どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

この世界の片隅に、哲さんのが背負う雑嚢の中身

2017年11月16日 20時00分00秒 | アニメ
朽ちていく重巡洋艦・青葉をジッと見つめる水原哲さん...。

すずさんは彼に気づきながらも、呼びかけることもなく静かに通り過ぎていく...人生交差点を思わせる印象的なシーンです。

物語とは別の視点になりますが、彼が背負っている雑嚢(リュック)がパンパンに膨れ、重みでズリ下がっているように見えます。

中身はいったい何が入っているんでしょうか?

そのヒントが、先日もご紹介した中島春雄さんの自伝怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄」に書かれています。

昭和20年8月15日、ノイズ混じりで聴き取りにくい玉音放送を当時所属していた兵庫県の姫路航空基地で聴き、その解釈を巡って混乱の後...緊張感がプツリと途切れて行き場を失った基地内で暫し間の抜けたような時間を過ごします。

 日本が負けた。そう聞いて、とりあえず、みんな風呂に入ったよ。大騒ぎはしないよ。ただ、シュンとしちゃって、翌日から訓練はなくなった。起床ラッパは鳴るけど、飯食って、だぼら吹いてね。することないもん。広場に集まってみんなで体操やったりしてたよ。

同じ軍隊にいても外地の悲惨な状況に比べると、内地勤務はずいぶんとノンビリしていたんだなぁと感じさせられます(^_^;

その後、中島さんの所属する隊は列車で移動、奈良県天理にある奈良分遣隊の本隊に戻り、そこで3〜4日「飯食って、ボサーッとしていた」のちに...。

 天理に戻ったら、みんな袋持っているかっていって、米が一升くらい配られたんだよ。雑嚢に入れて衣装も全部詰めて、用意しろと。それから家に帰れと。京都までは、みんなで行った。

同じように、おそらく水原さんの雑嚢にも米が入っていたんでしょうね。その米はお金の代わりになるという...こんな生々しいエピソードも語っています。

それで京都に着くと、「軍人後援会」ってタスキかけて、女の人がいっぱいいたね。「軍人会館に行けば休むところがありますよ」っていうことで、京都から市電に一〇分くらい乗ってみんなで泊まりに行ったんだ。着いたら「お米はお持ちでしょうか」って言うんだよ。「一合ばかりでけっこうです」って、米を取られた。金より米だったんだね。

除隊した兵隊はいっぱい米もっているらしいという情報がすぐに伝わり、周辺にあらゆるサービスが提供されていたという...生命力の強さも感じます。

それで、翌日田舎に帰ったわけ。列車は混んでいたね。
 終戦のとき、海軍に退職金をもらった。七〇〇円だったね。大金だよ。相当に遊べたね。将校だと何千円だったと思うよ。


終戦の混乱期とはいえ(内地の場合は...なんでしょうけど)意外とキチンとしていたんですね。

明日をも知れぬ命という極限状態から一気に解放された上に、独身の気軽さもあって、アブク銭感覚でパーっと使ってしまったんでしょう(^_^;

 それで僕の海軍生活は終わり。

中島さんは山形県酒田市の実家に帰り、東宝の俳優になるまでに終戦直後のゴタゴタの中、いろんな仕事を転々としていきます。

ゴジラエピソード以外も面白い語り口な実に楽しい本なので、機会があればご一読をオススメします(^_^)