むかし、むかし、
ふれあいの窓 おしらせ広場 『きんてつ』
という、近鉄電車の広報紙がありました。
B5サイズ。(B4の二つ折り。両面刷り4面構成)
発行:近畿日本鉄道広報室、でした。
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「近鉄電車の駅で、無料で配られていたね」
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「ご自由にお取りください
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、っていうやつ」
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「改札口そばの広告ラックに、ほかの宣伝チラシと並んで、いつもセットされていました」
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「昔は、近鉄に限らず、他私鉄でもこういう広報紙が作られていたなぁ」
『きんてつ』は、1976年(S51)3月から2001年(H13)3月までの25年間発行されました。最初から毎月発行(月刊)だったのか、よく知りませんが、私が近鉄電車を利用するようになった1985年ごろ以降は毎月発行されていました。
紙面は、近鉄電車の輸送現場(最前線)の今とこれからを伝える内容がメインでした。当時は、近鉄電車でも輸送力増強施策が推進されていた時期であり、駅舎ホームの改良工事・線路の高架化・新型車両の投入など、広報ネタになる新しい話題が毎月目白押しでした。活力に満ちていましたね。「古き良き時代」の範疇だと思います。
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「わし、中学・高校時代に、この『きんてつ』を毎月集めていました
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」
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「でた…
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鉄道ファンがやりそうなことやな」
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「まあな。ご多分に漏れずというか、毎月せっせと集めていました。タダ(無料)だからね」
私は、中学・高校時代、毎日近鉄電車で通学しました。
乗り降りの駅で、『きんてつ』の在庫状況を横目に見て改札口を通るのが常でした。
「おっ、新しい号が出てる!」って、すぐに気付いたりしてね。
集めた『きんてつ』は、捨てておらず、今も残っています。(←そういうの、捨てない奴
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)
昨年秋にウチの押し入れ物置を整理した時、『きんてつ』を収納したファイルが出てきました。
1986年11月号から、1991年春ごろまでの号です。
中学~高校時代の4年半ぐらい、これを集めるのが楽しみの一つでした。
↓以下、いくつか、ご紹介します。
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↑1987年(S62)1月号。京都線興戸駅の橋上駅舎完成を伝える。
同志社大学田辺キャンパスの開校にあわせて、最寄り興戸駅の駅舎改築が行われました。
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↑1987年(S62)11月号。京都線大久保駅の高架化完成を伝える。
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「写っている電車は3000系! 懐かしい
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」
高架化完成によって、大久保が「追い越し可能駅」になりました。
下り(大和西大寺方面ゆき)急行・各停の接続が大久保で行われるようになったのは、このときから。
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↑1988年(S63)3月号。21000系「アーバンライナー」の登場を伝える。
いつもの号は単色カラー印刷のところ、この号は
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フルカラー
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仕立て
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近鉄の意気込みが、バーン!と伝わってきます。
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↑同上。ページ中身(2面・3面)。
このまま〝鉄道趣味雑誌〟の記事に使えそう。(近鉄が自分で書いた紙面だから一番真実
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)
当時は、世の中景気が絶好調だった頃ですね。
21000系は登場した時期が良かった。幸せな車両です。
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(新型コロナに水を差された80000系「ひのとり」、腐るんじゃないぞ!)
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↑同上。最後のページ(4面)。
近鉄特急のあゆみについて簡単にまとめてあります。
こういう歴史を乗客に伝えるのも、大切なことですね。広報紙の役割ですよね。
現在、こういう情報を乗客に対してPRできているだろうか…? 課題かもしれません。
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↑1988年(S63)11月号。京都線新田辺駅の橋上駅舎完成を伝える。
橋上駅舎にくっ付いて、西出口側には小さな駅ビル(?)も出来ました。
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↑1987年(S62)2月に発行された臨時号。運賃改定への理解を求める。
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↑同上。ページ中身。いっぱい書いてあります。
まず、運賃改定申請を届け出たことを述べ、近年の鉄道輸送状況(収支)と社会情勢の変化を挙げてから、
『現行運賃のまま推移すれば、懸命の企業努力にも関わらず鉄道部門の収入不足は大幅に拡大し、今後の輸送力増強などの計画推進に大きな支障をきたし、ひいては公共輸送機関としての使命を果たすこともおぼつかない事態に立ち至ることを危惧しています-。』
『こうした情勢から、このたび運賃および特急料金の改定を申請するに至った次第です。皆様には鉄道経営の厳しい情勢をご賢察いただき、運賃料金改定にご理解を賜りますようお願いいたします-。』
と、話が結んであります。
ここでは運賃改定(値上げ)という話ですが、お客さんにご理解・ご協力をお願いするときの文章の組み立て方というか、ひとつのまとめ方ですね。
この臨時号は昭和62年2月発行だから、私が中学2年生のときです。
中学2年が読むには難しい内容ではあったけれど、私は熟読しました。純真だったピュア・マイ・ハートには「
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近鉄電車も実は経営が大変なんだな…」と、しっかり響きましたね
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中学生のときにこれを読んで、私自身、文章の勉強になったと思います。
大人になった現在、業務上の文書を作るときに、この臨時号の文章構成を思い出すことがあります。
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↑同上。最後のページ(4面)。
最後に『当社路線の特徴と特急営業』について書いてあります。
近鉄特急はなぜ特急料金をとるのか、その理由が書いてあります。
それは近鉄電車の基本方針なのだから、現在も、もっと情報発信したら良さそう。
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ちなみに、この時の運賃改定で、
京都~丹波橋は130円から150円になりました。(現在は210円)
京都~新田辺は260円から300円になりました。(現在は410円)