2007年に牝馬で日本ダービーを制するなど、GⅠ競走で7勝を挙げたウオッカが、1日にイギリス・ニューマーケットの牧場で蹄葉炎のため亡くなりました。15歳でした。
報道によると、ウオッカは2月から配合のためにニューマーケットの牧場に滞在していましたが、3月10日に馬房内で右第3指骨粉砕骨折を発症。骨折部位をボルトで固定する手術も行われたそうですが、その後に両後肢に蹄葉炎を発症し、1日午後に安楽死の処置が取られたそうです。
ウオッカは2006年10月29日の京都競馬場での新馬戦でデビューし、デビュー3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズでGⅠ初勝利。2007年にはエルフィンステークス、チューリップ賞を連勝しましたが、牝馬クラシックの初戦・桜花賞でダイワスカーレットに敗れて2着。桜花賞後は日本ダービーに参戦し、当日は3番人気でしたが、17頭の牡馬を破って優勝。1943年のクリフジ以来、64年ぶり史上3頭目のダービー制覇の偉業を成し遂げました。
その後は宝塚記念8着、秋華賞3着、エリザベス女王杯で出走取消など、不本意な結果が続きましたが、2008年の安田記念で1年ぶりのGⅠ勝利。その年の秋の天皇賞では、ダイワスカーレットとの死闘を演じ、長時間の写真判定の末にハナ差で優勝。年間でGⅠ2勝の活躍が評価され、2008年のJRA賞年度代表馬と最優秀4歳以上牝馬を受賞しました。
2009年には、ヴィクトリアマイルで7馬身差の圧勝、安田記念では前が塞がれて不利になるも、最後にディープスカイを差し切って2連覇を達成。ジャパンカップではオウケンブルースリとの接戦を制し、この年GⅠ3勝目。2年連続で年度代表馬に選ばれました。
2010年も活躍が期待されましたが、3月のドバイワールドカップの前哨戦「マクトゥームチャレンジラウンド3」で8着に敗れた後、鼻出血を発症していたことが発覚し、現役引退を表明。
引退後はアイルランドで繁殖生活を送り、シーザスターズ産駒のボラーレ、タニノアーバンシー、タニノフランケル、タニノミッションなど7頭の子供を産みました。
まさか早い内に天国に旅立つ、それも骨折からの蹄葉炎で安楽死…。突然の訃報なので、信じられない気持ちでいます。馬齢15歳を人間の年齢に換算すれば47~8歳だから、まだ若すぎます。息子のタニノフランケルがオープン入りして、重賞でも上位に入るくらいに成長したのに…。
GⅠ通算7勝の記録も凄いですが、日本ダービーで牡馬相手に3馬身差の圧勝、2008年秋の天皇賞でのダイワスカーレットとの死闘、絶望的な展開からの大逆転勝利を収めた2009年の安田記念と様々な名場面がありました。特に2008年の秋天は、先行したダイワスカーレットをウオッカが捕まえたと思ったら、ダイスカがゴール前で盛り返し、最後は並んでのゴール。写真判定も10分以上かかりました。同世代の牝馬2頭の激戦は、秋の天皇賞で一番印象に残るレースだと思います。
ウオッカとダイワスカーレットと同じ世代には、アストンマーチャン、ローブデコルテ、ピンクカメオ、エイジアンウインズ、クィーンスプマンテ、スリープレスナイトといったGⅠ馬を輩出。まさしく「牝馬史上最強世代」でした。
ウオッカ以降、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイといった最強クラスの牝馬が次々と誕生しています。今の牝馬の時代を生み出したのは、ウオッカのおかげではないでしょうか。心よりお悔やみ申し上げます。