去る9月14日(月曜日)、近鉄あみま倶楽部アプリの散歩ウォーク。
伊勢参宮本街道<パート3>「赤膚山から三条通りコース」を歩きました。
↑てくてくまっぷ「赤膚山から三条通りコース」。
てくてくまっぷは、近鉄電車ホームページからダウンロードできます。
◎このコースのチェックポイント(デジタルスタンプ地点)
1,富雄駅
2,霊山寺(りょうせんじ)
3,赤膚焼窯元 大塩昭山(あかはだやき かまもと おおしおしょうざん)
4,尼ヶ辻駅
5,率川神社(いさがわじんじゃ)
コース距離は約11km。
急勾配や山道の箇所はありません。
コースの序盤、富雄駅から霊山寺を経て国道308号線(暗越奈良街道)に合流するまでの区間は、伊勢参宮本街道<パート2>のときに歩いた道を逆行します。同じ道を逆行!(あまり面白くないな)
その先、国道308号線(暗越奈良街道)も、以前に歩いたことがある区間です。
なので、今回は、道順やコース環境などを知っている区間ばかり、歩きます
9月14日(月曜日)
↑例によって、午後からスタートです。自宅で昼ごはんを済ませて、出かけてきた。
大和西大寺から区間準急に乗ってきて、富雄で下車-。
↑富雄駅前です。
まず、ここが第1チェックポイントです。
<あみま>は近鉄のハイキング企画なので、近鉄電車の駅がチェックポイントになっていることが多い。
「現地までは近鉄電車に乗って来て、駅前からハイキングを始めてね」ということやな。
そりゃ、当たり前ですよねぇ。
近鉄としては「自社の電車に乗ってもらうこと」が肝要で、そうでなければ意味無いものね。
◇ ◇ ◇
早速、駅前でデジタルスタンプを受信しました。
ちなみに、伊勢参宮本街道<パート2>のときも、ここ、富雄駅前でスタンプを獲得しました。
今回は<パート3>ですが、また同じスタンプを受信することになるのかな…?
駅前でスマホを操作したら、<パート2>のスタンプと、<パート3>のスタンプと、二種類から選んで受信するように画面表示されました。
「ナルホド、そういうことなのか」
そういえば、枚岡駅のスタンプも、<パート1>と<パート2>の選択式でしたわ。
もちろん、今回の富雄駅では「パート3のスタンプ」を選択しました。
13時35分、富雄駅前からウォーク開始しました。
↑<パート2>を歩いたときに見たユニークな「歩道橋」のことを、わし、覚えていました。
「きょうは、あの歩道橋を渡ってみるか!」
↑奈良市立富雄中学校の正門前に歩道橋があります。
生徒の通学路として設置されている歩道橋なのですね。
↑「通学生徒専用」歩道橋、とは特に書かれていないようなので…、
おっさんの私も渡ってみました
↑歩道橋の上から、北のほう(富雄駅方向)を見る。
道路と川をいっぺんに渡ってしまう、歩道橋です。
↑南のほうを見る。
真下に見えている歩道へは、下りることができません。
川の向こう岸へしか通じていない歩道橋です。
仮に、真下の歩道へ下りたとしても、道路沿いに建物は無いので、行くところがないですね。
↑階段をくだりながら、富雄川を渡ります。
↑渡ってきた歩道橋。改めて、ユニークな歩道橋だなぁと思いました。
↑ここからは、てくてくまっぷのコースを踏み、富雄川に沿って進みます。
↑阪奈道路をくぐります。
「阪奈道路は、奈良県道の、何号線でしょうか?」
「ああ…っ、何号線だったっけな <パート2>の時のブログに書いてあったよな?」
「では、そういうことで」
↑14時05分、霊山寺(りょうせんじ)の前へ着きました。
↑霊山寺は、第2チェックポイントです。
境内へは、入山料が必要です。私は立ち入りません。
ここも、<パート2>のときにスタンプを獲得した場所なので、今回も重複します。
入口案内板のところでスマホを操作したら、<パート2>と<パート3>の選択画面が出ました。
めでたく、きょう2つめのデジタルスタンプを受信
↑奈良市立富雄南小学校のそばを通過します。
↑14時19分。
国道308号線(暗越奈良街道)に〝当たり〟ました。目の前の「橋」が、それです。
富雄駅からここまで、3.5kmぐらいです。所要約45分、4500歩ほど。
<パート2>とのコース重複区間はここまで。
遠かった~。頑張って歩いてきました。
↑ここからは308号線(暗越奈良街道)を進みます。
ここから奈良市街までの308号線は、以前に歩いたことがある区間です。
↑「砂茶屋」交差点。バス停もあります。
↑14時30分。
赤膚焼窯元 大塩昭山(あかはだやき かまもと おおしおしょうざん)に到着。
この地域の〝土〟を用いて作られる赤膚焼(あかはだやき)という陶器です。
その窯元のひとつ、大塩昭山氏の窯。
ここは第3チェックポイントです。スタンプだけ獲得して、また歩き始めます。
↑暗越奈良街道が通る、このすぐ近くに、赤膚山(あかはだやま)という山があります。
その山から採取される土が、赤膚焼(陶器)を生んでいるのだそう。
<パート3>のコース名にも出てくる「赤膚山」というのは、その山の名前のこと。
赤膚山の名は、学園前界隈の路線バスの行き先(終点停留所)でも目にします。
五条山(五條山)とも呼ばれるみたい。
↑第二阪奈の高架をくぐる。
↑ちょっとだけ、上り坂があります。知れています。
坂道であることよりも、道幅が狭くなることに要注意の区間です。
行き交うクルマの動きを見ながら、路肩を進みます。
↑尼辻駅(尼ヶ辻駅)のほうを目指します。
↑きょうは308号線(白点線センターライン)を直進せず、右奥への道に進みました。
↑右側の杜は、垂仁天皇陵(すいにん天皇陵)。宝来山古墳とも。諸説あり。
↑308号線に戻ります(合流)。
↑近鉄電車の踏切が見えました。尼ヶ辻駅(橿原線)です。
↑14時57分、尼ヶ辻駅に着きました。
ここが、第4チェックポイントです。忘れずに、スタンプ獲得
↑尼ヶ辻駅を過ぎると、その先から308号線の道幅がぐーんと広がります。
↑交通量が多い道路沿い(セパレートの歩道)を、てくてく歩いていきます。
ここらへんから308号線は、奈良の「三条大路」となります。
「三条通り」とも呼ばれ、<パート3>のコース名にも出てきます。
↑三条大路は直線区間です。そして、この直線区間は、案外距離が長いのです
交差点があれば信号待ちで立ち止まり、信号が変わったらまた歩道をてくてく歩くだけ…!
