今月13日から両国国技館で大相撲初場所が開催中。昨年11月の九州場所で途中休場し、今場所で進退を懸けていた第72代横綱・稀勢の里関(田子ノ浦部屋所属、本名・萩原寛)ですが、初日から3連敗を喫しました。そして16日午前、田子ノ浦親方が稀勢の里関の引退を発表しました。2017年1月に横綱に昇進し、それからわずか2年で土俵を去ることになりました。
田子ノ浦親方は取材陣に対し「稀勢の里は出場しません。今日で引退です」と述べ、前日夜の話し合いで稀勢の里関本人から「引退させてください」という言葉があったと説明しました。
午後3時30分ごろから両国国技館内で引退会見を開き、年寄名・『荒磯』を襲名して後進の指導にあたる事を報告した後、「横綱として皆様の期待に添えられないというのは非常に悔いは残るが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」と涙ながらに語りました。
記者との質疑応答では、やり切ったという気持ちが出て引退を決断したといい、今場所では「『これがだめなら』という気持ちがあるくらい稽古をしたが、初日から3連敗した」と話しました。
17年間の相撲人生で印象に残った一番の質問には「優勝を決めたおととしの初場所千秋楽の白鵬戦」を挙げ、大関昇進を決めた時の千秋楽では琴奨菊に負けたので、次に昇進するときは絶対に負けないという気持ちで臨んだと振り返りました。
稀勢の里関は、2017年の初場所で初優勝した後に第72代横綱に昇進。19年ぶりに日本出身力士の横綱が誕生し、「稀勢の里フィーバー」が沸き起こりました。新横綱として迎えた春場所では、初日から12連勝を続けましたが、13日の日馬富士戦で寄り倒しで敗れ、その際に左上腕部と左大胸筋を負傷。それでも強行出場を続け、12勝2敗で迎えた千秋楽で、当時大関だった照ノ富士との直接対決に勝ち、優勝決定戦でも照ノ富士を破り、2場所連続優勝。大ケガを乗り越えての逆転優勝に、日本中が感動しました。
しかし、劇的優勝の代償は大きく、2017年夏場所から2018年名古屋場所まで8場所連続休場。途中休場、3場所連続で15日間全休もありました。秋場所では15日間休まず出場して10勝5敗と復活を予感させましたが、その次の九州場所では初日から4連敗を喫し、右膝挫傷捻挫で5日目から休場しました。
復活をかけて臨んだ今場所でしたが、初日の御嶽海に寄り切られて黒星。2日目は逸ノ城にはたき込まれて2連敗。後がなくなった3日目は、栃煌山と対戦しましたが、左上手になりながらも廻しが取れず。逆に栃煌山に両差しを許して3敗目。これで昨年の秋場所千秋楽から8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としてのワースト記録となりました。この日は錦木(東前頭2枚目)と対戦予定でしたが、引退により不戦敗。
通算成績では通算成績は800勝496敗97休でしたが、横綱での成績は在位12場所で36勝36敗97休。
2年近くケガに苦しんでいた稀勢の里関が、遂に引退を決断しました。優勝して横綱に昇進し、これから全盛期を迎えるかなと思っていたんですが、一昨年の春場所での左肩負傷から全てが狂い始めたように思えます。横綱ワーストの8連敗、通算勝利数も歴代最少、勝率も5割ちょうど。「横綱は勝って当たり前」なのに、不名誉な数字が並びます。左大胸筋断裂の大怪我を負わなかったら、あと3~5年は続けていたし、優勝回数も増えていたはずだ。
稀勢の里のように初場所で引退する横綱も多く、2001年には曙が両膝のケガにより場所後に引退。2003年には貴乃花が場所中に引退表明。2010年は朝青龍が初場所で優勝後、自らの不祥事で引退しました。
今年の初場所は稀勢の里が3連敗で引退を決断しましたが、他の上位陣も序盤から苦しんでいます。横綱の白鵬関は4連勝だけど、鶴竜関は2勝2敗。大関陣に至っては豪栄道と栃ノ心が初日から4連敗。稀勢の里と同じ茨城出身の高安関も4日目まで2敗を喫しています。高安には兄弟子の分まで頑張ってほしいところです。でも、次の日本人横綱は貴景勝か御嶽海のどちらかかも。