こんにちはorこんばんは皆様。
忘れた頃に現れる(?)ウォーキングと自然をこよなく愛する新米団員のYo-Siで御座います。
案の定激しかった台風も過ぎ去り、世間ではそろそろ梅雨明けの足音も聞こえて来るような次第ですが、
私は正直、今年の夏に温度的な意味でちっとも期待を持てません。
今年も物凄く暑く、そして秋にもずれ込む長い夏になりそう・・・。
そもそも、夏はウォーキング好きには天敵といえる季節です。
熱中症、日焼け、あせも、更に私の天敵である芋虫毛虫の隆盛と、
他の季節に比べ格段にリスクが跳ね上がります。
でも空調つけっぱなしの部屋にいては身体も緩むし電気代も・・・
ということで、結局は嫌よ嫌よといいつつも距離が短く天敵も少ない(←ここ重要)コースを歩きにいくことになりますけどね(笑)。
毎度お馴染み趣味に引っ掛けての愚痴紛いの話からスタートでしたが、
今回はそんなウォーキング&自然観察で得られた経験の中で、
(執筆者の独断と偏見により)演劇にも共通しそうだなと感じた話を一つ、書いていきたく思います。
今回は、所謂「心の故郷」について。
つまり生まれ故郷でなくても、「一年の内に数回は訪れる、来ると気持ちがとても落ち着く場所」のお話です。
こう言うと難しく思えるかもしれませんが、
例えば毎年必ず花見にいく河原であったり、初詣にいく神社であったり、
或いは一年に数回、何となくぶらりと訪れる場所であったりと、
「ここで花見が出来りゃまた一年頑張れる気がする」
「ここでこれからの一年の願をかけると何だか安心する」
「ホントに何となく来ちゃうけど、ここに来ると何だか落ち着くし、気分が晴れる」
などなど、何らかの「想い」が込められた場所であり、自然のことです。
皆様の中でも何気なく幾つか、心当たりがあるものかと存じます。
最近よく思うのは、それらの共通点であり大切な要素は「変わらない或いは変わりにくいこと」であり、
だから大体、自然物が選ばれているのではないかということです。
都会、とりわけ東京にいると、街の様子の移り変わりはとても目まぐるしく、見ている分には面白いのですが、
何だか自分までそわそわして安心しない気持ちになるのは、私だけの経験では無いはずです。
何せ渋谷にあった大学に通った四年間だけでも、強くそれを感じた程ですから。
一方自然物は(余程のことがない限り)数年以来に訪れても変わらず、人々を受け入れてくれます。
そこを訪れ、自然と触れ合うということには、単なる気晴らしには終わらない、
本当に言葉で表すのが難しい不思議な安心感があります。
私自身その安心感を実感でき、もっと多くの自然と出会いたく
各地に出歩くようになったのは数年前からですが、
そうして出会えた故郷の数々は、今では私の大事な宝物です。
さて、今度の舞台にも、銀杏の木という先述のような「何らかの想いが込められた自然物」が登場します。
色々決まるのはこれからですが、どの役を演じるのであれども、
私が趣味を通して得られた故郷たちに対する想いを演技に活かしていければ、
と強く思っている次第です。
今回はこの辺で。次回もまた、趣味を通して得られ、演劇に活かせそうな経験があればお話したく思っています。
それでは。