勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

銀杏並木

2007-12-09 22:01:35 | Weblog
 暖かな陽射しに誘われて出かけた神宮外苑の銀杏並木。日曜日とあって多くの人出で賑わっていた。
 黄葉には盛りを過ぎた銀杏の葉が、初冬の陽射しに黄金色に輝き、時折吹く北風にクルクルと舞い散る姿は、寂しげでもある。
 しかし、黄金のトンネルと絨毯は、昼下がりのひとときを、シャンソンの世界に迷い込ませてくれるようでもあった。
 僕にとっては思い出の地でもあり、一昨年、初めて黄葉の時期に訪れ、その魅力の虜になった場所でもある。
 和服姿の素敵な熟年カップルに、おもわず目を奪われた。どんなカップルよりも魅力的で、また銀杏にも負けない黄葉の輝きを放っていた。
 枯葉と遊ぶ子ども達のあどけなさに、やわらかな陽射しがゆっくりと落ちてゆき、夕暮れ時の風は、やはり冷たくなった。


枯れ葉散る夕暮れは
来る日の寒さをものがたり
雨にこわれたベンチには
愛をささやく歌もない



そしてひとこと
あの別れ話が 冗談だよと笑って欲しい

薔薇の実

2007-12-07 23:53:28 | Weblog
 薔薇は6月の誕生花、季語は夏。また冬に咲く薔薇を冬薔薇(ふゆそうび)といい、季語は冬とある。
 そんな薔薇の花も、秋にはこんなに美しい真っ赤な実を結ぶことを知らなかった。薔薇の実をローズヒップ(Rose hip)といい、ハーブティーとしてのローズヒップ・ティー、またローズヒップ・オイルなどの美容液としても用いられるらしい。
 

◇ 麗人の唄 ◇

ぬれた瞳のささやきに
ついだまされた恋ごころ
きれいなバラには棘がある
きれいな男にゃ罠がある
知ってしまえばそれまでよ
知らないうちが花なのよ

-作詞 サトウ・ハチローさん-

 むかしむかしの歌である。『知ってしまえばそれまでよ、知らないうちが花なのよ』。ちょっと秘密があったほうが魅力的かもしれない。四季を通して楽しませてくれる、棘のある薔薇も魅力がいっぱいだ。

紅葉

2007-12-07 02:34:23 | Weblog
木々の葉が真っ赤に染まる秋の紅葉は、心も赤く染まるほどの感動がある。

このたびは
ぬさも取りあえへず手向山(たむけやま)
紅葉のにしき神のまにまに

-菅 家-

 百人一首の中でも多く取り上げられている秋の歌、中でも紅葉を歌った歌は多い。菅原道真は錦のように美しい紅葉を神に捧げようと歌っている。

 紅葉にはイチョウのように黄色くなる「黄葉」と、カエデのように赤く染まる「紅葉」の2種類があるという。落葉樹は秋になって気温が下がると、葉の付け根に離層という組織ができ、葉を落す準備をするそうだ。そのメカニズムが紅葉をもたらすという。

 しかし木々の葉が何のために葉を美しく染めるのか、よくわかってはいないらしい(紅葉のメカニズム研究家・百瀬忠征さんの話)。天気がよく、昼夜の温度差が大きいほど色づきはよくなるらしいが。

 美しい紅葉も、葉にとっては死への準備にほかならない。人間もこんな美しい旅立ちを迎えることができたらどんなにいいだろう。

冬の蝶

2007-12-05 22:48:35 | Weblog
 今朝は、今シーズン一番の冷え込みになったという。秋を彩った花々は散り、本格的な冬がやってきた。寒い冬が嫌いな僕は、冬眠でもしたい。

 『花のいのちは短いけれど、蝶のいのちもはかなくて・・・』と、むかし誰かが歌ってた。 
 はかない命といわれる蝶は冬を越すことはできないと思っていた。ところがタテハチョウという種類の蝶は冬を越すのだそうだ。
 花の少ないこの時期に、陽だまりの大きな柑橘類の上で、じっと羽を休めている冬の蝶はどこか悲しげだ。

 中国の故事に「胡蝶の夢」というのがある。荘子が胡蝶になった夢を見た。夢の中で自分が蝶になったのか、蝶が自分になったのか疑ったという故事から、現実と夢との区別が付かないことをいい、人の世のはかなさの例えにつかわれるらしい。

死を生の証と思う冬の蝶

-秋尾敏さん-

 どうせはかない一生なら、楽しく生きることを考えよう。蝶よ花よと育てられたわけではないけれど(この言葉、女の子にだけ使われるのかな?)、胡蝶の夢にならぬよう、冬眠なんかするのはよそう♪

