今から30年前の昨日にあたる1993年12月23日、愛知県体育館で行われた試合結果です。
WBCバンタム級戦:
挑戦者薬師寺 保栄(松田)判定2対1(116-115、115-113、113-115)王者辺 丁一(韓国)
*上皇が還暦を迎えた日、名古屋から日本ボクシング界の新たなヒーローが誕生しました。ヒーロー誕生と言っても、日本国内ですら注目度の低い世界戦で、テレビ放送が行われたのは地方局である中京テレビのみ。そして試合内容はフルラウンドに渡り競ったもので、判定結果はどちらの手が挙がってもおかしくないものでした。
(名古屋のリングから新ヒーローが誕生)/ Photo: Number Web
本来なら暫定王者辰吉 丈一郎(大阪帝拳)とのWBCバンタム級内での王座統一戦を予定していた辺。しかし辰吉が網膜剝離による負傷のため、試合はキャンセル。代わって日本王者で、世界ランキングに名前を連ねていた薬師寺に世界初挑戦の機会が訪れることになりました。ちなみにこの試合が行われた時点では、辰吉はすでに手術に成功しており、再起に向け刻々と準備に取り掛かっています。
(平成天皇誕生日に、名古屋でひっそりと行われた世界戦)/ Photo: aucfan
実力拮抗者同士による一戦は、フルラウンドに渡り激しいパンチの交換が続いていきます。
当時、過小評価されていた薬師寺でしたが、1988年に行われたソウル五輪に出場するなど、アマチュアの名選手として活躍した辺を相手に全く臆することなく自分のボクシングを貫き通します。薬師寺は当たらなくても常に左ジャブを出し続けます。薬師寺は長身でリーチもあるため、対戦相手にとり、このパンチは想像以上に厄介なものだったのではないでしょうか。また、時々放つアッパーを含めた右のショートパンチが相手からすれば怖いものでしょう。
各ラウンド、採点の振り分けが非常に難しいラウンドが続いていきました。そんな中で、手数と若干ではありますが有効打で上回った薬師寺。7回には右のショートパンチで王者をぐらつかせ、貴重なポイントをゲット。固いガードと左ジャブという自分のフォーム/型を決して崩さない。そして打たれたら必ず打ち返し、辺にペースを明け渡さない。突然舞い降りた世界初挑戦の舞台で、薬師寺は精神的な強さを見せつけました。また、薬師寺は、サウスポー(左構え)をまったく苦にしていませんでした。
注目は薬師寺にいってしまいがちですが、王者辺からするとどのような試合だったのでしょうか。この年の3月に、超変則のビクトル ラバナレス(メキシコ)を捌き切り世界のベルトを獲得した辺。しかし基本に忠実な長身ボクサー薬師寺は、決して相性のいい相手ではなかったように映りました。
(年末に、名古屋のリング熱戦を演じた(薬師寺=右)と辺)/ Photo: Youtube
11回、12回と疲れからか、お互いにクリンチする場面が多く見れれるなど泥臭い場面もありました。お世辞にもレベルの高い世界戦とは言えないが、実力伯仲の両者がぶつかった好試合でした。全国区で放送がなかったのが悔やまれます。