こういう歩道って、単調な〝てくてくウォーク〟になります。忍耐がいる区間です。
若草山が見えていますね。
↑15時21分。「三笠中学校前」交差点のそば。
NHK奈良局。(新社屋。まもなくオープンするみたい)
奈良市内の、別の場所にあった奈良放送局が、近日ここへ移転してくるらしい。
↑「三条栄町」交差点。
左折レーンから左奥へ続いていくのが三条通りです。
私もそれに沿って歩いていきます。
↑15時34分。JR奈良駅のすぐ近くです。
シルキア奈良という商業ビル。「ホテル日航奈良」も入っています。
↑JR大和路線(関西本線)の高架をくぐります。
↑JR奈良駅前の交差点。
さらに、三条通りを直進して歩きます。
↑このあたりは商店街になっていますが、人通りは少ないように思えました。
一応、通行人の姿はありました。人が全然歩いていない、という状況ではありません。
それでも、やっぱり、旅行客らしき姿は少ないなぁ。
↑「上三条町」交差点。ここを右折します。(=南のほうへ曲がる)
↑すぐに、率川神社(いさがわじんじゃ)が見えてきます。
なかなか難しい読み方をする社名です。
「読めない&書けない」タイプの難解名称ですね。(個人の感想)
↑15時44分。
率川神社(いさがわじんじゃ)です。子守明神ともいわれるそう。
ここが、第5チェックポイントです。
スタンプ獲得しました。これで本日はコンプリート~
↑境内へ進み、おまいりしました。
※この画像はパソコンで傾き調節をしたので、ギザギザな写り方になってしまいました。
すみません。m(__)m
↑鳥居をくぐって、境内へ立ち入った瞬間に気付くことですが…、
地面にきちっとスジが付けてあって、とてもきれいでした。
ジャリジャリと踏んで歩いても いいのかな?…と、一瞬、戸惑いました。
手入れが行き届いている神社だと思いました。
↑しっかりと手入れされている地面。
↑率川神社のまえにあるバス停。「本子守町」(ほんこもりちょう)。
↑三条通りに戻り、ゴールの近鉄奈良駅を目指してラストスパート。
南都銀行のところまで来ました。
↑ひがしむき商店街へ進みます。ここからは北へ向かいます。
↑15時54分。近鉄奈良駅前に到着しました。きょうのゴール地点です。
「着いたー」
<パート3>コースのチェックポイントではないので、スタンプの配信はありません。
「スタンプの配信は無いけれど、近鉄奈良駅前が<パート3>のゴールです」
「ちゃんとここまで歩き切らないと、ゴールにはならない、ということやね?」
「スタンプが無くてもコースを最後まで歩き切る、という姿勢は、清く尊い」
「個人の感想… ですけれどね」
↑近鉄奈良駅、改札口前。
今回は、伊勢参宮本街道<パート3>として、富雄駅から近鉄奈良駅まで歩きました。
コース距離約11km。所要約2時間20分。1万4100歩でした。
前回はフライングで完歩と言ってしまいました。
街道の起点が高麗橋東詰になったのは明治以降の話で、
江戸時代までは玉造が起点だったので、今度こそ完歩と申し上げます。
奈良県内を歩くと、興福寺のあたりが起点・終点になる街道が多くて、
今の近鉄奈良駅付近はかつては日本の中心だったんだなと実感します。
過去に、奈良駅までの区間は歩いたことがあるので、今回の富雄~奈良駅は、知っている道を改めて歩いた格好です。
<あみま>ハイキングとしても、暗越奈良街道を踏破したということで。
(^^)
高麗橋は明治以降なんやね。街道の成り立ちにも歴史があるのだなぁ。
古い街道は奈良へ通じていたんやね。
京都に住んでいると、つい見過ごしがちですが、奈良の歴史をもっと見つめる姿勢があってもいいのかもしれん…。