが、父は、兄弟多く、
お盆に、本家へ行っても、叔母さんたちや、その子供(従妹)が、大きな顔をしていて、(笑)
そこに入る余地はなかったんです。(笑)
で、いつも、滞在時間短く、母方の故郷へ行っていましたが…
今回、峯高寺にて、
本家の伯父と、伯父の息子夫婦、父母、
そして、鬼ちゃんたち、
鬼ちゃんの息子夫婦の九名で、
兄の四十九日法要をしてきました。
母から、峯高寺の事は、聞いてはいましたが、
大変立派なお寺でした。
峯高寺は、最初信州飯田にあって慶林寺といいました。
小笠原家18代当主・秀政の妻であった福姫(徳川家康の孫娘)がこの寺に葬られ、
その法名を「峯高寺殿」といったことから
峯高寺という寺号に改められました。
方丈さんの袈裟の文様には、徳川の御紋がびっしりと、刺繍されてありました。
最近、
御説法をお聞きすることが多く、それが楽しみの一つになりました。
方丈さんのお話で、鬼ちゃんの心にすっと入り込んできたのは…
「人間とは、イヌやネコなどの動物とは違うんです!
私たちが現在、こうしておられるのは、数えきれないご先祖様があっての事です。
そして、これから先は、子や孫、子孫が生まれます。
人間とは、人の間と書きます!
人間とは、ご先祖様と子孫の間にいる人の事です。
だから、私たちは、大切なことを受け継ぎ、
それを、後世に伝えていかないといけないお役目があります。」
有難いお話でした。
余談ですが、峯高寺の境内には、
夏目漱石の小説『三四郎のモデル』と言われている、
小宮豊隆(独文学者)のお墓がありました。
『槍の又兵衛』として名を馳せた高田又兵衛のお墓もありました。
実家のお墓は、まだ出来ていなくて
春には、納骨出来そうですが、
そうすれば、
兄は、文学のお話や、槍の達人のお話など聞くことが出来て、
あの世で、求めていた文武両道のお話しに花が咲いて、楽しい事と思います。
法要を終えて、帰る時に、やはり、
兄の通った、育徳館高校(当時は、豊津高校と言っていました。)に
行ってみました。峯高寺の近くです。
先程の、小宮豊隆の、母校でもあります。
家から、約8キロはあると思います。
兄は、一日も休むことなく、
三年間、往復16キロの道のりを、自転車で通いました。
自転車は、二台乗りつぶしたそうです。
近くに、進学校はありましたが、
ここ、伝統ある豊津高校のバンカラな校風と角帽に憧れて~
物好きです。(笑)
しかし、根性のあることです!
生前、兄からは、色んな事を聞けなくて、いや、聞きたくなくて、
下の子とは、上に負けたくないという、意地がありますからね!
亡くなってから、兄の歩んできた道をたどって行く、鬼ちゃんがおりまして…
生前、聞いておけば良かったな~
と言う思いで、いっぱいです。
ついつい、兄の事ばかりになって…
実は、鬼ちゃん、ダブルパンチで、結構落ち込んでいまして…
しかし、前回の時もそうでしたが、
こうして、文章に書かせて頂く事で、
心の整理が出き、頑張らないと!って
さぁ、悲しみを肥やしにして、やらなきゃね~
長いお付き合い、すみませんでした。
畑ブログですので、最後に、
実家へ、持って行った、鬼ちゃんの、手作りお土産を紹介して終わります。
畑で採れたもの、これは、田舎の親から子へ~、と、いったものですよね~
逆になっています。母は、あまりこんな事しませんのでね~(笑)
紅はるか、それと干柿!
干柿は、上手に出来ました。天気がちょうど良かったんですね~
この干柿、実家のご近所さんへ、少しおすそ分け!
母たちがお世話になっているので、いつも、お菓子を持って行くのですが、
何でも、干柿が大好きだそうで、じゃ、お菓子と、干柿!
すると、即「干柿が、美味しかった~~~」って、お礼の電話がありました。(笑)
色づいていないけど橙、手作りふりかけ、畑の柚子酢、
furuutuさんから頂いた、こんにゃく芋で作ったこんにゃく、
ハヤトウリの福神漬け、素流人さんから種を頂いて育てたアジメコショウ!
なんだか、道の駅で売ってる、産物みたいね~~~(笑)
furuutuさんの、こんにゃくは、明日、紹介させて下さい。
実家では、鱧鍋と、お刺身(鯛、カンパチ、しめ鯖)、鯛のアラ煮を食べてきました。
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