dtnkanother_Buchilog_Jaken

碑文谷アピアに2ヶ月に一度出演する二人楽団でたんの大きい方。スカイツリーが見える町に住む。

そしてお墓が建っているのさ。

2009年05月09日 14時01分00秒 | ぶちでたん
今日から遡ること一週間前、日本のロック界における唯一無二の存在、忌野清志郎が亡くなりました。ロック界の?いやブルース界の?R&B界の?フォーク界の?ポップス界の?

そのどれでもあってどれでもないような、そんな「ジャンル」では括れないような我が国音楽界の至宝が、いなくなってしまったんです。

多くの清志郎ファンやロックファンやら何かファンの皆さまが、この度のこの出来事に対して上手く気持ち的な対処が仕切れてないだろうな、てのと同様に、Kanother的にも何だかスッキリしない気分でこの一週間を過ごしておりました。

思えばまだ小学生の頃、明星だか平凡だかの歌本で「トランジスタ・ラジオ」が載ってるのをみて、そしてそこに載ってる何だか派手気な格好をした謎の白黒のアーティスト写真を見て、Kanother兄貴に「コイツらって何者?」って訊いたのが初めての出会いだったと思いやす。Kanother兄貴の答えは「変人」だったような。

その後、中学に上がってから、トランジスタ・ラジオならぬ"CROWN"のモノラル・ラジカセから流れてくる実際の音を耳にした時の「何じゃあ、こりゃあ?」てな衝撃は、今でも昨日のことのように思い出されます。思い起こすに、その曲は『キモちE』だったと記憶しています。

その後、当然のようにRCを聴くようになり、過去のアルバムを遡って「HARD FOLK SUCCESSION」というアルバムをレンタルレコード屋で借りて聴いた時、またまた「何じゃあ、こりゃあ?」てな衝撃を受けたことも、今でも昨日のことのように思い出されます。『言論の自由』とか『キミかわいいね』とか『シュー』とか『2時間35分』とか。

且つ、そこに並んでいる曲の多くが、RCが高校生時代前後の曲であることを知ったときの驚愕たるや。バンド的なものに憧れながらも、未だベースを手にする前のKanother少年の背中を押すには充分なインパクトだったんでした。

そんなこんなを思い起こしながら、何だかスッキリしない気分にケリを付けるべく、本日は青山葬儀所に来ております。"ケリ"とかになるんかどうかはわかりませんが、30年来続いてきた長い長い文章に、何らかの句点的なものをつけるためには、やはり現場で合掌する必要があるような気がしたのです。



そして今日の青山は、同じように思ったんであろう人達によって、駅から葬儀所まで埋め尽くされてたんでした。