熱き戦い

2007-12-04 01:08:07 | Weblog
 久しぶりに野球に酔った。日本のプロ野球を見なくなって久しい。理由のいくつかをあげると、魅力的な選手が少なくなったこと、ファンだった巨人軍が弱くなったこと、更に決定的なのは、オーナーの不遜な態度。巨人ファンをやめ、日本のプロ野球ファンをやめた。そして大リーグを見るようになった。しかしチームを応援するのではなく、日本人選手の活躍に期待をする。

 北京オリンピックへの出場権をかけた野球のアジア予選、特に韓国戦と台湾戦の白熱した戦いには、ハラハラ・ドキドキの連続。そしてチーム一丸となって戦う姿に胸を打たれた。最近の選手の名前もわからず、誰を応援するでもなく、日本のチームの勝利だけを願っての応援。かつてあれほどの闘志をあらわにしたゲームを見ただろうか。過去に1~2度あったような気もする。チームの勝利だけを目指して懸命に戦う姿は、これほど感動するものなのか。

 試合に興奮する要素がもうひとつあった。韓国戦のときはあったような気がするが、台湾戦を見ていて気が付いたのは、民放でありながら、コマーシャルを見ていない。少なくともそれに気が付いてからは、ゲームが終るまで一度もなかった。盛り上がっている気分を冷やしてしまうコマーシャルタイム。それがないことで興奮を持続できた。スポンサーの度量の大きさなのだろうか?

 選手の一挙手一投足に一喜一憂した二夜連続の好ゲーム。久しぶりに野球に酔った。

平常心

2007-12-03 01:04:48 | Weblog
 土曜・日曜のテレビは、スポーツ番組がめじろ押し。バレーボール、マラソン、野球、フィギュァスケート。どれもが目を離せない。どんなドラマを見るよりも、筋書きのないドラマほどドラマチックなものはない。

 フィギュアスケートはダンスに共通するところもあり欠かさずに見る。ジャンプで次々と転倒する女子選手を見て、解説の荒川静香さんが言った。
 『プレッシャーの中、平常心を保って演技するのは難しいことです。普段通りにしようと思うことが既に普段と違うこと。平常心を保つことは何も考えないことだから』 

 リトル・ターンは友達のユウレイガニに今までのように飛べなくなったことを話すと、ユウレイガニは言った。
 『普通とか普通でないとかいう見方にとらわれている限り、普通でないものは普通じゃないんだ』 

 普通でないことが起きたとき、いかに普通でいられるか。慌てず騒がず、それがいい結果を生む。極限の中で戦うスポーツ選手の活躍は、多くの感動を与えてくれる。

時の過ぎ行くままに

2007-12-02 00:00:38 | Weblog

◇ カラスウリ ◇

子供の時も
湧水が道を流れていた
節くれた木の根は
相変わらず崩れかけた岩を掴んで
鳥は世代交代などどこ吹く風
あの時の鳥のように木の実をつついている
この山道の時間は動いているのか止まっているのか
でも籠を背負って歩いていた人はいない
赤いカラスウリを
首に下げて帰ってきた
父もいない
人間にだけ
時が厳しく過ぎている

-星野富弘さん-

 月は満ちては欠け、季節は移ろい、時は過ぎ、暦が替わる。都心ではなかなか見ることができないカラスウリが、去年と同じ藪の中で今年も赤い実を付けていた。時は師走。



「昨日、どこへいったの?」

「そんな昔のことは忘れたよ」

「これからどうするの」

「そんな先のことはわからないよ」



-映画「カサブランカ」の中の有名な台詞のひとつ-

「As Time Goes By ・ 時の過ぎ行くままに」の音楽も印象深かった。


さざんか時雨

2007-12-01 00:53:50 | Weblog
 表題は演歌のタイトルではありません。冬を彩る数少ない花のひとつ、さざんかが美しい。そのさざんかが咲く頃に降る雨を、さざんか時雨(しぐれ)とか、さざんか散らしというそうだ。


くもりガラスを 手で拭いて 
あなた明日が 見えますか



赤く咲いても 冬の花
咲いてさびしい さざんかの宿

 時雨とは、晩秋から初冬にかけて、降っては止み、止んでは降る通り雨をいう、と大辞林にある。せみ時雨のふりそそぐ夏が過ぎると、またたく間に訪れる冬。11月も終わりの東京は、一日中降ったり止んだりの冷たい雨。赤く咲く冬の花を散らすさざんか時雨に、明日は見えるのだろうか?


運命かなしい 冬の花
明日はいらない さざんかの宿
 
 
などと言わずに、明日を信じて 


せめて朝まで 胸の中 
夢を見させて くれますか


悪夢にならぬよう

Good night!